•  
有識者連載のメインビジュアル
コラム
有識者連載
各分野の有識者や、さまざまな領域の専門家による連載です。
コラム 2024.03.01

Vol.100 「100年生きながらえる」ために:谷口化学工業所、朝倉染布、亀屋革具店、アークティック

何を変え、何を変えないか   本連載は第100回を迎えることができました。読者の皆さんにあらためて深くお礼申し上げます。   せっかくの連載100回目ですから、「100」にちなんだ話を今回はお届けできればと思います。100年の歴史を刻む中堅・中小企業に共通するものを、ぜひ一緒に考えてみましょう。   私の専門領域は商品の分析ですから、ここでお話ししたいのは財務や人事のことではなくて、やはり商品にまつわる考察です。時代の変遷や市場環境の変化の中で踏ん張ってきた企業が世に送り出してきた商品から、学び取れる要素はどこにあるのか。   私なりの答えを先に言いましょう。100年企業の商品たちを見回してみると、ああ、そういうことかもしれないと理解できる事柄が1つ挙げられます。それは「何を変えて、何を変えないか」の峻別が明快であることです。   これは何も100年企業の商品に限ったことではなくて、数十年単位で売れているロングセラー商品を語る上でも見逃せない要素です。大手企業による商品の代表例として挙げるならば、アサヒビールの『アサヒスーパードライ』など、まさにそうです。   スーパードライは1987年の発売直後から大ヒットを飛ばします。ところが1990年代に入って、キリンビールが『一番搾り』のヒットで逆襲。この場面でアサヒビールはどのような手を講じようとしたか。   同社はスーパードライを慌ててリニューアルしませんでした。当時の担当者が話していたのですが「一度成功したブランドにとって極めて重要なのは、自らのブランド価値を信じること」と強く考えたのだそうです。ただし、スーパードライの持ち味である「鮮度」を訴求する手立てはしっかりと取って対抗した。   ちなみにスーパードライが派生商品を矢継ぎ早に出したり、大型リニューアルに踏み切ったりしたのは、ここ数年のことです。   つまり、スーパードライが今も売れ続け、近年「生ジョッキ缶」や「ドライクリスタル」といった派生商品のヒットを生んでいる背景には、その時々で「何を変えて、何を変えないか」を真剣に見極めたからだと言えます。   話を戻しましょう。100年企業の商品においても「何を変え、何を変えないのか」の峻別が大事ということを、ここからいくつかの事例を挙げながらお伝えしていくことができればと思います。     100年企業のSDGs  
谷口化学工業所 自然から作ったケアセット エゾシカの脂が原材料に含まれる革製品ケアセット   東京都墨田区の谷口化学工業所は1910年に創業。「日本最古の靴クリームメーカー」として知られています。『ライオン靴クリーム本舗』というブランド名を書いた方が、なじみがあるかもしれません。きっと多くの方が目にしたことがあるでしょう。   靴クリームだけでなく、カバンなどの革製品全般に使えるケア商品を長年開発・販売してきた同社ですが、2020年に『自然から作ったケアセット』をはじめとした「自然から作った」シリーズを登場させました。ケアセットの値段は3300円(税込み)ですから安くはない。ところがシリーズ全体での出荷数は、当初想定の10倍という反響を呼び続けています。   創業から110年を経たタイミングでの新シリーズです。開発した5代目に話を聞いたところ、このシリーズは北海道のエゾシカの脂を原材料にしているとのこと。靴や革製品を手入れするためのクリームやジェルにエゾシカの脂を使うという前例は、業界でまずなかったそうです。   なぜまたエゾシカの脂なのか。5代目によると、エゾシカの脂は流通量が少なくて、調達価格は既存の原料に比べると5倍以上は優にするらしい。それでも採用を決めたのには、いくつかの理由があったと言います。   1つ目は、エゾシカの脂は動物性でありながらさらりとしたテスクチャーで、原材料として好適だと気付いたこと。そしてもう1つは、北海道で駆除されたエゾシカの脂は行き場のない存在であったと知ったことでした。害獣として駆除が致し方ないのであれば、生かせるところは生かすのが大事ではないかと5代目は考えたわけですね。