その他 2019.03.29

Vol.43 一度成功した、その後に:デアルケ

 

トマトジュースが大ヒットした農園
2007年、三重県紀北町で設立された農園。トマトやイチゴなどを育てるだけでなく、加工品の企画・生産・販売までも一気通貫で手掛ける、6次産業型のビジネスを展開。2015年に発売した「デアルケ200%トマトジュース」は数カ月から1年待ちとなるほどの大ヒット商品となった。次に目指すのは、ホオズキの栽培、そしてホオズキを原材料とした「世界初のホオズキワイン」の開発。
デアルケ 三重県北牟婁郡紀北町東長島347-4
http://www.dealke.com/

 

スーパードライの教訓

最初にちょっとだけお話ししたいのは、アサヒビール「スーパードライ」の逸話です。

「えっ、中小企業をテーマにしたこの連載で大手企業の話をするの?」と読者の方は思われるかもしれませんが、少しだけお付き合いください。

スーパードライは1987年に発売され、登場後、瞬く間に大ヒット。「ドライ旋風」を巻き起こし、業界のシェア図すら大きく変えるほどに成功した商品です。そして今もなお、超売れ筋商品として存在感を保持しています。

でも、このスーパードライ、いっときは売れ行きを鈍らせているのです。それは1990年代の半ばのことでした。バブルがはじけた後の不況下で、低価格の発泡酒がヒットを飛ばし、さらにはキリンビールの「一番搾り」が勢いを伸ばしていました。

危機感を覚えたアサヒビールは、スーパードライのリニューアルを急いで検討し始めます。味を変えるのか、パッケージを変えるのか、それとも、と……。会議は紛糾極まったそうです。

そのような状況が続いた結果、スーパードライの商品担当責任者は、上層部の前で力説しました。

「一度成功したブランドが次に成すべきことは一つです」

そして言葉を重ねました。

「成すべきことは自らのブランド価値を信じること、それに尽きます」

浮き足立って、テコ入れを急いだり、リニューアルが必須だと動いたりするのではなくて、自分の商品の価値を再認識することが大事だというのですね。担当責任者の言葉に上層部は納得し、スーパードライは、大リニューアルに向かうのではなく、そもそもの持ち味であった「商品の鮮度」をあらためて訴求する策を取ります。そしてブランドとしての存在感をさらに高めることに成功しました。

 

 

7時間以上煮詰めて作られる「デアルケ200%トマトジュース」。素材であるトマトは、高い糖度とバランスの取れた酸味にこだわって栽培されている

7時間以上煮詰めて作られる「デアルケ200%トマトジュース」。素材であるトマトは、高い糖度とバランスの取れた酸味にこだわって栽培されている

 

異例のヒット商品を開発

このエピソードはとても大きな示唆を含んだものであると、私は常々感じています。

ただ単に、一度成功した商品をかたくなに守れとか、やみくもに次の基幹商品を開発するのは愚かだとかいうことではありません。守るならどう守るべきか、また、次の商品で攻める際には何が大事かを考える上で大事な部分を示していると思うからです。

すでに認知されているブランドは大事にすること。そして次の商品づくりにも、その粋を丁寧に生かすこと(ノンアルコールである「ドライゼロ」の成功など、まさにそう)が重要という話ですね。

さあ、ここからが、今回の話の本番です。

三重県の紀北町という、美しい海と山々に囲まれた地域に、「デアルケ」という農園があります。農園主は岩本修氏。現在、30歳代の青年です。

デアルケの話は、この連載で2016年11月号につづっていますから、覚えていらっしゃる方も少なくないかと思います。簡単に概略をお伝えしますね。

2007年に設立し、トマトの生産を始めました。同社が育てた生のトマトは甘くておいしく、地元の消費者の間で評判になりました。では次に何をやるか。岩本氏が目指したのは、トマトジュースの開発です。

商品名は「デアルケ200%トマトジュース」といい、極めて甘いのがその特徴です。搾った果汁を半量になるまで7時間以上煮詰めて、それを丁寧に濾すという、相当に凝った製法を採りました。「トマトジュースは甘味こそが命」と岩本氏が考えた末の方法でした。

このトマトジュース、すぐさま全国規模で売れて、今でも注文してから1年近く待たねばならないという状況にあります。

それほどまでのヒット作を有しているデアルケが、今度は何をやるか。トマトジュースの大幅増産なのか。いや、岩本氏は「無謀に生産量を増やすのは、設備投資の面から言っても賢明ではない」と踏みました。では、生食用トマトの販売強化か。

「全国各地にはおいしいトマトがありますから、そこは冷静かつ慎重に取り組みたい」(岩本氏)

だったら、何なのか。

 

