
やつしろサニーサイドファーム「晩白柚ジュース」
熊本県八代市の特産品である晩白柚のコールドプレスジュース。熱を加えずに、素材の旨味を引き出している
まさに「旗」が大事
この連載のサブタイトルは「旗を掲げる!」です。事業を展開する局面で「なぜ、どのように?」という姿勢を共有できる明快な旗こそが大事という思いで、このサブタイトルを付けています。では、どのような旗であるべきなのか。
前段として2つの事例をお伝えます。まず1つ目は岡山県のカモ井加工紙。同社といえば、業界初の文具用マスキングテープを開発し、大ヒットに導いたことで知られています。以前、この連載でもつづりましたね。(2022年4月号、Vol.79)
プロの職人などが現場で使う工業用マスキングテープの製造技術を生かして、同社が文具用マスキングテープを登場させたのは2008年のことでした。
「違和感を放っておかない」という姿勢を社内で共有していたことが、文具用マスキングテープである「mtシリーズ」を開発できた背景にあります。
2006年、一般消費者の女性から突然、同社に「工場見学させてほしい」との依頼があった。なぜ工業用のマスキングテープに興味を抱くのかと、同社は疑問しかなかったと言います。
しかし、その依頼を断らなかった。実際に会って、その理由を聞いたところ、「マスキングテープの透け感が、日記などの装飾に好適だから」と思いがけもしない返答だったそうです。そして彼女たちの声を頼りにしながら、mtシリーズを完成させました。
彼女たちはカモ井加工紙以外のメーカーにも工場見学の依頼をかけていたそうですが、同社のほかは全て門前払いだったらしい。違和感をそのままにしないという旗をかねてから共有していた同社だけが、文具用マスキングテープを他社に先駆けて世に送り出す好機をつかめたわけです。
攻めでも守りでもある
次は、ベンチャーグレインの苫小牧蒸溜所をめぐる話です。
北海道の苫小牧蒸溜所は2025年に完成、2026年から本格稼働が始まるそうです。国内外にその名をとどろかせるジャパニーズウイスキー「イチローズモルト」を製造する、埼玉県秩父市のベンチャーウイスキーが新会社を立ち上げ、この蒸溜所でグレーンウイスキー造りに臨むといいます。同社が自らグレーンウイスキーを製造するのは初めてのこと。
同社の旗は何かと聞いたら「ウイスキー造りには、攻めと守りの両面が不可欠」という信念でした。3年を超えて熟成させることが必要なウイスキーの世界では、原酒を熟成する樽をできるだけ多く寝かせる姿勢が、企業としての攻めであり、同時に守りでもあるからだと言います。苫小牧蒸溜所の立ち上げもまた、攻めと守りの両面から決断したと聞きました。
攻めの要素は、秩父でやりたいことはほぼやり尽くしたけれど、グレーンウイスキーづくりだけは着手していなかったから、そこに挑みたいとの判断。そして守りの要素は、ブレンデッドウイスキー造りに欠かせないグレーンウイスキーを、世界情勢が混沌とする状況下でも確保するためでした。
最年少だからこそ挑む
さて、今回はここからが本題です。「旗を掲げる」というのは、業界や企業規模にかかわらず大事という意味でお伝えする事例です。
熊本県八代市の特産品に晩白柚という果物があります。直径が20cm前後もある、世界最大級の柑橘類といわれています。ただ、八代では有名であるものの、他地域の消費者にすればあまりなじみのない存在です。
しかも、この晩白柚の生産農家は年々高齢化が進んでいて、このままでは特産品としての将来も危ぶまれています。
こうした2つの課題に直面する状況下で、1人の若手農家が晩白柚の未来に向けて動いています。
やつしろサニーサイドファーム代表の桑原健太氏です。現在31歳で、晩白柚の生産農家では最年少。桑原氏は「最年少の自分が何かを成さねば」と決断して、立ち上がりました。
まず「なぜ?」がはっきりしていますね。最も若いからという、明確な理由がそこにある。しかし、それだけではまだ「どのように?」の部分が漠然としています。
桑原氏は「そもそも晩白柚はどう口にするのが最もおいしいのか」を見極めるところから始めました。彼の結論は「ジュースにすること」だったと言います。私も実際に飲んでみましたが、搾ったばかりのジュースは奥ゆかしさも凛々しさも備えた、良い大人の味わいと表現したくなる一杯でした。
さらに桑原氏は、しっかりとした旗を掲げようと、目標を明確に言語化しました。それは「晩白柚ジュースを、八代のウェルカムドリンクとして根付かせる」でした。八代市がその旗に呼応。サポートを買って出ました。
旗は掲げることができた。ではそこからのアクションは?
桑原氏は、まず何をおいても地元・八代の人にジュースのおいしさに気付いてもらうことを最初の戦術に据えました。私はこの考えに全面賛同します。地元の人が振り向かないものに、よその人が振り向くはずがないからです。
彼はクラウドファンディングで支援を募り、1台のキッチンカーを購入。晩白柚の旬である12月から春先まで、八代の街を巡って搾りたての晩白柚ジュースを販売開始しました。1玉当たり2000円台後半から6000円はする晩白柚の果肉をたっぷりと使うため、ジュースの価格は200ccで700円とかなり立派な値段です。それでも地元で人気を集めることに成功しました。晩白柚のことはすでに知っていたはずの地元民が「ジュースにしたら、こんなにおいしいのか」と驚きの声を上げたのです。
次の一手は、通年販売
桑原氏が掲げた旗に関して評価すべきは、ただ単に「自らが育てる晩白柚で何かの6次産業化を進めればよい」と考えたのでは決してなく、ゴールをきちんと見定めた点にあります。「なぜ、どのように?」という旗が具体的で、かつ、分かりやすいものであったからこそ、地元自治体からも、消費者からも、共感を集めたのだと、私は捉えています。
桑原氏は今も歩みを止めていません。搾りたての晩白柚フレッシュジュースでは八代で評価をすでに得られていますが、搾りたてを提供できるのは、晩白柚の収穫期である初冬から春先に限られます。「晩白柚ジュースを真のウェルカムドリンクにするには、通年販売できる瓶詰めジュースの存在が不可欠」と判断し、現在、自治体の支えの下、研究施設で加工技術の確立を急いでいます。
企業にとっての旗とは、まず、自らのモチベーションを高め、社内共有するためのもの。同時に、周囲からの共感を喚起する説得力を獲得するためのもの。旗とは、この両者の源泉になるのです。
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。