だから、たとえ調達価格がかさんだとしても、覚悟を持ってエゾシカの脂を用いようと判断したのだそうです。   その結果、この商品シリーズのサステナブル志向な性格が百貨店のバイヤーなどから高く評価されて、先ほど触れたような実績を挙げるに至ったわけです。   では、変えなかったところはどこか。同社では既存商品を含め、原則として、容器に中身を詰める工程やパッケージのラベル貼りは、本社工場での手作業だそうです。その方が明らかにきれいな仕上がりになるからだと言います。そうした細部への心遣いを21世紀になった今も守っているそう。   谷口化学工業所の話は、商品の製造工程で長年大事にしてきたところを守りながら、価格が高くなっても勝負どころでは攻めの姿勢をとることが大事と踏まえた点が勉強になります。   5代目が開発した「自然から作った」シリーズの革オイル。北海道で駆除されたエゾシカの脂をはじめ、天然由来の成分だけで作った環境にも革にも人の手にも優しい商品   「染め屋」だからこそ  
朝倉染布 超撥水風呂敷 ながれ 高機能な撥水加工が施された風呂敷   次の事例は、群馬県桐生市で1892年に創業した朝倉染布。織物の町として知られる桐生で、同社は「染め屋」として技術を培ってきました。   染め屋とは、織物や生地に加工を施す役割を担う工場の呼び名です。朝倉染布がとりわけ得意としてきたのは撥水加工。オリンピックのメダリストが着用した高機能な競泳水着の撥水加工も、同社が手掛けてきたと聞きます。技術力は他社にない同社だけのものがあるという証しと言って良いでしょう。   ただし、悩みどころもありました。分業制が確立している業界で、撥水加工の工程だけを担う立場ではなかなか利益が出にくい。だったら「主力の事業と並行する形で、自社ブランド商品を開発すれば良い」と思われるかもしれませんが、これがまた難しかった。社長によると、21世紀に入って間もないころからアロハシャツやケープなどの製造・販売を試みたのですが、失敗に終わったそう。社長は当時のことを振り返り、「強いコンセプトワークがそこになかったから売れなかった」と反省します。ではそこからどう動いたか。   2006年、同社が発売したのは風呂敷でした。21世紀になった今、なぜ風呂敷なのかという声が社内からあがったそうです。しかし、1人の役員が「自分が欲しいのはこれだ。自分が欲しいものを作りたい」と粘り腰で臨んだのだそうです。   その名は『超撥水風呂敷ながれ』。値段は1枚3000円台。安くはありませんね。発売初年度はわずか1300枚しか売れなかったらしい。それが現在では年間2万~4万枚規模で推移していて、同社の大事な事業として根付いています。風呂敷の図柄は60以上にも増えているとも言います。   それまで何度か挑んではしぼんでいった自社ブランド商品と、この風呂敷は何が違ったのか。1つ目は、営業活動に本腰を入れたこと。以前は大手メーカーを相手に加工賃の交渉に専念していた担当者たちが、小売に必要な手法を自ら学び、ドブ板戦術と言えるような営業をかけていった。2つ目は、見本市でアピールするために、風呂敷の上から水をかけ続けて撥水力をその場で見てもらえるような装置をわざわざ作りました。3つ目は、発売から2年たった段階で外部デザイナーを起用して図柄に力を注ぎ、その後、女性社員で編成するプロジェクトチームによってプロモーションを進めたそうです。この風呂敷のユーザーの9割が女性という背景を受けての判断だったと言います。   女性チームは「風呂敷の正統進化」「水を撥じく布」というキャッチコピーを発案して、さらに訴求を続けました。その結果、スポーツジムの帰り道にこの風呂敷で汗をかいたウエアを包んだり、ワインや日本酒のボトルサック代わりに使ったりと、さまざまな使い道が広がっていったそうです。   では、変えなかったところは?   それは「自社での加工」という部分でした。朝倉染布の生命線は撥水加工技術の高さにこそあるわけで、自社加工でないと意味をなしません。「染め屋」の本領を発揮すべきところは譲らなかった。   100年以上かけて培った加工技術あっての新商品だったのですね。   『超撥水風呂敷ながれ』は表面も裏面も水をはじく。バッグ状に結んで中に水を入れれば、バケツのように水を運ぶこともできる     決して「頑な」ではない  
