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有識者連載
旗を掲げる! 地方企業の商機
「日経トレンディ」元編集長で商品ジャーナリストの北村森氏が、地方企業のヒット商品や、自治体の取り組みなどをご紹介します。
コラム 2025.12.26

Vol.120 「伝え続けることの意義」 のと鉄道

のと鉄道「震災語り部観光列車」

のと鉄道「震災語り部観光列車」
七尾湾や田園風景、のどかな里山の風景を眺めながら、震災当日や今日の能登の人々の暮らしについて話を聞くことができる



能登半島地震から2年

2026年最初にお送りする連載です。「令和6年能登半島地震」から2年。現地は復興に向けて歩みを進めています。石川県の七尾駅と穴水駅の間、33.1kmを結んでいる「のと鉄道」。2024年1月1日の地震によってトンネルの出入り口が土砂で埋まるなど大きな被害を受けましたが、懸命な復旧作業により、同年4月には全線で運行を再開できました。


この「のと鉄道」が2025年4月から季節ごとに運行している特別列車があります。これは「震災語り部観光列車」という名で、七尾駅〜穴水駅の全区間を片道1時間弱かけて走るという企画。土日曜と祝日の運行で、座席指定券は900円(税込み、乗車券・企画切符の料金は別途)です。


同社のウェブサイトか電話で乗車日の1カ月前から予約を受け付けています。時期によっては運休している期間もあるので注意してください。


私はこの「震災語り部観光列車」に、これまで2度乗りました。自然災害からの復興はたやすいものではありません。そうした中で「のと鉄道」はこの特別列車の運行に踏み切っています。そこから学べることは多いはずと考えて、能登に足を運びました。



あの日のリアル、そして今

「震災語り部観光列車」は、1両の普通列車に連結された2両編成の特別車両によって運行されていました。この2両には3名のアテンダントが同乗して、1名がマイクを通してガイドを続け、残る2名がそれぞれの車両について補足説明をしたり、乗客からの質問を受けたりしてくれます。


2両の車内には能登伝統の組子細工があしらわれるなど、見応えがありますし、輪島塗などの作品も飾ってあります。


アテンダントによる1時間弱のガイドによって、2年前の震災当日の緊迫した状況が理解できました。その日に観光列車を利用していた乗客を誘導して坂道へと急いだ後、避難施設の鍵のありかを探すのにも苦心したと言います。


話はさらに進みます。復興に向けた奮闘、そして沿線の美しい景色の解説など。


2025年5月の乗車時には「へこんどってもダメやぞ」と、崩れてしまった白米千枚田(海に面した斜面にある棚田)を有志の力で復活させた話に聞き入りました。また、2度目に乗車した10月には、印象的なひとコマにも出合いました。美しい湾が車窓の先に広がる辺りで列車は速度を緩め、そしてアテンダントが「おばあちゃんが手を振ってくれています」と教えてくれました。


アテンダントに尋ねたら「初夏のころから、こうして自主的に列車を歓待する住民が増えてきた」と言います。そんな姿に応えるように、アテンダントは車内アナウンスするようになったと教えてくれました。


震災当日の話を克明に伝えてくれるところは5月と10月で同じでしたが、ガイドの内容は少しずつ変えているのですね。


「震災語り部観光列車」を「変わらぬところ/変えているところ」という点で言いますと、間もなく終着という場面でのアテンダントの締めの言葉は、2度の乗車いずれも変わりませんでした。


アテンダントは能登の言葉で語りかけてくれます。「ほんならね。また来てくだいね。待っとんね」。乗る人の気持ちにみ入るような優しい声です。



なぜ「震災」で「観光」か

こうして2度の乗車を経験した後日、「のと鉄道」のアテンダントの1人にあらためて話を聞く機会に恵まれました。宮下左文氏という女性です。もちろん地元の方で、震災当日は列車での業務に就いていたと聞きます。


宮下氏に私がまず確認したかったのは、この特別列車の名称をどう感じているかでした。宮下氏自身も被災者であり、つらい記憶が残っていると想像します。一方で、この列車の名は「震災語り部観光列車」です。「震災」という言葉と「観光」という言葉が併記されていることに抵抗感はないのか、といった率直な思いが私にはありました。


宮下氏は言います。


「震災によって能登へお越しいただく方が少ない中で、人々の旅行先の選択肢から外れ、時とともに忘れられてしまうことへの懸念がありました」


だからこそ、「観光」という言葉を列車名に冠する意義はあるのだ、という話です。


また、次のようにも捉えているそうです。


「『観光』は柔軟に他の要素と合わせることができます。例えば、観光×ボランティア、観光×応援してもらえる気持ちなど」(宮下氏)


ああ、確かにそうですね。だからこそ、震災当日の様子を語ると同時に、観光名所や、復興への取り組みなどの要素も盛り込んでいるのですね。


「震災前、観光で多くの方にお越しいただいていた能登の姿に、少しずつでも戻さないといけない」と宮下さんは力説します。だからこそ、この先はキーワードを「災害」から、次のステップへ変化できるようと意識していきたいとも言います。


宮下氏の話を聞き、少なくとも現時点では列車名に「震災」と「観光」が併記されている背景と、そこに込めた思いをとてもよく理解できた気がしました。


この「震災語り部観光列車」は、震災前には観光列車「里山里海」として運行を続けていた車両を用いています。2024年1月1日、実際に被災した車両です。


「その車両の中で話すと、その時何があったか、よりリアルに伝わると思います。そのことで、ご利用いただく方に震災のことを感じてほしいという願いがあります」と、宮下氏は説明してくれました。



取り組みが評価され受賞

「のと鉄道」は2025年9月、国土交通省「日本鉄道賞」の特別賞を獲得しました。「震災語り部観光列車」の運行をはじめとする取り組みが評価されての受賞とのことです。


この特別列車への乗車、そしてアテンダントとして任務に就き続ける宮下さんの話を通して、私は2つのことを学びました。


1つは、能登から遠く離れた場所で生活する私たちにとって、まずできるのは「覚えていること」ではないかということ。現地の復興に向けた作業は今も続いています。私たちが忘れないことで、たとえ小さくとも何らかのアクションを今後も起こせると思いました。産品の購入、現地への旅、できることはありますね。


もう1つは、地域における共創の芽です。おばあちゃんが列車の運行に合わせて沿線に立ち、自主的に手を振ってくれる。これもまた地域における見事な共創でしょう。その意義、価値を私はしっかりと踏まえたいと感じました。

PROFILE
著者画像
北村 森
Mori Kitamura

1966 年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。