その他 2019.07.31

Vol.47 「万人狙い」は正解か:TAPP

 


簡単に魚をさばけるようになる魔法の包丁

 

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サカナイフ
TAPPは、もともと銅像の原型や、釣りに用いるルアーの製造を手掛けていた。社長が漁師の仕事を経験する機会があり、その折、「一般の人々にもっと魚を食べてほしい」との思いが募り、「サカナイフ」の開発着手を決断。2017年と18年の2度にわたって公開したクラウドファンディングでは、実に1300万円もの資金を獲得。一般発売後も品切れが続いている。販売価格は1万5120円(税込み)

(株)TAPP
https://www.tapp-craft.com/

 

「あなた」を狙うこと

2019年に入って生まれたヒット商品の多くには、一つの共通項がある気がします。

それは「万人を狙って中庸な商品を作るのではなく、たとえ客層の取りこぼしがあっても、あえて特定のターゲットに絞り、商品特性を先鋭化・明確化させている」ことではないかと思います。

東京・銀座で2019年4月に開業した「MUJI HOTEL」は、「無印良品」を展開している良品計画が手掛けるホテルです。料金は安くない上に客室はそう広くない。それでも、無印良品のファンに響く演出が魅力。

また、埼玉・飯能に登場した「ムーミンバレーパーク」は、既存の人気テーマパークのようなアトラクションの充実度を期待していくとがっかりします。しかし、トーベ・ヤンソンの原作に親しんでいる人にとっては、たまらない空間となっている。

狙うべきは、明確な「あなた」なのだと、あらためて感じましたね。その「あなた」をきちんと見いだせているかどうかが、ヒットを創出できるかどうかの分かれ道と言ってもいいと、私は考えます。

今回取り上げるのは、1本のナイフです。値段は決して安くありません。1万5120円(税込み)もしますから、並みの刃物より相当に値が張ります。

ところがこのナイフ、2017年と18年の2度にわたってクラウドファンディングサイトで公開すると、合計約1300万円も集まりました。今やクラウドファンディングの公開案件は驚くほど多岐にわたりますが、1000万円を超えるものはほとんどありません。この獲得額は相当なレアケースであると断言できます。

そして2018年に一般発売するや否や、生産が間に合わないほどの品薄状態続き。もう一度言いますが、価格は1万5120円です。

いったいどういうナイフだというのか。そのうたい文句を聞けば、「ああそういうことか」と感じる人もいらっしゃるでしょう。

これ、「魚をさばいたことのない人や、なかなかうまく魚をさばけない人でも、簡単にさばける」と言い切っているナイフなのです。その名を「サカナイフ」と言います。開発したのは、富山県射水市のTAPPという中小企業です。

 

 

TAPP代表取締役社長 丸山達平氏と、妻の真由美氏

 

本当にたやすくさばけた

私、購入するまで半信半疑……と言いますか、「疑」の方が勝っていました。誰でもさばけるということが本当にあるのだろうかと。

不器用さにかけては相当なものと自認している私が、実際にサカナイフを買って、さばけるか試してみました。私は魚をさばいた経験がほぼありません。

まず、恐る恐るアジに挑戦。説明書通りにやると、3分もかからず、身がちゃんと取れた。

次はアジより魚体が大きいサバです。こちらの方が簡単でした。魚が大きい方が、むしろたやすいのかもしれません。

だったら、と、タイにも挑みました。試してみたら、予想に反してスルスルとさばけました。骨ぎしのところを、刃が面白いように流れていくのです。時間にして3分強。

手順さえ覚えれば、たいがいの魚は同じようにさばけます。私、高級魚であるアマダイにも挑みました。魚体がつるんとしていて、難儀するはずだと踏んでいたのですが、あっけないほどたやすくさばけました。

 

 

今まで存在しなかった商品

今もヒットを続けるサカナイフですが、なぜここまで売れているのでしょうか。

TAPP社長の丸山達平氏は、こう言います。

「魚をさばいたことのない人は多いじゃないですか。主婦層であってもそう。でも、出刃包丁でさばくのでは、あまりに敷居が高い。ごく普通の主婦が出刃包丁で魚をさばくイメージって、あまり湧きませんよね」

