
FUKUFUKU-YA「つやのふく」
シニア女性向けのベスト。背中の丸みをカバーする立体裁断や、脱ぎ着が楽になるようアームホールを広めに設計するなど、デザイン性と機能性に工夫が凝らされている
「違和感」は大事な要素
マーケティングの研究や実践に長く携わっていると、気付かされることがあります。この連載で折に触れてつづっていますが、改めてそのいくつかを記しましょう。
まず、商品の作り手が感じる「違和感や怒り」が次の一手につながるという話です。連載の2025年4月号(Vol.112)で紹介したサカセ化学工業の事例がそうでした。全国各地の病院に納品するカートやキャビネットを、カタログにある選択肢からただ組み合わせるのでは、病院の満足度が上がるはずがない。そう気付いた同社は「一品特注」というテーマを掲げ、個別の病院の事情に合わせた商品を製造するという手に出て、シェア1位となるまでに成長しました。
次に、マーケティングにおけるいわゆるフレームワークはどこまで正解なのかという疑問です。私が特にそう感じるのは、ペルソナの策定にあります。仮想の顧客をシミュレーションする作業なのですが、ややもすれば“ごっこ遊び”で終わってしまいかねません。ならば、特定の実在する1人の顧客を深掘りする方が、マーケティングの起点として有効に働くのではないかと、私は思います。2023年7月号(Vol.93)につづった「地球履優」は、「靴を履くのも大変」とこぼした1人のユーザーの声をきっかけとして、履物屋さんである丸越商事が開発したサンダルです。「誰に向けて」が明快であったからこそ、コンセプトの分かりやすい商品の完成に導けたばかりか、結果的にはその1人の背後にいる多くの消費者の心をつかんだのでした。
もう一つ。これは私個人として20年近くもやもやとしている話です。高齢の消費者を対象とするシニア市場は間違いなく重視されるべき領域であると思うのですが、ヒット商品がなかなか登場しない傾向にあります。なぜかと考え続けたのですが、商品の作り手がリアリティーを感じることが困難。つまり、シニアに達していない年代にとっては未知のものであることが関係していると推測します。
そこで、今回の話です。「違和感や怒り」をそのまま放っておかずに立ち上がり、「ある個別のユーザー」を強く想起することから商品開発を進め、そして結果的にシニア市場の一端をつかむ商品を完成させたという事例です。どんな商品で、どのような開発経緯を歩んだのかをお伝えしましょう。
母に着せたい服がない
東京都港区のFUKUFUKU-YAというベンチャー企業の代表である深津チヅ子氏が起業を決意したのは、60歳間近となる頃だったといいます。それまでは記事を執筆するライターの仕事を続けていた女性です。
なぜ、起業を決めたのか。それはある時、当時85歳となる母親の服選びのために、百貨店や量販店を巡ったそうなのですが、深津氏は「これという服が全く見つからない」ことに気付いたそうです。
「着づらそうなつくりだったり、ただ単に花柄をあしらえば良いだろうと考えられたようなデザインだったり……」と深津氏は振り返ります。
深津氏にとって、ここで抱いたのは違和感でもあり、怒りでもあったそうです。
「私の目の前にいる母は、85歳になった今も決しておしゃれを諦めてはいません」(深津氏)
さらに言えば「私がいつか80歳代になった時に、こうした選択肢しかないのは困る」とも感じたそうです。
ではどうしたか。「だったら自分で作るほかない」と決断したのでした。深津氏にはそれまでアパレル業界の経験はなく、衣類製造に関する知見も持ち合わせていませんでした。それでも、自らが動かねばと起業し、開発に着手しました。
作り手都合ではない商品
商品のターゲットは、もうはっきりと見定められていました。もちろん、深津氏ご自身の母です。曖昧なイメージにとどまってはいなかった。おしゃれを諦めていない母が、家族の助けを借りることなく着たり脱いだりでき、気持ちが上がる洋服を作る。自宅で過ごす時間やちょっとした外出時にまとえるようなベストを完成させようと動き始めます。
ただし、ここからが重要です。商品開発の発端と、届けたい相手は揺るがないものの、開発の途上では、ご自身の母だけでなく、延べ30名のシニアの方への試着ヒアリングを実行したといいます。
「作り手の都合で製作してはいけない」と深津氏が考えたからでした。マーケティングの起点はあくまで母の話ですが、商品化して販売をするからには、シニアのリアルをしっかりと把握せねばと判断したというわけです。
1年半をかけ、5回のサンプルを試作。そのたびにヒアリングを続けました。その結果、商品は2021年に完成をみました。
具体的にはどのような仕様の一着となったのか。まず、シルエットは単にゆったりさせるのではなく、シニアの体型に寄り添うよう裾に向かって広がるラインとしました。また、ボタンは大きく、腕を通すホール部分は袖回り60センチメートルを確保。シニアが家族の手を借りなくても着やすいようにするためです。
商品名は「つやのふく」としました。「つや」とは深津氏の母の名前から取ったものです。深津氏の「母こそが商品開発の起点」であったことを大事にしているのが、ここからも読み取れます。カラーバリエーションは6色で、販売価格は1万7000円(税込み)です。
ECサイトを練り直した
満を持して世に送り出した「つやのふく」ですが、2021年の発売当初の販売は低調だったそうです。自社で制作したECサイトが主たる販路だったらしいのですが、「ごくシンプルなサイトだったためか、反響はほぼゼロでした」と深津氏は発売当時の状況を語ります。
これでは駄目だと翌2022年にECサイトを全面リニューアルします。しかし、「ページ構成などが、どうもしっくりこなかった」そう。そこで、同じ2022年のうちに再度のリニューアルを決断。今度は、ページの構成や内容について妥協をしなかったそうです。厳しい状況であるからこそ、手を緩めずにコストをかけてでも動いたのですね。
それが功を奏して、「つやのふく」は注目を浴び始めます。その商品意義がちゃんと伝わるサイトを構築できた証しだったのだろうと、私は思います。現在では、自社のECサイトのほか、各地のシティーホテル内に展開するセレクトショップが取り扱いを始めています。
「つやのふく」を購入するのは「ほぼ100%、シニアのご家族」と深津氏は言います。「ただし、見落としていた点がありました」。
買うのはシニアの娘さんかお嫁さんだろうと思っていたら、シニアの息子さん、つまり男性も購入しているとのこと。
「意識が抜け落ちていました。今後は婦人服に疎い男性への訴求も高めたい」と深津氏は次の一手を見据えています。
1966 年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。