「染め屋」だからこそ
朝倉染布 超撥水風呂敷 ながれ
高機能な撥水加工が施された風呂敷
次の事例は、群馬県桐生市で1892年に創業した朝倉染布。織物の町として知られる桐生で、同社は「染め屋」として技術を培ってきました。
染め屋とは、織物や生地に加工を施す役割を担う工場の呼び名です。朝倉染布がとりわけ得意としてきたのは撥水加工。オリンピックのメダリストが着用した高機能な競泳水着の撥水加工も、同社が手掛けてきたと聞きます。技術力は他社にない同社だけのものがあるという証しと言って良いでしょう。
ただし、悩みどころもありました。分業制が確立している業界で、撥水加工の工程だけを担う立場ではなかなか利益が出にくい。だったら「主力の事業と並行する形で、自社ブランド商品を開発すれば良い」と思われるかもしれませんが、これがまた難しかった。社長によると、21世紀に入って間もないころからアロハシャツやケープなどの製造・販売を試みたのですが、失敗に終わったそう。社長は当時のことを振り返り、「強いコンセプトワークがそこになかったから売れなかった」と反省します。ではそこからどう動いたか。
2006年、同社が発売したのは風呂敷でした。21世紀になった今、なぜ風呂敷なのかという声が社内からあがったそうです。しかし、1人の役員が「自分が欲しいのはこれだ。自分が欲しいものを作りたい」と粘り腰で臨んだのだそうです。
その名は『超撥水風呂敷ながれ』。値段は1枚3000円台。安くはありませんね。発売初年度はわずか1300枚しか売れなかったらしい。それが現在では年間2万〜4万枚規模で推移していて、同社の大事な事業として根付いています。風呂敷の図柄は60以上にも増えているとも言います。
それまで何度か挑んではしぼんでいった自社ブランド商品と、この風呂敷は何が違ったのか。1つ目は、営業活動に本腰を入れたこと。以前は大手メーカーを相手に加工賃の交渉に専念していた担当者たちが、小売に必要な手法を自ら学び、ドブ板戦術と言えるような営業をかけていった。2つ目は、見本市でアピールするために、風呂敷の上から水をかけ続けて撥水力をその場で見てもらえるような装置をわざわざ作りました。3つ目は、発売から2年たった段階で外部デザイナーを起用して図柄に力を注ぎ、その後、女性社員で編成するプロジェクトチームによってプロモーションを進めたそうです。この風呂敷のユーザーの9割が女性という背景を受けての判断だったと言います。
女性チームは「風呂敷の正統進化」「水を撥じく布」というキャッチコピーを発案して、さらに訴求を続けました。その結果、スポーツジムの帰り道にこの風呂敷で汗をかいたウエアを包んだり、ワインや日本酒のボトルサック代わりに使ったりと、さまざまな使い道が広がっていったそうです。
では、変えなかったところは?
それは「自社での加工」という部分でした。朝倉染布の生命線は撥水加工技術の高さにこそあるわけで、自社加工でないと意味をなしません。「染め屋」の本領を発揮すべきところは譲らなかった。
100年以上かけて培った加工技術あっての新商品だったのですね。
決して「頑な」ではない
亀屋革具店 ビジネスバッグ
ほぼ手縫いのオーダーメードバッグ
ここで、本連載で過去に紹介した事例を1つ、少しだけ振り返りたいと思います。
1915年創業である亀屋革具店の話です。青森県弘前市にある革製品の工房であり、注文するには現地を訪れるしかありません。ネット通販も大都市圏での催事もないからです。オーダーメードのカバンの場合、月に7点ほどしか製造できないから、やむなくそうしていると聞きました。そして注文から手元に届くまでは、なんとおよそ1年待ちです。
そんな亀屋革具店ですが、10年ちょっと前にはネットでのオーダーも、一時受け付けていたそうです。でも、すぐにサイトを閉鎖しました。
「注文をお待たせしているお客さまがいるのに、同時にネットで注文を受けるのはちょっとなぁと思った」からだそうです。
ただし、個人的な話でとても恐縮ですが、数年前、私が手掛けるクラウドファンディングサイトの特集で、東京の高校生たちが考える「父親に携えてほしいカバンづくり」のプロジェクトを立ち上げた場面で、亀屋革具店は二つ返事でカバン製作に協力してくれました。私自身、恐る恐るといった感じで依頼の相談をしたのですが、「高校生のためになるのでしたら」と即答だったのです。
こんな経緯を思い出し感じるのは「何を変え、何を変えないか」の峻別というのは決して何かに頑ななまでにこだわるという話とは少し違うのかもしれないということです。亀屋革具店の場合、一度はネット通販を試み、そしてすっぱりと中止した。その一方で、ネット通販の一類型とも言えそうなクラウドファンディングであっても、内容によっては積極的に対応したわけですからね。
100年を目指す
アークティック 北極 アイスキャンデー
一本ずつ職人が手作りする大阪名物のアイスキャンデー
今回の締めくくりに、もう1社ご紹介しましょう。まだ100年を超えてはいませんが、きっと100年を迎えられるだろうと私が期待している商品の話です。
大阪市中央区のアークティックは、難波で1945年に創業し、今も老若男女でにぎわう店舗「北極」を運営している企業です。ここのアイスキャンデーを、地元・大阪の方ならずとも一度は口にしたことがあるかもしれません。
1945年といえば終戦の年です。数年前に興味が湧いて、ここの3代目に会いに行って尋ねたことがあります。「終戦の年に創業して現在に至るまで、アイスキャンデーの何を変えて、何を変えなかったのですか」と。
変えていないのは、まず、斜めに棒を刺している姿。これは最後まで食べやすくするためと聞きました。製法や中身も基本的に手を入れていないらしい。砂糖の仕入れ先も、吉野ヒノキを使った棒を使うところも守っているそう。どうしても調達する原材料を見直さなければならない場合には、「よりおいしい方向に」が鉄則とのこと。
では、変えたのはどこか。味についてはちょっとだけ変更しています。昔は、夏はさっぱり、冬は甘めだったのを、現在は通年同じに仕上げている。次に包装です。1990年まではセロファンの手巻きだったのを袋入りに変更。また、90年代前半に全国向けにネット通販を始めています。かなり早い決断なのが面白い。そして、ここ10年ちょっとで、回転焼きやデニッシュドーナツを店頭で販売し始めました。
守るところは守り、攻めるところは攻め、また、時に柔軟な姿勢で変更も施しているのですね。
100年を目指すとはつまり、そういうことなのだと、改めて感じ入った次第です。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。