マスクといえば、安売り店で探せば100枚入りで1000円というような商品が多数見つかります。1枚当たりに換算すると、わずか10円。
しかし、今回お話しするマスクは、たった1枚で約1000円という商品です。廉売品のざっと100倍はする値段。3年前に発売し、これが今、多いときには1カ月で1万枚を出荷しているといいます。その値付けを考えれば、驚きのヒットです。
つくっているのは岐阜市の企業エストで、社員数は9名。もともとは寝具などの下請け生産に携わってきた企業です。そしてこの商品、富裕層が買うマスクというわけではありません。ターゲットは、ごく一般の女性や子どもなのです。
なぜ売れているか。まず何よりもデザインがかわいい。リボンをあしらったり、レースで編まれていたり……。また、子ども用のものは、うさぎ柄であったりします。さらに、品番によっては今治タオルの生地を使うなど、肌ざわりがとても優しく、着け心地が確かによい。私のような、いい歳をした中年男性向けには無地のオーガニックコットン製があります。
ママの知恵から
私がうなったのは、このマスクが生まれた経緯です。先日、岐阜に赴いて社長の話を聞き、なるほどなあと納得しました。
事の発端は、1人のママとの出会いだったといいます。そのママが言うには、幼稚園の通園バスを使う際、園児にマスク着用が義務付けられた。ところが子どもたちはマスクを着けたがらない。面倒だし、不織布のべたべた感を子どもたちは嫌がったそうです。そこで“ママ友”が集まって相談が始まりました。
かわいい柄で触感の良いマスクを手縫いでつくってしまおう―。ママたちの手によって、色とりどりの生地を使って出来上がったマスク。子どもたちは率先して着けるようになりました。ママたちは、これで一安心。
このママ、その後、エストに入社しました。彼女は社長に進言します。「子どもが喜んで手に取るマスクを製作しませんか」
社長はすぐさま動きました。世の中にこのマスクが広がれば、助かるママは多いはずですからね。
ここからの商品化に向けた流れがまた、面白い。
子ども向けのマスクの製造に当たって、内職の仕組みを活用しようとしたのです。なんだか昭和の時代をほうふつとさせます。
社長によると、岐阜市はもともと縫製が盛んな街で、内職に携わっていた女性は大勢いたそうです。しかし、それもいつしか廃れてしまった。その内職制を、エストが平成の世に復活させたということです。
誰が内職にいそしむのか。若いママたちが中心なのです。つまりは、最初に幼稚園児のママ友がマスクづくりをしたのと、ほぼ同じような形態になります。
内職スタッフを募集したところ、何人ものママが応じました。幼い子どものいる家庭では、パートで外に出るのも大変でしょう。内職なら、ふと空いた時間や、子どもが寝た後の時間を活用できます。内職制は、そうしたニーズをうまくすくえたわけです。
現在でも、20人以上の内職スタッフのうち、若いママが半数を占めているとのこと。最初のころは慣れない手つきで、1時間に1枚縫えるかどうかという人でも、慣れればプロの職人並みの技を使える人が多いらしい。
ママ内職を採用する意義は、他にもあるそうです。ママたちは仕事とはいえ、このマスクを使う子どもたちのことに思いをはせながら縫っているというのです。現役のママらしい話だと思いました。そうしたママ目線が生きているのでしょう、誰もがとても丁寧に仕事をしてくれるのだと、社長は話します。
ギャル向け人気
こうして生まれた、子ども用の優しい風合いのマスク。
エストが次に狙ったのは、大人の女性向けでした。これは同社の社員デザイナーからの提案だったといいます。
エストはわずか9名の小企業ながら、常に社員デザイナーを雇用しています。この規模の会社でそんな余裕があるのか、といぶかしく感じる読者もいらっしゃるかもしれません。しかし、エストの場合、デザイナーを抱えることで、ビジネスに大きな効果をもたらしています。
マスクのデザインはもちろんのこと、ネット通販用のウェブサイトの構築、さらにはここが極めて重要なのですが、ウェブサイトに掲載する商品写真やモデル撮影までも、社員デザイナーが一手に担っています。1人のデザイナーがモノづくりから販売促進の部分にまで、深く関わっているのです。そのような視点から見ると、雇用の効果は十二分に得られていると言ってよいでしょう。
話を戻します。大人向けのゾーンに商品ラインアップを広げる上で、社員デザイナーは、ポーチなど他のファッションアイテムの流行をたっぷりと取り入れようと発案しました。レースや、サテンのリボンや、いわゆるギャル層が喜びそうな趣向をマスクに援用しようと考えたのです。
女性が毎日の服を選んだり、メークに変化をつけたりするのと同じように、マスクだってコーディネートしたいはず。不織布の白いマスクを仕方なく着用するのではなくて、いわば、服やメークが映えるマスクがあれば、喜んで購入するだろうという読みでした。
最初は売れなかったそうです。ネット通販でぱらぱらと出ていた程度だったと聞きました。少なからぬ卸会社が、「いくら何でも1枚1000円もするマスクをさばけるはずがない」と敬遠していたのです。
それでも、社員デザイナーは、必ず売れると踏んでいました。品質は良い、そしてかわいいとなれば、このマスクの存在に気付いた女性層はきっと注目してくれると信じていたのです。
そこでデザイナーはどうしたか。子ども向けのマスクを最初に展開したとき、ウェブサイト上に掲載していた写真は、ハンドメードを強調した雰囲気の写真を多用していました。これを一変させたそうです。
ファッション性を前面に打ち出した写真に切り替え、マスクを着用するモデルにはメークをしっかりと施し、撮影アングルにも注意しました。マスク姿を撮る場合、必ずしも顔を真正面から捉えるのが正解とは限りません。
また、撮影した写真はそのまま使うのではなく、画像修正ソフトを使って、マスク自体の色合いはもちろんのこと、モデルの髪の毛1本にまで加工修正を凝らしていきました。
リピートを誘う
広告写真ならば、そんなことは当たり前じゃないかと思う方もいるかもしれません。しかし、意外なことに、中堅どころの企業でも製品写真をおざなりにしているケースは、実際のところ、結構あるものです。
わずか9名の会社で、ここまで丁寧に商品写真の撮影に臨んでいる姿勢は、評価すべきポイントでしょう。
「そこまでコストはかけられない」という方もいるかもしれませんね。社員デザイナーに尋ねたところ、エストのマスクの写真、撮影するのはスタジオではなく、会社の一角(本当にただの会議室です)だといいます。カメラマンは社員デザイナー自身。そして女性モデルは全て、同僚の女性社員を起用しているそうです。
その結果、大手通販サイトでは常に上位にランクされる売れ行きとなり、現在に至っています。
リピーターも多いようで、1週間分のマスクをデザイン違いでそろえるユーザーも増えている様子。そこで、マスクを収納する箱を販売したそうです。
ヒットの芽を見つける姿勢、商品を伝える技を生かす姿勢、そのどちらも大事という話ですね。