その他 2019.02.28

Vol.42 82歳の和子さんが学び続ける理由

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2019年3月号

定年退職後にやりたかったこと

和子さんが学び直しを始めたのは、56年連れ添ったご主人の「勉強好き」に少なからざる影響を受けてのことだと、10回の講義を全て終了した後あらためてお話を伺い、知ることとなりました。

ご主人との出会いが、そもそも「学びの場」でした。小学校の若き栄養士として献立を考えそのメニューを書いて印刷(当時はガリ版で手書きしたものを謄写版印刷するという、とんでもなく手間が掛かった時代でした)、そして肝心な調理の仕込みなど孤軍奮闘する彼女をサポートしてくれたのが、その頃に同じ学校で夜間に警備のアルバイトをしていた早稲田大学理工学部の大学生。それが縁となりお2人の交際が始まり、その後、和子さん26歳、夫29歳の時、めでたく結婚となりました。

夫の会社は日本を代表する合金鉄メーカー。新生活をスタートさせた1960年代と言えば、高度経済成長の真っただ中です。夫は新婚生活をエンジョイする暇もなくひたすら仕事に没頭し、転勤での地方暮らし、また南アフリカやメキシコなど、会社の拠点がある地域への長期にわたる単身赴任で、気が付いたら65歳の定年を迎えたのだそうです。和子「夫はいわゆる『モーレツ社員(当時の流行語)』。日夜、会社のため、家族のため必死で働きました。そして定年直後、彼が私に宣言したんです」

梶原「なんと?」

和子「ここから先は、やりたくてもできなかったことをやるんだ!と」

梶原「それって、なんですか?」

和子「勉強ですって」

梶原「え?早稲田の理工でも、職場でも、嫌というほど勉強なさったんじゃないですか?」

和子「夫は子どもの頃から、土いじりとか、大工仕事が大好きだったんです。でもそういう時間が、勤め人時代はまるで持てなかった。そこで定年直後、近所の東京農業大学が主宰する園芸講座に通い、『園芸理論』を1年間しっかり学びました。その後は世田谷の瀬田農業公園フラワーランドが開いた園芸講座教室で、花作りや花壇作りの実践をみっちり2年。さらにそこを卒業したOBでつくった『友の会』で学びを深め、公園整備のボランティアにも力を注いでいました」

梶原「老後は少しは2人でのんびり楽しくと思ったでしょうに、ご主人が勉強ばかりしているんじゃ、ガッカリでしたねえ」

和子「いえ、そうでもないんです。そのお手伝いを私も一緒にやらせてもらいました。ホームセンターに行って大きな材料を買ってくるんです。それを家の駐車場で切ったり、貼ったり、たたいたりして、公園のベンチや花壇の枠の部品を作ります。車に乗せて現場である公園に持って行き、組み立てるんですが、その助手を務めたのが私です。くぎのサイズなんかも使うパーツごとに全部違いますから、それぞれに必要なものを言われなくても、サッと差し出すんです。私もそういうのが好きでしたから」

和子さん、助手役を心から楽しんでいたんですね。

勉強熱心で読書家の夫は自分のための立派な書棚を作ったり、家事を楽にするため独自に考案した「キャスター付き家具」をプレゼントしてくれたりしたんだそうです。