市場を塗り替えたワインセラー
「ヒット商品は、時に“音も立てず、静かにやってくる”」
それが今回のテーマです。
家庭用ワインセラーの市場規模はどれくらいなのか。冷蔵庫の100分の1というのが、その答えです。冷蔵庫は年間400万台規模ですから、家庭用のワインセラーはわずか4万台にとどまっていたのです。
ところが2015年に入って、ワインセラー市場に明らかな変化が表れました。低価格かつ特徴のある商品が相次いで登場したのです。購買層がほぼコアなワインマニアに限られていた市場が、これで一変。ごく一般的なワイン好きという程度の消費者が、ワインセラーの購入を検討し始めたようです。
例えば、デバイスタイルの『CD-7』というモデルは、縦長で省スペース型のワインセラーで、実勢価格は2万円前後。収納できるのは7本ですが、スタイリッシュな本体デザインと、値段の手頃さもあって、注目を浴びています。
ベンチャー、渾身の一台
市場が小さいだけに、派手な広告宣伝が展開されるわけではないのですが、気が付けばワインセラーは着実に存在感を高めている印象です。冒頭で「音も立てず、静かに」とつづりました。鳴り物入りで登場する新商品ばかりがヒットするわけではないのが、消費トレンドの面白いところです。しかも、このワインセラー市場を引っ張る企業群を見渡すと、大手ではなく中堅・中小規模のメーカーが少なくない。もっと言えば、設立されて間もないベンチャー企業が、市場を席巻し始めているのです。
そのベンチャー企業が、今回の主役です。
さくら製作所というメーカー、本社は東京にあり、2014年に設立されたばかりです。創業の中心人物は2人。そのうちの1人は、農業機械メーカー向けの玄米保冷庫の企画設計会社を長年経営してきたそうです。もう1人は、他社でワインセラーの開発から営業まで携わってきた経験を有しています。この2人が、いわば“理想のワインセラーづくり”を目指して、ベンチャー企業を起こしたのです。
このさくら製作所が2015年1月に発売した家庭用ワインセラーは、『ファニエル』という商品名。このファニエル、広告宣伝活動を一切していないのに、現在、オーダーしても3カ月待ちの状態です。同社の開発担当者に尋ねたところ、「年間3000台売れれば経営が成り立つように目算を立てていたが、1~8月の8カ月間で、約9000台の注文が来てしまった」とのことでした。
年間ベースでみれば、間違いなく1万台を楽に上回ります。もともとが年4万台という市場規模の家庭用ワインセラーで、名もなきベンチャー企業が、それもわずかな期間で、ここまでの実績を挙げるというのは驚きです。
なぜ、ここまで売れているのか。そのスペックを知れば、十分に納得がいきます。
同社の主力モデル『ファニエルSAB-90G』を、既存のワインセラーと比べてみましょう。これは24本収納可能な機種。
まず、価格です。このモデルの販売価格が約7万6000円。これは先ほど挙げたような低価格セラーと比較すれば3倍以上の設定です。それでも売れている。ファニエルのシリーズには、5万円台半ばで購入できる12本収納タイプの機種も用意されていますが、7万円台半ばの90Gの方がむしろ人気です。
最も大きな特徴は、90Gは本体上下2つの棚で別々の温度設定ができる点にあります。これは従来の家庭用ワインセラーでは、まず望めなかった機能です。
一般に、スパークリングワインの保存温度は6~8℃、白ワインは10℃台前半、赤ワインは10℃台後半です。これまでのワインセラーは確かに低価格であり、買い求めるに当たってのハードルは低かったけれども、白ワインと赤ワイン、スパークリングワインを同時に1台のセラーに収めるには無理がありました。それが、ファニエルの90Gであれば可能になったのです。使い勝手としてこれは極めて重要でしょう。
また、設定可能な温度帯が、5℃~20℃であるのも大きい。低価格のセラーは8℃以上であるものが少なくありません。これではスパークリングワインを保管するには機能不足でした。5℃から設定できることで、使いではさらに高まっています。この90Gであれば、例えば下の棚にワインを、上の棚に日本酒を、という収納もできるからです。日本酒の保存温度帯は5℃程度ですからね。
実際に使ってみると、冷却能力も申し分ありません。本体の扉を開けると庫内の温度がいったん上がりますが、ものの10~15分もすれば、元の設定温度に戻ってくれます。さらに言えば、ファニエルにはヒーター機能も備わっているので、冬場などに室温が下がった場面でも、セラーの温度は設定通りに保ってくれます。
こう見ていくと、売れて当然である気がします。
消費者は見逃さない
「勝算は最初からありました」と、開発担当者は笑います。ファニエルの販路は大手家電量販店。営業をかけた初期の段階から「このスペックなら取り扱えます」と即答されたといいます。
ここで1つ、疑問に感じることがあります。
どうして先行する他のメーカーは、ファニエルのような機能を持たせたワインセラーを発売しなかったのでしょうか。
「分かっていても、つくれなかったのでしょう」。それがファニエル側の回答でした。
消費者のニーズがどこにあるのかを捉えていたとしても、どのような制御メカニズムにすればよいか、また、冷却器をどこに発注すればよいか、知識と実行力を備えるメーカーが事実上なかったというのです。
それともう1つ。「大手メーカーをはじめとする既存の企業では、決断のスピードが遅いため、結果としてファニエルのような製品を完成させることはできなかった」とも。だから、こうしてベンチャー企業を立ち上げて、理想のワインセラーの開発にいそしんだそうです。
「『ワインセラーとはこうあるべき』という考えを、製品を開発する上で、ただただ形にしただけ」といいますが、それを貫くのは大変であったと想像します。「1つ1つの発想のピースを、商品にはめ込んでいく作業だった」と開発担当者は振り返ります。その結果、コアなマニアだけでなく、フォロワー層も取り込めたのです。
ワインセラーのような家電製品に限らず、消費者は商品ごとの「わずかな差」をも見逃さずに購入選択することを、このファニエルの事例が見事に物語っている、私はそう思います。ライバル商品よりたとえ値段が高くても、購入後の満足度を優先するということでしょう。
消費増税下で消費者への負担が増えているこの時代、人は「高価な商品を買いたくない」のではなく「どうでもいい商品を買いたくない」という方向にかじを切ったとも表現できそうです。突き抜けた商品であれば、製造元の有名無名は問われない、ということでもあるでしょう。