その他 2018.08.31

vol.1 世界最大の時短国家・ドイツ

プライベートな時間を確保しながら効率よく働き、生産性を上げるにはどうすればいいのか――。ドイツ流の働き方から、日本の新しい働き方へのヒントを探る。

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「働き方改革」は、いま日本人が最も関心を持っているテーマの一つである。大手企業の若い働き手の過労死や過労自殺をきっかけに、労働時間についての議論が盛んに行われている。2018年6月29日には、残業時間を減らすことを目的とした改革法案が参議院本会議で可決された。過労死や過労自殺を防ぐために、初めて残業時間の上限が設定されることは喜ばしいことだ。

だが、同時に高収入の社員には労働時間の規制を撤廃する「高度プロフェッショナル制度」も導入された。このため市民の間からは、「新しい法律が施行されることで本当に残業時間が大幅に減るのだろうか」という疑問の声も上がっている。

営業社員が3カ月の育休を取れる国

働き方について日本とまったく違う道を歩んできたのがドイツだ。「なぜドイツ人はこんなに労働時間が短いのに、経済が回るのでしょうか?」。私は1990年からドイツに住んでおり、この国へ派遣された日本企業の駐在員からよくこういう質問を受ける。

日本企業からドイツ企業に出向中の山田氏(仮名)は、毎日午後6時にはオフィスがほぼ無人になり、管理職くらいしか残っていないのを見てびっくりした。深夜まで残業をしている社員は1人もいない。

6月27日、サッカー・ワールドカップのドイツ対韓国戦が午後4時(ドイツ時間)から行われたが、午後3時には大半の社員が家で試合の生中継を見るために退社してしまった。この会社はフレックスタイムを導入しているので、社員は「時間口座」の収支が期末でマイナスにならなければ、何時に出社、退社しても構わないのだ。ドイツでは大半の企業がフレックスタイムを導入している。
※労働時間貯蓄口座:例えば製造業界の所定労働時間は週35時間(旧西ドイツ)。1日の所定労働時間は「35時間÷5日」で7時間となる。1日の労働時間が7時間を超えると、労働時間貯蓄口座にプラスの時間が記録される。7時間よりも少ないとマイナスの時間が記録される。

社員たちは交代で2週間から3週間の有給休暇を取っている。山田氏が驚いたことに、課長や部長も2週間の休みを取る。有給休暇を残す社員はおらず、管理職を除けば消化率は100%だ。女性社員だけではなく、男性社員が2カ月から3カ月の育児休暇を取ることも日常茶飯事だ。しかも企業は育児休暇を取っている社員のポストを別の人で埋めてはならない。山田氏は、ドイツ人の営業社員が3カ月の育児休暇を取るのを見て、「これでよくお客さんが怒らないな……」と感心した。

労働時間が短いのはこの会社だけではなく、ドイツの大部分の企業が似たようなシステムを取っている。

ドイツは世界で最も徹底的に時短を進めている国だが、経済は絶好調である。1時間当たりの労働生産性や市民1人当たりの国内総生産(GDP)は日本を上回る。この国に長く住む日本人からは「ドイツの方が日本よりもワークライフバランスが良い」という声をよく聞く。実際、ドイツでは長時間労働による過労死や過労自殺、残業が恒常化したブラック企業の存在は日本ほど大きな社会問題になっていない。

もちろんドイツと日本の企業文化や商慣習、顧客に接する態度、メンタリティーの間には大きな違いがある。このためドイツのやり方や法制度を100%日本に移植することは難しいと思う。それでも、ドイツ人たちの働き方や法制度には、日本人のヒントになるものがいくつかある。

この連載ではドイツ人たちの働き方だけではなく、高い労働生産性を可能にした社会的背景を詳しく紹介しながら、日本でも採用できる働き方のヒントについて考えていきたい。

 

 

日本よりも350時間短い労働時間

日本とドイツはどちらも、ものづくりが強い経済大国だ。しかし、その働き方には大きな違いがある。まずドイツ人の労働時間は日本人に比べて圧倒的に短い。

経済協力開発機構(OECD)によると、ドイツの労働者1人当たりの2016年の年間労働時間は1363時間で、日本(1713時間)より約20%短い。彼らが働く時間は、日本人よりも約350時間短いことになる。2位のフランスと比べても109時間短い。ドイツ人の労働時間はOECD加盟国の中で最も短い。

ドイツの労働時間は日本よりも20%短い
OECD加盟国の2016年の労働者1人当たりの年間平均労働時間(抜粋)
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※資料:OECD

さらに意外なことに、ドイツ人は短い労働時間で、日本人よりも多くの付加価値を生み出している。OECDによると、2016年のドイツの国民1人当たりのGDPは4万8990ドルで、日本(4万1541ドル)よりも約18%多い。言い換えれば、日本人はドイツ人よりも毎年350時間長く働いているのに、国民1人当たりのGDPはドイツよりも約18%少ないのである。

ドイツ人の労働時間は日本より短いが1人当たりのGDPは日本よりも18%多い
国民1人当たりのGDP(2016年)
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※資料:OECD

