その他 2017.02.28

vol.18 人間関係に、 お疲れ気味ではありませんか?

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2017年3月号

出来事そのものではなく、考え方に注目してみる

「論理療法」では「人は、出来事そのもので悩むのではない、受け止め方、解釈の仕方で、悩んだり、不快になったり、逆にハッピーになったりするものだ」と説いているのです。同じAという出来事でも、受け止め方・思考(B)次第で、あなたの気持ち・幸不幸(C)がまるで変わってくるというわけです。
國分先生は著書の中でさらに分かりやすい例を出していました(『18歳からの人生デザイン』図書文化、2009年)。それを私流に解釈して抜き出してみます。
学校の先生のケースです。
・A(出来事)=生徒の1人が反抗的な態度をとった
・B(受け止め方)=教師は全ての生徒に好かれなければいけないのに
・C(結果・あなたの気持ち)=自分は教師失格だ・そもそも向いていない(鬱々……)
もうお分かりですね?  真面目で良心的な人であればあるほどBをゆがめて解釈してしまいがちです。「全ての生徒に好かれる先生」など、そういるものではありません。いくら評判の良い先生でも、生徒の反抗的態度にさらされることは大いにあり得る話です。
これを「他人事」と笑っている場合ではないかもしれません。心優しい人の中には「全ての人に好かれたい」「1人でも自分を嫌いな人がいたら落ち込んでしまう」と考え、「嫌われないように!」と周囲にいる全ての人に気を使いまくり、ノイローゼになってしまうというケースもなくはないのです。
ノイローゼまでには至らなくとも、「嫌われたくない」という気持ちが大きくなると、自分の本音を口にしたり、見せたりすることが難しくなります。
「私が本当に感じたことなど言ったら、誰かを傷つけたり嫌われたりするかもしれない」といつもニコニコ、無難で、当たり障りのないことしか言わない「よく分からない人」になる恐れがあります。
こういう人のことを「自己開示のできない人」と言います。人は案外、わがままだったり、おっちょこちょいだったり、時には他人の気分をちょっと害したりということは、あるものです。それが「その人らしさ」とも言えます。「欠点をまるで見せない人」からは「親しみやすさ」も感じられないかもしれません。「完璧であろう」とすることでかえって「取っ付きにくい人」と疎まれることもあるから要注意です。
冷静に考えれば「全ての人に好かれたいなど、お釈迦さまでもキリストさまでも難しいこと」だと分かるのですが、私たちはそういう罠にときどき陥ってしまうことがあります。だからこそ、科学者のような「客観的・論理的なまなざし」で、自分を俯瞰してみることが必要なのかもしれません。
私の仲間には、60歳で役職定年後、再雇用された人が何人もいます。「元部下」をサポートしながら楽しく働く人がいる一方で、「なんで俺があんな若造の下で働くんだ」と不満を漏らす人もいます。
前者は「役職定年後再雇用」(A)という出来事・事実を、「役割と立場が変わっただけ」(B)と謙虚に受け止め、「残業もないし、責任も軽くなったのに給料がもらえてありがたい」(C)と納得しているから、楽しく働けるようです。
後者は、Aという出来事・事実を「会社や部下たちはこれまで通り自分を尊敬し、待遇すべきだ」と考えがちだから、結果として「情けない、憂鬱だ、むなしい」(C)とスッキリしない日々を過ごしているようなのです。
このように「出来事そのものが人を不幸にするのではなく、考え方が人の幸不幸を決めることもある」(『生活にいかすカウンセリング心理学―思いこみをなくせば生き方が変わる』國分康孝著、中央法規)と知っておくことは、悪いことではありません。
人間関係に疲れたり、ちょっとしたこだわりにとらわれたり、迷ったりしたとき、このABC理論がお役に立てたら何よりです。

 


筆者プロフィール
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梶原 しげる (かじわら  しげる)

早稲田大学卒業後、文化放送に入社。20年のアナウンサー経験を経て、1992年からフリーとしてテレビ・ラジオ番組の司会を中心に活躍。49歳で東京成徳大学大学院心理学研究科に進学、心理学修士号取得。東京成徳大学経営学部講師(口頭表現トレーニング)、日本語検定審議委員も務める。

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