その他 2016.04.28

vol.8 採用側が「大学名」に こだわると損する理由
梶原しげる

shigeru_banner
2016年5月号

学歴にこだわりすぎると 

「有名な大学を出た学生が、優秀で仕事ができるとは限らない」。長年の経験でそう実感していた私に賛同の声が!

「ほぼ同じ程度の頭なら、レベルが高いとされる有名学校の学生より、レベルが低いとされる無名校の学生の方が、ずっとモチベーションが高く、有能だ」と某有名企業の採用担当部長は言うのです。

わくわくしてきました。もしそうだとすれば、採用で高学歴にこだわる企業は、実は「貧乏くじを引き続け、損し続ける残念な組織」かもしれないのです。何だか「ざまあみろ」です。

これは「与太話」ではなく、大規模な心理学調査で実証された、れっきとした「心理学的真実」なのです。私も聞いたときは驚きました。


小さな池? 大きな池? 

J・デイビスという社会学者の古典的な論文や、インターネット上でも公開されている、心理学者H・W・マーシュらの研究成果を、モチベーション研究の新鋭、筑波大学の外山美樹准教授が自著『行動を起こし、持続する力―モチベーションの心理学』(新曜社)で素人にも分かりやすく紹介しています。

それをさらに嚙み砕き、「超訳」にてお届けする無礼をお許しください。

西洋では、人のやる気について説明するとき、しばしば「Big-Fish-Little-Pond」ということわざが引用されるといいます。直訳すれば「大きい魚、小さい池」ですが、外山准教授はこれを「小さな池の大きな魚」として説明しています。

読者の皆さま、頭の中で、イメージしてみてください。

「小さな池」の中で、自分以外に比較するべき魚の姿が見えない環境なら、たとえ実際には大きくも立派でもない魚も、「俺ってビッグだぜ、よろしく!」と、矢沢永ちゃんみたいにカッコよく存在感や自信を表現できそうな気がしませんか?

それに比べると「大きな池」の魚は、池の巨大さや周囲を泳ぎ回る巨大魚に比べ、あまりにちっぽけな自己の存在を目の当たりにして、「自分はなんて取るに足らない存在なんだ」という卑屈な気持ちや不全感から、やる気がドンドンしぼんでいきそうじゃありませんか?

デイビスは調査研究を行う前、こう思っていたのだそうです。「レベルの高い大学に進んだ学生は、有能感(自分には能力がある、できる! という自信)が高まり、学業や職業意識へのモチベーションが高まるはずだ。だって、その学生はレベルの高い連中の仲間だし、切磋琢磨して自分をブラッシュアップしているのだから……」

ところが、調べてみると逆だったのです。すなわち、レベルの高い(名門大学の)学生ほど有能感もモチベーションも低く、レベルの低い(無名大学の)学生の方が、やる気に満ちている。

「一体全体、何でそんなことになるのだ?」

思索を深め、デイビスは「学業レベルの高い、エリート有名大学(大きな池)では良い成績が取りにくく、それが有能感やモチベーションを低下させる要因になっている」という仮説を導き出したようです。

この仮説を、「大きな池の小さな魚」、つまりレベルの高い名門大学に所属し、有能感・存在感の低い人になるよりも、「小さな池の大きな魚」、つまり、レベルが低い無名大学の所属でも、有能感・存在感の高い人になる方が良い」という意味で表現したようなのです。

この考えはあくまでも仮説だったのですが、近年前述のマーシュら学者たちの研究により、その説の正しさが証明されたというわけです。