亀屋革具店 ビジネスバッグ ほぼ手縫いのオーダーメードバッグ   ここで、本連載で過去に紹介した事例を1つ、少しだけ振り返りたいと思います。   1915年創業である亀屋革具店の話です。青森県弘前市にある革製品の工房であり、注文するには現地を訪れるしかありません。ネット通販も大都市圏での催事もないからです。オーダーメードのカバンの場合、月に7点ほどしか製造できないから、やむなくそうしていると聞きました。そして注文から手元に届くまでは、なんとおよそ1年待ちです。   そんな亀屋革具店ですが、10年ちょっと前にはネットでのオーダーも、一時受け付けていたそうです。でも、すぐにサイトを閉鎖しました。   「注文をお待たせしているお客さまがいるのに、同時にネットで注文を受けるのはちょっとなぁと思った」からだそうです。   ただし、個人的な話でとても恐縮ですが、数年前、私が手掛けるクラウドファンディングサイトの特集で、東京の高校生たちが考える「父親に携えてほしいカバンづくり」のプロジェクトを立ち上げた場面で、亀屋革具店は二つ返事でカバン製作に協力してくれました。私自身、恐る恐るといった感じで依頼の相談をしたのですが、「高校生のためになるのでしたら」と即答だったのです。   こんな経緯を思い出し感じるのは「何を変え、何を変えないか」の峻別というのは決して何かに頑ななまでにこだわるという話とは少し違うのかもしれないということです。亀屋革具店の場合、一度はネット通販を試み、そしてすっぱりと中止した。その一方で、ネット通販の一類型とも言えそうなクラウドファンディングであっても、内容によっては積極的に対応したわけですからね。   大正4年に馬具製造で創業した亀屋革具店。馬具以外の革製品へと製造をシフトした今でも、培われた技術は生きている。ネット通販や支店はなく、製品を購入する手段は青森県弘前の店に足を運ぶしかない     100年を目指す  
アークティック 北極 アイスキャンデー 一本ずつ職人が手作りする大阪名物のアイスキャンデー   今回の締めくくりに、もう1社ご紹介しましょう。まだ100年を超えてはいませんが、きっと100年を迎えられるだろうと私が期待している商品の話です。   大阪市中央区のアークティックは、難波で1945年に創業し、今も老若男女でにぎわう店舗「北極」を運営している企業です。ここのアイスキャンデーを、地元・大阪の方ならずとも一度は口にしたことがあるかもしれません。   1945年といえば終戦の年です。数年前に興味が湧いて、ここの3代目に会いに行って尋ねたことがあります。「終戦の年に創業して現在に至るまで、アイスキャンデーの何を変えて、何を変えなかったのですか」と。   変えていないのは、まず、斜めに棒を刺している姿。これは最後まで食べやすくするためと聞きました。製法や中身も基本的に手を入れていないらしい。砂糖の仕入れ先も、吉野ヒノキを使った棒を使うところも守っているそう。どうしても調達する原材料を見直さなければならない場合には、「よりおいしい方向に」が鉄則とのこと。   では、変えたのはどこか。味についてはちょっとだけ変更しています。昔は、夏はさっぱり、冬は甘めだったのを、現在は通年同じに仕上げている。次に包装です。1990年まではセロファンの手巻きだったのを袋入りに変更。また、90年代前半に全国向けにネット通販を始めています。かなり早い決断なのが面白い。そして、ここ10年ちょっとで、回転焼きやデニッシュドーナツを店頭で販売し始めました。   守るところは守り、攻めるところは攻め、また、時に柔軟な姿勢で変更も施しているのですね。   100年を目指すとはつまり、そういうことなのだと、改めて感じ入った次第です。   棒には抗菌作用の強い奈良県吉野産のひのきや杉を採用。後味がさっぱりしている白双糖という砂糖を使用するなど、同社のこだわりは初代から脈々と引き継がれている      
PROFILE
著者画像
北村 森
Mori Kitamura
1966 年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。 製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。 日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。