何を変え、何を変えないか
本連載は第100回を迎えることができました。読者の皆さんにあらためて深くお礼申し上げます。
せっかくの連載100回目ですから、「100」にちなんだ話を今回はお届けできればと思います。100年の歴史を刻む中堅・中小企業に共通するものを、ぜひ一緒に考えてみましょう。
私の専門領域は商品の分析ですから、ここでお話ししたいのは財務や人事のことではなくて、やはり商品にまつわる考察です。時代の変遷や市場環境の変化の中で踏ん張ってきた企業が世に送り出してきた商品から、学び取れる要素はどこにあるのか。
私なりの答えを先に言いましょう。100年企業の商品たちを見回してみると、ああ、そういうことかもしれないと理解できる事柄が1つ挙げられます。それは「何を変えて、何を変えないか」の峻別が明快であることです。
これは何も100年企業の商品に限ったことではなくて、数十年単位で売れているロングセラー商品を語る上でも見逃せない要素です。大手企業による商品の代表例として挙げるならば、アサヒビールの『アサヒスーパードライ』など、まさにそうです。
スーパードライは1987年の発売直後から大ヒットを飛ばします。ところが1990年代に入って、キリンビールが『一番搾り』のヒットで逆襲。この場面でアサヒビールはどのような手を講じようとしたか。
同社はスーパードライを慌ててリニューアルしませんでした。当時の担当者が話していたのですが「一度成功したブランドにとって極めて重要なのは、自らのブランド価値を信じること」と強く考えたのだそうです。ただし、スーパードライの持ち味である「鮮度」を訴求する手立てはしっかりと取って対抗した。
ちなみにスーパードライが派生商品を矢継ぎ早に出したり、大型リニューアルに踏み切ったりしたのは、ここ数年のことです。
つまり、スーパードライが今も売れ続け、近年「生ジョッキ缶」や「ドライクリスタル」といった派生商品のヒットを生んでいる背景には、その時々で「何を変えて、何を変えないか」を真剣に見極めたからだと言えます。
話を戻しましょう。100年企業の商品においても「何を変え、何を変えないのか」の峻別が大事ということを、ここからいくつかの事例を挙げながらお伝えしていくことができればと思います。
100年企業のSDGs
谷口化学工業所 自然から作ったケアセット
エゾシカの脂が原材料に含まれる革製品ケアセット
東京都墨田区の谷口化学工業所は1910年に創業。「日本最古の靴クリームメーカー」として知られています。『ライオン靴クリーム本舗』というブランド名を書いた方が、なじみがあるかもしれません。きっと多くの方が目にしたことがあるでしょう。
靴クリームだけでなく、カバンなどの革製品全般に使えるケア商品を長年開発・販売してきた同社ですが、2020年に『自然から作ったケアセット』をはじめとした「自然から作った」シリーズを登場させました。ケアセットの値段は3300円(税込み)ですから安くはない。ところがシリーズ全体での出荷数は、当初想定の10倍という反響を呼び続けています。
創業から110年を経たタイミングでの新シリーズです。開発した5代目に話を聞いたところ、このシリーズは北海道のエゾシカの脂を原材料にしているとのこと。靴や革製品を手入れするためのクリームやジェルにエゾシカの脂を使うという前例は、業界でまずなかったそうです。
なぜまたエゾシカの脂なのか。5代目によると、エゾシカの脂は流通量が少なくて、調達価格は既存の原料に比べると5倍以上は優にするらしい。それでも採用を決めたのには、いくつかの理由があったと言います。
1つ目は、エゾシカの脂は動物性でありながらさらりとしたテスクチャーで、原材料として好適だと気付いたこと。そしてもう1つは、北海道で駆除されたエゾシカの脂は行き場のない存在であったと知ったことでした。害獣として駆除が致し方ないのであれば、生かせるところは生かすのが大事ではないかと5代目は考えたわけですね。だから、たとえ調達価格がかさんだとしても、覚悟を持ってエゾシカの脂を用いようと判断したのだそうです。
その結果、この商品シリーズのサステナブル志向な性格が百貨店のバイヤーなどから高く評価されて、先ほど触れたような実績を挙げるに至ったわけです。
では、変えなかったところはどこか。同社では既存商品を含め、原則として、容器に中身を詰める工程やパッケージのラベル貼りは、本社工場での手作業だそうです。その方が明らかにきれいな仕上がりになるからだと言います。そうした細部への心遣いを21世紀になった今も守っているそう。
谷口化学工業所の話は、商品の製造工程で長年大事にしてきたところを守りながら、価格が高くなっても勝負どころでは攻めの姿勢をとることが大事と踏まえた点が勉強になります。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。