三重県北牟婁郡紀北町の風景。世界遺産である熊野古道の「馬越峠」や「始はじかみ神峠」などを有する自然豊かな町だ

三重県北牟婁郡紀北町の風景。世界遺産である熊野古道の「馬越峠」や「始はじかみ神峠」などを有する自然豊かな町だ

 

 

とても甘く芳醇な香りがする新しい果物、フルーツホオズキ。糖度は約14度から18度とイチゴより甘い

とても甘く芳醇な香りがする新しい果物、フルーツホオズキ。糖度は約14度から18度とイチゴより甘い

 

 

同じナス科の作物を栽培

岩本氏が選んだのは、ホオズキの栽培だと言います。

いやいや、それだと今回の冒頭で書いた「一度成功したブランドが、自らの価値を信じること」という話にたがうじゃないか、と思われるかもしれませんね。でも実際は、そうじゃないらしい。

「トマトもホオズキも同じナス科の植物です。育て方もよく似ている」(岩本氏)

なるほど、いきなりとっぴな方向にかじを切るわけではないのですね。トマトを手掛けてきた経験やノウハウをそのまま生かせるから、という読みがそこにある。

しかしですよ。ホオズキは確かに食用にもなりますが、さほどの販売量はありませんよね。多くの消費者にとって一般的な存在ではないでしょう。

「実際に食べてみると、これが凄まじくおいしいんですよ」(岩本氏)

私も口にしてみました。完熟したホオズキだったのですが……ああ、これは「すごい」の一言です。甘美な香り、とろける食感、澄み渡った味わい。これまで知らなかったことを恥じました。これは例えば一線級のメロンと肩を並べるほどと言っていいかもしれません。

しかしながら、前述のようにそれを知る消費者は、ほぼいないはずです。販売するのは至難の業ではないでしょうか。

そこは承知の上だと岩本氏は言います。ではどうするのか。

 

左からデアルケの岩本修氏、カタシモワイナリーの高井麻記子氏。カタシモワイナリーの醸造所は、工場に隣接する古民家を買い取り改修した(写真右)

左からデアルケの岩本修氏、カタシモワイナリーの高井麻記子氏。
カタシモワイナリーの醸造所は、工場に隣接する古民家を買い取り改修した(写真右)

 

老舗ワイナリーとの協業

「ホオズキワインを開発します」

岩本氏はそう話しました。ワインと言えばブドウが原材料ですね。また一部にはイチゴを使ったワインも存在しています。しかしデアルケはホオズキでワイン造りに臨むというのです。

梅酒のように果実をアルコールに漬け込む手法ではなく、ホオズキそのものを発酵させてワインのように仕込むということ。そういったホオズキ原料のワインは、世界中を探しても、少なくとも商品ベースではまず存在していないようです。

なぜまたホオズキワインを思い立ったのか。もう想像が付きますね。トマトジュースでの成功があったからです。

デアルケの200%トマトジュースは、500mlボトルが1本当たり3000円以上します。相当な高価ですね。それでも、いわば「まだ見ぬもの」を渇望する消費者は注文し、「よそでは買えないもの」だからこそリピートする。だったらホオズキワインも同じように訴求できるはずだ、と岩本氏は踏んだということです。

ここでも、トマト農家として6次産品を育んできた知見を生かしたわけですね。生のホオズキの魅力を伝え続けると同時に、ワインという嗜好性の高い商品で消費者に訴え掛けるという戦術は、なるほどと感じさせます。

とはいえ、ワイン醸造はジュース作りにも増して難しい部分がありますね。ホオズキは糖度が意外に高い(完熟イチゴより高い15度ほど)とはいえ、20度以上あるワイン用のブドウよりは低い。

ここで力を貸してくれたのがサントリーだったそうです。ワインの専門部署の技術者が、ホオズキワインの試作に臨み、製法を編み出してくれたのでした。

で、実際にホオズキワインを醸してくれるのは?大阪府柏原市で100年以上の歴史を刻む老舗「カタシモワイナリー」が手を挙げてくれました。同社の5代目である高井麻記子氏は、醸造を担う決断をした理由をこう話します。

「話を聞いた当初は『ホンマにやるの?』と驚きました。でも、うちが受けなかったらよそは受けないだろう、と。面白い挑戦と思ったから協業に踏み切った」

 

過疎の町をなんとかしたい

仕込みを2月に終え、現在、完成を待つ段階です。仕上がりは恐らく、美しく輝く金色。言ってみれば、白でも赤でもロゼでもない「金色のワイン」が誕生するはずです。(販売受け付けは4月以降にデアルケのWebサイトで行う予定)

岩本氏はこうも言います。

「紀北町は過疎の町で、休耕地も目立ってきました。ホオズキワインを軌道に乗せて、ホオズキ栽培に携わる人を増やし、この町を元気にする一助としたい」

金色のワインがもたらす効果は、思いの外大きいかもしれません。

 

 

 

 

PROFILE
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北村 森
Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。