そこにピタリと照準を合わせたのがサカナイフということです。丸山氏は、包丁業界のある人物からこう言われたそうです。

「業界内には、まずこういう商品を作ろうという発想がなかった」

聞けば、開発コストとして1000万円かかったそうです。初回生産のロットは1000本。「これをどうやって売り切ろうか」と悩んでいたものの、瞬く間に完売。

開発コストを回収するのに何年かるかと不安を抱いていたところが、まさに一瞬で回収できたのです。

丸山氏は、仏像など造形師としての仕事に携わる傍ら、独自の形状や機能を有するルアーの製作も始めていました。そうした中で、漁業の世界から声が掛かり、実際に漁師としても2年間活動した。その時に、ある思いを強く抱いたといいます。

「せっかく取った魚なのに、街のスーパーマーケットではしばしば売れ残るのです」。要するに丸のままの状態で陳列される魚は、消費者から敬遠されてしまいがちなのです。そこで、「誰もが簡単に魚をさばけるナイフが必要と考えました」。しかし、丸山氏はナイフへの知識は皆無でした。

 

 

天然のタイを、素人がさばいてみた

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1.まず、ナイフの背の部分でうろこをこそぎ取る
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2.ナイフの切っ先を使って、タイの背側に切り込みを入れていく
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3.続いて、タイの腹側にも同じように切り込みを入れる
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4.ナイフの腹の方で、頭をぶった切る。刃が鋭く、意外や容易
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5.先ほど入れた切り込みを手掛かりに、骨と身の間にナイフを
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6.思いの外、簡単に天然タイをさばき切れた。ここまで3分強

 

社員の反対を押し切り開発

まず考え始めたのはナイフ開発のことではなく、「そもそも魚をどうやってさばくか、それ自体でしたね」。その過程で重視したのは「手っ取り早さ」「1本でいけるという分かりやすさ」でした。

それでも、現在のサカナイフの形状、つまりナイフの刃の腹と背の両方を使うスタイルで、かつ、切っ先をとがらせるという発想はなかなか出てこなかった。最初は出刃包丁の延長線上のようなものでした。削っては「これも違う」と感じることの繰り返しだったと丸山氏から聞きました。

魚をさばくのに、プロの料理人などは“逆包丁”という手順を使うこともあります。これはヒラメなどをさばく際に、包丁の向きをあえて逆側(外側)になるように握り、魚をさばく方法なのですが、素人の方には絶対に無理だそう。

そこで丸山氏は考えました。「この逆包丁の手順を素人でもたやすくできるような作りにはできないか」つまり、「刺して押すだけ」で逆包丁と同じような道理でさばける仕様にする。ここからアイデアが形になっていきました。

しかし、良いことばかりではなかったようです。サカナイフ開発の途上で、当時在籍していた2人の社員が退職しました。理由は「サカナイフ」の開発に反対だったからだそうです。「売れるはずがない、と強く言われましたね」(丸山氏)

この段階で、サカナイフの価格は1万5210円になりそうだと計算しており、「そんな高価なナイフが受け入れられることはない、という思いも当時の社員2人にはあったようです」。魚をさばくためのナイフなら、1000~2000円ほどで購入できるのが常ですから。

ただし、それはあくまで腕に覚えのある人のための商品であり、サカナイフのように魚をさばいた経験のない人、あるいは魚をさばくのをもう諦めた人に向けた商品では決してありませんが……。

その後は丸山夫妻だけでの開発を続行したといいます。

 

顧客の意外な反応

さて、「誰でも魚をさばける」という、相当に思い切ったキャッチフレーズを掲げた、サカナイフ。ターゲットである魚をさばいた経験のない、あるいは魚をさばくのをもう諦めた消費者からの「ちゃんとさばけなかった」といったようなクレームは届いていないのでしょうか。

「それが、実はないんです」(丸山氏)

ごくわずかに、小さな魚種では少し手間取るという声があった程度だそうです。

その一方で、不満の言葉を発してきたのは、釣り師などプロかそれにごく近い人たちに限られていたといいます。「これなら出刃包丁で十分、事足りるじゃないか」というのですね。

これ、実に示唆に富んだ話だと私は感じました。サカナイフに対して文句の声を上げたのは、つまり、「すでに魚をさばける人」ということです。しかし、そもそもサカナイフはそうした人たちを対象に定めた商品ではない。

要するに、誰を狙った商品か、最後までぶれずに通し切ったというわけです。この商品を届ける「あなた」が明確だった。

見事だと言わずにいられません。

 

 

 

 

PROFILE
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北村 森
Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。