その他 2021.06.01

Vol.69 地ならしと開墾を目指す:野川染織工業

 

 

 

野川染織工業「たももぱんつ」

織られた布ではなく、糸を天然発酵させた藍液で染める技法「天然発酵建て・先染め」によって作られる同製品。藍に染めることで強度が増し、虫除けや殺菌効果が得られる

 

 

古くて新しい野良着

 

面白い商品を先日購入しました。藍染めのイージーパンツで、商品の名を「たももぱんつ」といいます。埼玉県羽生市で100年以上、藍染めをなりわいとしている野川染織工業による一着です。

 

これ、テレワークを続ける毎日の仕事着にちょうどいい感じです。肌ざわりが優しいし、はいていてとても楽なのです。同時に、その色合いに味があるので高揚感を得られるのもまた良い。

 

武州の藍染めというと、剣道着の世界ではその名を知られた存在ですが、このような日常使いできる衣服を精力的に作っているとは、恥ずかしながら知りませんでした。しかし、よくよく同社に聞いてみると、武州の藍染めに携わる事業者にとってはごく自然な話なのだそうです。

 

もともと、武州をはじめとする日本国内の藍染めの綿織物は、かつて庶民の野良着や足袋の表地などに用いられ、私たちの生活に根付いていたものなのだそう。汗ばむ夏でも肌に心地よく、しかもアイには虫除けの効果を期待できるとあって、作業時にまとう衣服の素材として至極便利な存在だったと言います。田んぼで農作業をする人に好適な股引だったことが、このイージーパンツの由来であり、たももぱんつと名付けられたとも聞きました。要するにこの商品は「現代の野良着」なわけです。

 

 

 

 

 

 

大きくかじを切った4代目

 

値段は、5500~8250円(税込)。天然のアイによって染められたパンツとしては、とても安い。しかも同社によると、この藍染め、元となる糸を20回も藍液に繰り返し浸けてから織って完成させているそうです。

 

最初はよわいを重ねた藍液に浸ける。そうすると、ごく淡い色に染まります。次に、だんだんと若い藍液に浸けていく。若い藍液であるほど糸は濃い藍色を帯びていきます。

 

こうして糸を20回染めると、経年変化しても、白くなることなく良い風合いに育っていくとも聞きました。なるほど、濃い藍色があせても、淡い藍色が残るからですね。質を考えると、やはり、このイージーパンツは安いと思います。

 

野川染織工業は、先述したように100年を超える歴史を有する企業で、現在は4代目が社長、そして息子である5代目も家業に入っています。

 

ここで、私には2つ、同社に尋ねたいことがありました。1つはこうした伝統工芸の世界は年々厳しさを増しているのではないか、という話。もう1つは、そこをどうやって打開しようとしているのかという話です。

 

4代目の野川雅敏氏によると、1990年ごろの年商は3億円近くあったそうですが、近年は半減程度。2020年にはそこから2割減と言いますから、現在は1億円強の売上高にまで下落しているということです。

 

しかし、雅敏氏はこう言い切ります。「無理して売り上げを負うことをきっぱりとやめました」

 

それはどういうことか。

 

「伝統産業というのは、この時代、どうやっても売上高はそう伸びるものではないのです」(雅敏氏)

 

確かにそうとも捉えられそうですが、だからと言って経営に支障が出ては元も子もないですよね。

 

「2000年代に入ってから、私は『地ならしと開墾』に注力することを決めました」と雅敏氏は言います。地場産業で大事なのは「人」であり、売り上げを追い過ぎると、人を育てることに意識が回らなくなるという判断だったそうです。

 

雅敏氏は「人の育成」と「新商品開発」を意識し続けました。冒頭でお伝えしたたももぱんつは、その過程で商品化したものでした。雅敏氏にはもう1つ、このように動き続けた理由があったとも語ります。

 

「その先を想定していたからです。つまり、息子がいつかここに帰ってくるということです」

 

事業継承のための「地ならしと開墾」であったという話です。

 

 

 

 

 

 

現代の野良着を世に広める

 

こうして、伝統工芸の世界にありながら社の体質を変えることに専念した雅敏氏に言わせると、売上高は減っているものの、社としての体質は以前よりもむしろ強固になったそうです。

 

「少数精鋭ですが、ベテランの職人が引退しても、次の世代が育ってきました。いまそれが花開いているという段階です」(雅敏氏)

 

ここからは5代目の野川雄気氏に話を聞いていきましょう。

 

2018年、メーカー勤務を経た雄気氏は家業に入りました。父である雅敏氏が地ならしした状況を生かし、雄気氏はBEAMSをはじめとした企業との協業に着手し、成果を収めています。現代の野良着と表現するにふさわしい商品をセレクトショップなどと組むことで、さらに世に広めていきたいという狙いです。

 

雄気氏はこう語ります。「装飾品や芸術品ではなく、庶民がこぞってまとった野良着の文化を引き継ぐような商品をつくり続けたいんです」

 

ここは極めて大事な部分ですね。恐らく同社にとっての根幹部分でしょうし、そこには丈夫で肌ざわりの優れた藍染めである必然性が確実にあるわけですから。

 

 

伝統工芸の原点回帰

 

別の表現を用いれば、4代目の雅敏氏から5代目である雄気氏に受け継がれたのは「伝統工芸としてのありようを原点回帰させる」という意識であるかと思います。つまり「庶民の藍染め」に戻すという姿勢です。だからこそ、普段使いに好適なイージーパンツや、シーツなど毎日のように肌に触れる商品を作る理由がそこにあると解釈できます。

 

その上で大きな武器となるのが、糸を20回にわたって染めるという同社ならではの流儀でしょう。地域のものづくりに人々の関心が寄せられ始めた今、「ここだけは譲れないと踏まえた技法」は消費者の心に刺さるはずです。野川染織工業が、高度成長期からバブル期、そして平成不況の時期を過ぎても、この技法を決して捨てなかったことが、まさに今生きてくるのではないかと思うわけです。

 

売上高を無理に追わず、しかしながら体質を強靭化することは忘れない。そして、商品の必然性がより伝わるような新しいものづくりに挑む。伝統工芸の世界がどう次の時代まで元気でいられるか、そのヒントを得た取材でした。

 

 

 

 


 

 

PROFILE
著者画像
北村 森
Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。