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コラム
有識者連載
各分野の有識者や、さまざまな領域の専門家による連載です。
コラム 2021.09.01

Vol.23 「これからのラグジュアリー」の種

服飾史研究家の中野香織氏   

本連載で度々触れてきたように、2020年6月より招待制の「ラグジュアリーの新しい意味を探る勉強会」を毎月オンラインで開催してきた。そこで見つけた「これからのラグジュアリー」の種を読者の皆さまへ共有したい。

    抵抗し主流を変える新旧の衝突   ラグジュアリーの範囲はファッション、クルマ、グルメなど多岐にわたり、中でもファッションは最も早く新しい動向を見せる。そこで「ラグジュアリーの新しい意味を探る勉強会」ではファッションに詳しい服飾史研究家の中野香織氏に共同主宰者となってもらった。メンバーには中野氏のようなファッションへの造詣が深い人が欠かせなかった。   会の参加者は10名前後だ。実業家、メディア、アカデミア、デザイン、戦略コンサルタントの方など、どなたも実力派として評価の高い方である。   毎回3時間、濃密な議論を重ねている同会。プログラムのうち1時間ほどは、主宰者が依頼したテーマを常連メンバーかゲストスピーカーに話してもらい、残りの時間を議論に使う。例えば、本連載の第21回(2021年7月号)で触れたガンディーとラスキンの関係についてのテーマは、静岡大学の本條晴一郎氏がこの勉強会で話した内容だ。今回は、中野氏と同会の1年を振り返った際に話し、印象に残っていることを紹介したい。   中野氏はクラシコム(生活雑貨を取り扱うECサイト「北欧、暮らしの道具店」を運営)代表取締役である青木耕平氏の言葉をまず引用した。   「青木さんが『この会の目的はラグジュアリーにおける宗教改革なのですね』とおっしゃったとき、すごく考えが整理されたような気がしたのを覚えています。19世紀に英国で起こったダンディズムが『抵抗』の表現であったように、ファッションの歴史は抵抗の歴史です。今、ラグジュアリーの新しい意味を探る動きがあるのは、従来のハイブランドの在り方に疑問を抱く人たちが抵抗しているからなのでしょうね」(中野氏)   その時々の主流に違和感を抱き、人々が抵抗していくことで、ラグジュアリーの目指すべき目的地を変えていく。その過程を青木氏は、16世紀のヨーロッパに起きた新旧キリスト教の衝突である宗教改革になぞらえたのだ。   メインストリームに属する人達が世間で「品の良い正統派」とされ、新しく勢いを持ち始めた人たちが自らの「格上げを図る」目的で正統派のラグジュアリーをまねる。そのような繰り返しが歴史にはある。20世紀にラグジュアリーの代表と称された英国やフランスのブランド(ダンヒルやエルメスなど)も、格上げを図るため19世紀につくられたものが多い。年数を経るに従い、「品があるもの」として目が肥えた人たちが評価するようになる。このような構図があった。   「誰しもが本物を好きで、本物を気取ったものは嫌われるのです。19世紀、英国の文人、トーマス・カーライルやウィリアム・メイクピース・サッカレーたちは、その手の“ニセモノ”を強く批判しました」(中野氏)   ラグジュアリーは本物と正統性が常に問われる。ただ、実はここに答えはない。   前回(2021年8月号)に取り上げたが、文化には常に他文化の要素が混じっており、本物や正統性を厳密に問い始めると必ずと言ってよいほど議論が起こる。したがって、ラグジュアリーの世界では批判精神が大事なのだが、本物や正統性は論理だけでは片が付かない。この複雑さをくぐり抜けるためにうまいロジックの運びとその際の態度が大切で、洗練された考え方が必要になる。       ラグジュアリーの本質的要素は「余裕」   中野氏はデザインファームのTakram(タクラム)でコンテクストデザインに携わる渡邉康太郎氏の提示したアプローチも興味を引いたと話す。   渡邉氏は、歌人である穂村弘氏の『はじめての短歌』(成美堂出版、2014年)の中から「例えば、ぼくのことを最初『穂村さん』って言っていた人が、恋愛関係になると『弘さん』になって、『ひろくん』になって、『ひろぴょん』とかなってとうとう『じょんじゃんぴょん』とかになる」という一節を引用された。   