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有識者連載
旗を掲げる! 地方企業の商機
「日経トレンディ」元編集長で商品ジャーナリストの北村森氏が、地方企業のヒット商品や、自治体の取り組みなどをご紹介します。
コラム 2025.11.19

Vol.119 「続く」ための大事な一手 石見麦酒

石見麦酒
島根県江津市にあるクラフトビールの醸造所。2万円ほどで手に入る小型フリーザーと、150円のポリ袋で造る醸造法が注目を集めている



なぜ地域おこしが継続したか

2025年の初秋、島根県を訪れました。各地のマーケティングを研究する者として、地域活性学会の研究大会に参加するのが目的でした。今回は数々の発表やシンポジウムの中から、とりわけ印象に刻まれた内容を2つ、皆さんにお伝えしたいと思います。


まず、同県の海士あま町が自治体として取り組み続ける地域おこし事業についてです。町長である大江和彦氏の話が面白かった。


海士町は隠岐おき諸島の1つの島に位置します。過疎化が深刻な島だったのですが、地域産品の商品化、若年層を含めた移住促進、「大人の島留学」と名付けた町づくり人材の募集など、この四半世紀にわたって手を緩めることなく、人口減少の問題を解決すべく施策を実行してきました。


その結果、人口減に歯止めがかかるばかりか、2025年は人口増を見込んでいると聞きます。小さな離島にあって大変な成果ですね。


ここで私が不思議に感じるのは、海士町はなぜそうした施策を長い期間、途中でくじけずに続けてこられたのかという点です。こう言ってはなんですが、地域行政というのは「やってはやめて」の繰り返しという事例が多い。そこで、大江氏にその背景を尋ねてみたら、明快な答えが返ってきました。


1つは、若い世代が動きやすい環境づくりを徹底させたそうです。もし予算を超過してしまっても、若い世代の真剣な取り組みであれば、町議会がそこは大目に見たと言います。


ただし、全てを大目に見たわけではない。地域産品の開発に当たっては独自の検証制度を設けて、取り組みにブレがないかをしっかりと確認しました。こうした姿勢を貫く中で、移住者と地元民のいわゆる温度差は埋まり、人口減への対策に本気で臨むのだというコンセンサスが島の中で培われていったそうです。「続く/続ける」には、1つの覚悟がそこに求められるのだといいうことを学びました。


無人駅にブルワリー

もう1つの話を、ここからじっくりとつづりましょう。こちらは民間事業者による事例です。


同県の江津市にある石見麦酒はクラフトビールを製造販売する小さな醸造所(ブルワリー)です。現在では全国各地にたくさんのブルワリーが存在するだけに「なぜここでそんな話を?」と思われるかもしれません。順を追って説明します。


まず、このブルワリーの拠点がどこに位置するかです。JR山陰本線の無人駅である波子駅の駅舎なのです。海を背にする、のどかで風情ある集落の坂道を登った先に波子駅がたたずんでいて、確かにその駅舎のほぼ丸ごとがビールの製造拠点として機能している。工場長である山口厳雄氏によると「無人駅がブルワリーとなるのは国内初のこと」だそうです。


この静かな波子に暮らす人にもうれしい存在になったでしょうし、JR西日本の協力もまた意義深いものと思います。で、実は重要なのはここからなのです。石見麦酒はただ単に、無人駅をブルワリー化するという物珍しさだけで注目されているわけではありませんでした。


石見麦酒のビールづくりが、業界に衝撃をもたらしています。クラフトビールのブルワリーを立ち上げる場合、1基だけで100万円はかかる大きな発酵タンクを手配する必要がありました。しかし、石見麦酒はそうしたタンクを使っていません。使うのは2万円ほどで手に入る小型フリーザー、そして150円のポリ袋だと言うのです。


そんなものでちゃんとしたビールがつくれるのか ――。


実際に石見麦酒の商品を口にすると、見事な味わいです。地元の柑橘かんきつを使ったフルーツビールはバランスの妙を感じられ、私は高く評価しました。山口氏は、起業する前の職業が大手みそメーカーの技術者だったそうです。発酵や醸造の専門家として身に付けた技術があった。適当な思い付きで採用した手法ではなかったということです。


醸造法の特許を取らない理由

極めて低コストでブルワリーを立ち上げられる製造手法ですが、そこには別の意義もありました。


この手法だと、一度に醸造できるビールの量が少ないため、事業者として非効率にも感じられますが、実は真逆だというのです。山口氏は次のように教えてくれました。


「ブルワリーにとって、時間もエネルギーも大きく割かれるのは、タンクの洗浄です。この方法だとそれがいらない」(山口氏)


ああ、確かにそうですね。非効率に見えて、そうではなかった。しかも、小ロットの注文にもたやすく応えられますから、地域の他の事業者に対するOEMを受けやすい。


突拍子もないようなこの醸造法ですが、業界ではいつしか「石見式醸造法」と呼ばれ、脚光を浴び始めます。それはそうですよね。少ない初期投資でもおいしいビールを醸せる可能性があるならば、ブルワリーを起業したい人にとってはありがたい話です。


ここで山口氏はどう動いたか。


「この醸造法の特許は取得せず、求める人にこの方法を全て教えることに決めました」(山口氏)


これを聞いたとき、なかなかできる判断ではないと思いました。石見式醸造法をものにするまで、山口氏は相当に苦心を重ねたのは間違いないはずですからね。それなのに、なぜ?


「この醸造法を学びに来てくれる人が続けば、ここ波子の町を訪れる人が増えます」と山口氏は話してくれました。それが狙いでしたか。地域に何をもたらすかにまで意識を持った結果の決断であったということなのでした。


77カ所目はインドだった

そうした山口氏の考えは、しっかりと結果を出すことができています。これまでに波子の石見麦酒を訪れ、醸造法を学び、そしてブルワリーとしてその手法を採用した事業者は、北海道から沖縄まで、すでに76カ所に及んでいるそうです。


「無人駅である波子駅が、全国76カ所のブルワリーとつながった」と山口氏は言います。その意味はとても大きいと思います。


そして、次なる77カ所目はどこかというと、インドなのだそうです。醸造法を教わるために、インドから波子駅まで来てくれた事業者がいた。さらには韓国やフィリピンと、まだまだ問い合わせが続いているとも聞きます。「波子駅は、海外ともつながる無人駅を目指せるところまできました」と山口氏は胸を張ります。


この石見麦酒の取り組みは、地域における新事業をめぐって、「続く/続ける」ための大きなヒントを私たちにもたらしています。その立地選択、醸造法の確立、特許をあえて取得しない判断、そうした要素の全てが「続く/続ける」に不可欠なものとなっていますね。

PROFILE
著者画像
北村 森
Mori Kitamura

1966 年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。