森田食堂
広島県呉市において100年以上続く食堂。造船文化とともに町に根付き、人々の食を支えてきた
呉で生きながらえる食堂
この連載が100回を迎えるタイミングで、100年を生きながらえる商品の話を特別編としてつづりました(2024年3月号)。
東京都の谷口化学工業所や群馬県の朝倉染布などの事例を取り上げ、「何を変えて、何を変えてこなかったのか」という観点から、100年の蓄積を超える技術を生かして、さらにそこからどのような新商品をものにしているかまでをお伝えしました。
こういう原稿をまとめると、何と言いますか「引き寄せられる」ということがあるんですね。100回目の連載原稿を完成させた後、また別の「100年超え」に出合いました。せっかくですので、続編として今回は皆さんに紹介したいと思います。
どんなジャンルかと言いますと、製品ではなく食堂なのです。2024年に入って少したったころ、広島県呉市への出張がありました。仕事終わりに地元の人と話していたら、「食に興味があるのなら『森田食堂』に行かないと」と強く勧められたのです。
聞くと、JR呉駅のすぐそばにあり、朝8時30分からのれんを掲げている店だそう。創業は、なんと111年前。1913年から、この町に生き永らえていると言います。早い時間帯からビールや日本酒を楽しむ客も少なくないらしい。そして「森田食堂を訪れるなら、湯豆腐は必ず注文すべき」とも教わりました。
こうした話を知って、絶対に行かねばと思いました。というのは、私は以前から1つの仮説を立てていたからです。それは「朝から酒を飲める店が根付いている町は文化が深い」というもの。暮らし方の多様性を認めているという懐の深さを町から感じ取ることができますし、何より楽しさがそこにあるからです。
そうして、私は森田食堂を客として訪れてみました。創業111年の食堂とはいったいどのような雰囲気なのでしょうか。
開店と同時になじみ客が入店
8時30分、玄関にのれんがかかりました。屋号が右から左の向きに染め抜かれていて、そこからもこのお店の歴史を読み取れます。
開店時刻と同時にのれんをくぐったのですが、何人もが続々とやってきました。慣れたふうでしたので、なじみ客なのでしょう。平日の朝でしたが、早速ビールを頼んでいる人もいます。もちろん、私も注文しました。
「瓶ビールを」と声をかけたところ、女将さんが栓抜きを巧みに使って、「ポンッ」と驚くほどに気持ちの良い高らかな音を立てて開けてくれました。後で女将さんに尋ねたら、栓抜きの先端を大きく曲げてあって、その細工によって良い音色を出せるようにしているとのこと。このお店の1つの名物ともいうべき音のようです。
森田食堂で口にできる献立は、目移りするほどに豊富でした。まず、店内に入ってすぐのところにガラス張りの大きな冷蔵ケースがあります。中には刺し身、焼き魚、煮しめなどが並び、客自らが取り出せる仕組みです。ケースの中の料理は200円台から600円といったところです。
カウンターの上には、ずらりとメニューを記した短冊が張り出されています。丼ものも麺類もたくさんそろって充実しています。
「味わい深いなあ」と思ったのは、日本酒のことを示す短冊です。「一級」「二級」と記されています。今では存在しない、かなり懐かしい表記です。せっかくですから「一級」を注文しました。地酒である「千福」を女将さんが持ってきてくれました。
あらためて短冊を眺めていくと、その中に目当ての品がありました、「湯豆腐 300円」。当然、注文します。
運ばれてきたのは大きめの丼でした。その中には、大ぶりの豆腐や小ネギ、かつお節、とろろ昆布、一切れのユズ、そしてたっぷりのだしが入っています。要するに、かけうどんやそばの代わりに豆腐が収まっているという感じです。そしてこれが、酒のつまみとして抜群です。豆腐をちょっとずつ崩して、だしと一緒に口にすると、酒をぐいぐいと誘います。
冷蔵ケースからタコの刺し身を取り出しました。すると女将さんがすかさず声をかけてくれます。「おしょうゆと酢じょうゆと、どちらが良いですか」と。ここは酢じょうゆでとお願いしました。これは正解でした。タコが引き立ちました。
111年は長い?短い?
他のお客さんが店を後にして、ちょうど私だけが残ったタイミングで、女将さんである森田鈴子氏に話を聞くことができました。
創業111年ですけれど「あっという間です」と森田氏は笑います。「コロナ禍を経ても何とか消えずに頑張っております」と話します。
呉は造船業の町でもあります。今よりにぎわっていた時分には「朝か夜か分からないほどの雰囲気」だったそう。夜勤明けの客が森田食堂で朝飲みを満喫したという話ですね。朝からゆったりと飲めるこの店が存在するのには、やはり町固有の環境が背景にあったわけです。そして現在もその名残で、森田食堂は朝早くからのれんを掲げ続けています。
店に流れる空気感はとても穏やかです。気持ち良くなって、酒をもう1本頼んでしまいました。女将さんの「あいよ!」という呼応がまた良い。つまみをもう一皿、今度は煮付けたサバを冷蔵ケースから選びました。
勘定を頼むと、女将さんが携えたのは、年季の入った木製のそろばんです。これを弾いてもらって会計を済ませました。
この食堂が続く意義
いや、本当にぜいたくなひとときを朝から過ごせました。あらためて振り返ると、朝飲みを歓迎してくれる店にはやはり相応の理由があるのですね。森田食堂の場合、先に触れた通り、呉の造船文化があって、この一軒も町で愛され続けてきました。造船業にかつてほどの元気がないとはいえ、こうして森田食堂が根付いていることに感慨を覚えました。
他の町に存在する朝飲みの名店を考えても、それぞれの背景があるわけです。例えば東京・豊洲市場の場内にある「高はし」は、市場が移転する前の築地の時代から、市場で働く人の食を支え続けてきました。北海道・釧路の「釧ちゃん食堂」も市場内にあるおいしい店ですが、ここも同様ですね。
時代や環境が変わっても(市場内の食堂を観光客などが多数占めるようになっても)、こうして店が生き永らえていることに価値があると私は思います。歴史を刻んだこうした店が、それぞれの町の大事な存在として、町の外からも人を引き寄せます。コロナ禍が一段落して、観光産業が再び脚光を浴びる段階に入っていますが、このような「足元にすでに存在する宝物」こそが、極めて大事な資源になると確信しています。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。