ラグジュアリーには「自らが変わらないこと」と「自らが変わること」の両方があると渡邉氏は指摘し、その後者の極みが「じょんじゃんぴょん」だと例えたのである。   ラグジュアリーの基本要素には、永続性や普遍性が挙げられる。「時々によって容易に移りゆくものはラグジュアリーに値しない」と主張する人もいる。ラグジュアリーが文化遺産をよく参照するので、永続性とひも付けることを当然と受け入れるのだろう。   しかし、渡邉氏は永続的に変わらないと思われるもの(先述の例でいうところの恋人の呼び名)も、愛することで柔らかく変わっていく「余裕」があり、それが「自らが変わる」ラグジュアリーであろうと指摘しているのだ。   余裕については他の回のゲストの方々も言及していた。   日本経済新聞の『NIKKEI The STYLE』の副編集長である太田亜矢子氏は、余裕がラグジュアリーの根底にあることを強調する。「英語のconsumptionに『消費』という漢語を当てたのは江戸時代末期から明治時代初期の西洋哲学者である西周でした。もともとの中国語での意味は『ゆったりとした気持ちで日がな過ごすこと』です。当時は、当然、消費社会ではありませんでしたし、良い物を買い、長く使うというような意味を込めたようです」と語ってくれた。現代では消費という言葉にはせかせかした印象を抱きがちであるが、実の意味はそうではなかったのだ。   高級男性下着メーカーTOOT(トゥート)の社長である枡野恵也氏も「受け手の心のゆとりがラグジュアリーを味わう大前提であるのは、当たり前のことだと思います。少し前の、大衆にも分かりやすい記号消費としてのラグジュアリーなら、ひょっとしたら心にゆとりがなくても、『アンタ、こんな高いもの私のために……(涙)』みたいな意味で、ある程度は価値を感じられたのだと思うのですが」と話していた。   開発途上国でバッグやジュエリー、アパレルなどを生産し、アジア圏で販売しているマザーハウスは、2020年から「RINNE(リンネ)」という、使われたバッグを回収して新たな製品に作り替えるプロジェクトを開始した。代表取締役副社長の山崎大祐氏は「RINNEは自分が日々使うものの文脈に思いをはせる、心のゆとりがある人に売れるヒット商品になっています。特に30歳代以下の方たちは、再利用のレザーを新品と同じように見ています」と教えてくれた。       ラグジュアリー領域で働く人材の教育   某大手企業のインハウスデザイナーである松原優子氏は、英・ロンドンにあるセントラル・セント・マーティンズ大学(以降、セント・マーティンズ大)の教育経験を話してくれた。彼女は同大学でグラフィックデザインを勉強した。松原氏について中野氏は次のように話す。   「松原さんの語り口は独特で、ストレートに論理的な伝え方をせず、道草をしているような話の進め方で、でも最後は目的地にさりげなく何気なく格好良く到着しているんですよね。体を張ってファッションをやっている人はこうでなくてはなりません。こういう『attitude(姿勢)』というのは大学の教育と環境でもまれた結果、後天的に身に着くものなのか、生来のものが教育で強化されたのか、その両方だと思いますが、お話全体がとにかく姿勢の大切さのお手本そのものでした」(中野氏)   大手ラグジュアリー企業には、マネジメントとクリエーティブの2つの重要な部門がある。マネジメント部門については連載第5回(2020年3月号)で紹介したように、各国大学に設置されたラグジュアリーマネジメントの修士コース卒業生が担っている。欧州のトップファッションブランドのクリエーティブ部門を担うアートディレクターは、ロンドンのセント・マーティンズ大とベルギーのアントワープ大学の出身者が双璧を成しているとの評価がある。   松原氏が話したセント・マーティンズ大の立地や新旧校舎の間取りについて中野氏は次のように話す。   「フランスのコングロマリットであるLVMH(エルヴェエムアッシュ モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)がセント・マーティンズ大の卒業生を多く雇用しているなど、つながりが強いことは有名ですが、キングスクロスという立地がポイントであるという指摘に膝を打ちました。近くのセント・パンクラス駅からユーロスターで仏・パリまで乗り換えなしに2時間半。