この労働時間の短さは、日本とドイツの労働生産性に大きな格差を生んでいる。労働生産性とは、労働者が1時間当たりに生み出す付加価値(GDP)である。OECDによると、ドイツの2016年の労働生産性は68ドルで、日本(46ドル)に比べ約48%も高い。つまり彼らは日本人より短く働き、日本人より多く価値を生んでいることになる。

もちろん、労働生産性は業種ごとに異なる。例えば、日本の自動車産業の労働生産性は、ドイツよりもはるかに高いといわれている。しかし、日本のサービス業の労働生産性はドイツよりも大幅に低い。OECDの統計には製造業からサービス業まであらゆる業種が含まれている。日本では、自動車など一部の業種で労働生産性が高いのに、サービス業の労働生産性が低いので、全体としてはドイツに水を開けられているのだ。

現在、世界中の企業にとっては、労働生産性の改善が重要な課題になっている。日本も例外ではない。機関投資家も、投資先を選ぶ際に労働生産性が高い企業に注目する傾向がある。つまり労働生産性が低い企業は、投資家からの資金が集まらなくなる可能性もある。全ての経営者にとって、労働生産性の改善は重要なテーマである。

ドイツの労働生産性は日本よりも48%高い
OECD加盟国の労働者1人が1時間ごとに生むGDP
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※資料:OECD

 

 

1日10時間を超える労働は法律で禁止

なぜ、ドイツの労働時間は日本よりも大幅に短いのだろうか。その理由は、大きく分けて2つある。最も重要なのは、法律だ。ドイツ政府は、勤労者の健康を守るために、労働時間についての法律による縛りを日本よりもはるかに厳しくしている。

ドイツの労働時間法によると、1日の労働時間は原則として8時間を超えてはならない。つまり月曜日から土曜日までの労働時間は、最高48時間に制限されている。1日当たりの労働時間は10時間まで延長できるが、他の日の労働時間を短くすることによって、6カ月間の平均労働時間を、1日当たり8時間以下にしなくてはならない。1日につき10時間を超える労働は、禁止されている。この上限については例外が認められず、「繁忙期だから」とか、「客からの注文が急に増えたから」という言い訳は通用しない。経営者は、業務が増えそうだと思ったら、社員1人当たりの1日の労働時間が10時間を超えないように、社員の数を増やさなければならない。

ドイツの経営者団体は産業別労働組合と交渉して労働協約を結び、1週間の所定労働時間を決定する。その際にも1週間の労働時間は、48時間を超えてはならない。例えば1週間の所定労働時間は、銀行業界では39時間、繊維業界では37時間、金属・電機メーカーでは旧西ドイツで35時間、旧東ドイツで38時間となっている。つまりドイツの所定労働時間は、産業ごとに異なるのだ。

さらに、監督官庁による労働時間の監視が日本よりも厳しい。事業所監督局という役所が時折抜き打ちで、企業の社員の労働時間の記録を検査する。その結果、企業が社員を組織的に毎日10時間を超えて働かせていることが判明した場合、事業所監督局は、企業に対して最高1万5000ユーロ(195万円)の罰金を科すことができる。

事業所監督局は、特に悪質なケースについて、経営者を検察庁に告発することができる。例えば、企業経営者が長時間労働について摘発された後も、同じ違反を何度も繰り返したり、社員の健康や安全に危険を及ぼすような長時間労働を強制したりした場合である。

裁判所から有罪判決を受けた場合、企業経営者は最長1年間の禁固刑に処せられる可能性がある。長時間労働を社員に強いるブラック企業の経営者には、罰金ばかりでなく刑務所も待っているのだ。つまり、労働時間の規制を守らない経営者は、「前科者」になるリスクを抱えている。

企業の中には、罰金を科された場合、長時間労働を行わせていた部長や課長など管理職にポケットマネーで罰金を払わせることがある。さらに長時間労働を部下に強いていた管理職の社内の勤務評定は非常に悪くなる。このため、ドイツの管理職たちは繁忙期でも社員たちに対し口を酸っぱくして、1日10時間を超えて働かないように命じるのだ。

会社によっては1日の労働時間が10時間近くなると社員のパソコンの画面に「このまま勤務を続けると労働時間が10時間を超えます。10時間を超える労働は法律違反です。直ちに退社してください」という警告が出るケースもある。

また管理職のパソコンの画面にも、1日の労働時間が10時間を超えると警告が出るように設定している企業もある。

このようにしてドイツ企業の管理職たちは、売上高や収益を増やすだけではなく、部下たちの労働時間の管理にも心を砕かなくてはならないのである。

日本の働き方改革は残業時間に上限を設けるものだが、ドイツでは1日当たりの労働時間に上限を設けている。これは大きな違いである。

 

 

 

 

PROFILE
著者画像
熊谷 徹
Kumagai Toru
1959年東京生まれ。早稲田大学卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中に、ベルリンの壁崩壊などを取材。90年からはフリージャーナリストとしてドイツに在住。『5時に帰るドイツ人、5時から頑張る日本人』(SB新書)など著書多数。