LVMHのレクチャーシアター(講義室)もここにあるということも知り、すでにLVMHが教育の段階からそのレベルまで深く関わっていることに衝撃を受けました」   松原氏は古い校舎と新校舎の間取りを説明し、建物の環境がいかに人に影響を及ぼすのかを教えてくれた。旧校舎は迷路のような造りだったのに対し、新校舎は透明性が高く建物の中心に機能を集中していたという。   「新校舎になってからは、恐らくLVMHのようなコングロマリットにとっては非常に都合の良い、マーケティングしやすいファッションが生まれやすくなったのではないかと想像します。   旧校舎的な性格を象徴していたのが、多くのトップデザイナーを育てたルイーズ・ウィルソンですね。教え子の一人だったデザイナーの信國大志さんが語っていたのは、ルイーズは服の作り方ではなく『おまえは誰なんだ、おまえは何者なんだ』とアイデンティーをぐいぐい掘り下げさせるような教育をしていたということです。結果、アレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノみたいな尖ったスターがどんどん生まれたのですね。透明性の高い新校舎でこういう教育は難しいだろうなと感じます」(中野氏)   同校の教育は、技術よりもむしろ大きなコンセプトをつくることに重きが置かれるようだ。日本の服飾の学校では、コンセプトメイキングの職に就きたい人でも、自らの手を動かして服を作ることを課する学校が多い。私が見る限り、欧州でも自らの手で作れることを条件とする教育機関はあるが、それでも日本ほどには義務の度合いは高くないようだ。   中野氏の言葉をさらに続けよう。   「セント・マーティンズ大のファッションデザインにおいては、ハンドライティングが最重要で、量産にふさわしいかや、ウエアラブルであるかなどは、度外視されるようです。つまり、同校は『手に職をつける』タイプの職業訓練校ではない。学生の夢や妄想を命がけで守らせることを重視する学校だと思います。『夢も妄想もない学生は卒業しても食べていけない』と。   ファッション誌にはモード誌と呼ばれるジャンルがあります。中でもエリート意識が高いのは『VOGUE(ヴォーグ)』ですが、VOGUEを筆頭にモード誌は実際に着られるかどうかをあまり問題にしません。ショーのコンセプトないし世界観は何なのか、デザイナーは何を考えているのか、作品が時代とどのように関係しているのか、そういう記事を書きます。その意味で、セント・マーティンズ大とVOGUEは同じところを見ていると言えます」   ビジネスにおけるビジョンの重要性が語られて久しい。ビジョンを持つには広範囲の視点が必要だが、それには迷路のようなルートを、寄り道しながら適度なリズムで進んでいくのがちょうど良い。       経済合理性を超えたビジネスの在り方   私がラグジュアリーの新しい意味を探り始めた動機の1つは、現在、スウェーデンのストックホルム商科大学でイノベーションを教えるロベルト・ベルガンティー教授の唱える「意味のイノベーション」である。ラグジュアリーの意味付けが変わりつつある今、どのように意味が変わっていくか、あるいは変えていくかに私は関心があった。しかし、リサーチしていくうちに関心の対象はより広がった。   勉強会に参加する方々の動機はそれぞれに違う。ただ、はっきりしているのは家族との大切な時間でもある土曜日の夕方、「経済合理性を超えたビジネスの在り方」というロマンを語ることに夢中になったり、知的に楽しんでくれたりする人たちであるということだ。   日本でラグジュアリーを語ると「狭い価値観の人」と思われやすいが、実際のラグジュアリーは広い価値観に基づいている。まず、この点から偏見をひっくり返していく必要がありそうだ。        
PROFILE
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安西 洋之
Hiroyuki Anzai
ミラノと東京を拠点としたビジネスプランナー。海外市場攻略に役立つ異文化理解アプローチ「ローカリゼーションマップ」を考案し、執筆、講演、ワークショップなどの活動を行う。最新刊に『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング)。