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コラム
有識者連載
各分野の有識者や、さまざまな領域の専門家による連載です。
コラム 2021.03.01

まず、1人で動き始める 出汁茶漬け 網元茶屋

    出汁茶漬け 網元茶屋 愛媛県産のハモを使った料理は通常の「骨切り」ではなく「骨なし」で提供。卓越した技法を用いて、わずか数分間で骨そのものを包丁で取り除く 愛媛県松山市二番町1-2-11 10B     埋もれてしまった技術   2020年来の新型コロナウイルス感染拡大の中で、私が感じたことがあります。それは「1人でも始められることがある」、もう1つは、その一方で「1人ではできないこともまたある」ということ。   今回の話は、まさにその両方の意味を良く理解できる事例です。   愛媛県松山市の繁華街に、「出汁茶漬け 網元茶屋」という和食の名料理店があります。店の名の通り、お茶漬けが人気なのですが、そこに至るまでの料理の数々もまた出色の内容で、全国各地から集まるファンも多い一軒です。   この「網元茶屋」の店主である塩沢研氏は、ある秘技の使い手でもあります。ハモのさばき方が独特なのです。普通、ハモといえば、数ミリ単位で細かく骨切りしてから料理に使いますね。これはハモには入り組んだ骨があるためで、今から100年ほど前に、京都で考案された仕込みの手法とされています。言ってみれば、ハモは骨切りするのが当たり前。今ではそんな感じですね。   ところが塩沢氏は、ハモを骨切りしません。わずか数分間で、小骨を含んだ全ての骨を、1つ残らずスッと取り去る技術を会得しているのです。実はこの技術、100年以上前には、多くの料理人が会得していた技でもあったそうです。でも、骨切りがいつしか主流となり、ほとんどの料理人はそこに疑問を持たなくなった。骨を抜くという手法は、いつしか忘れ去られたものになったのですね。   塩沢氏は言います。「本来、魚介類には包丁が入らない方がいいですよね。旨みが逃げますから。その意味ではハモも骨切りしない手法が、味としてはよりいい」   確かに、私も以前に網元茶屋で口にしましたけれど、肉厚で上品な甘みをたたえたハモは、骨切りしたそれでは味わえないものでした。これがハモなのか、という驚きがそこにあった。     自粛期間中の取り組み   2020年5月。コロナ禍によって、塩沢氏の網元茶屋も休業を余儀なくされました。人気店でも、この社会環境下ではお手上げですね。   この時期、塩沢氏はどうしたのか。   「愛媛県内の料理人に、ハモの骨抜きの技術をマンツーマンで教えることを決めました」(塩沢氏)   えっ?いくら苦境と言っても、現在では塩沢氏くらいしか持っていないかもしれない技術を、惜しげもなく、他の料理人さんに伝えてしまっていいのですか。   「私だって、若い時に先輩から教わったわけです。自分で考案したのではない。だったら、私自身も他の料理人に伝えるべきです」(塩沢氏)   口コミが広がり、1カ月で30人ほどの料理人が、塩沢氏のもとを訪れたといいます。講習料は1人1時間30分ほどで、食材(ハモ)の費用込みで5000円としたそうです。秘技を教えるにはかなり安い。   「いえ、これでいいのです」と塩沢氏は言います。なぜか。塩沢氏はこう考えたそうです。   そもそも、愛媛県はハモの一大産地です。それがあまり知られていないのは、水揚げされたハモの大半が関西に送られるからですね。でも、地元産のハモを調理する料理人が増えれば、アフターコロナの段階に入った後、愛媛県にハモ目当ての顧客が訪れてくれるかもしれない。そのためには、今この苦しい時期に、料理人同士が連携することだ。そういう話です。     街に潤いをもたらす   塩沢氏は強調します。「だから、周りの料理人に技を伝えることに、ためらいは全くなかった」   なるほど。塩沢氏の店に限らず、愛媛に行ったら骨を抜いた肉厚のハモを食べられたとなれば、コロナ禍が落ち着いた後、食に聡い多くの人が、この地を訪れるかもしれない。街がにぎわっていないと、塩沢氏の店にも人は来ません。ならば、街へにぎわいをもたらすにはどうすればいいか、それを塩沢氏は考えたわけです。そして、和食のみならず、フレンチ、イタリアン、中国料理など、さまざまな分野の料理人が骨抜きの技法を学んだ。骨を抜いたハモであれば、料理の可能性は広がります。   そうした料理人たちに、塩沢氏はいつもこう告げていたそうです。「この技を自分で止めないでね」。どういうことか。教わったら、今度は教える側に回ってほしい、ということです。そうすれば、ハモの可能性はさらに高まり、地元のハモ漁師も、卸関係者も、そして配送業者も潤います。「私一人では愛媛に人を呼び込んだり、関係者に利益を大きくもたらしたりすることはできないけれど、料理人みんなが動けば、それが叶うかもしれない。そういう思いでした」とも塩沢氏は言います。     地域が反応した   そして、2020年9月、塩沢氏のもとに、八幡浜漁業協同組合と八幡浜商工会議所のメンバーが訪ねてきました。塩沢氏の持っている技術と取り組みを知り、地元を元気にするために力を貸してほしいと依頼しに来たと言うのです。   そして10月、「えひめ技あり鱧プロジェクト」が立ち上がりました。八幡浜料飲組合、八幡浜商工会議所、それに地元の愛媛新聞社などが旗振り役となり、実行委員長には八幡浜市でホテルを営む社長が就きました。要するに、地元を挙げてのプロジェクトとなったわけです。その狙いは、骨抜きの技法を料理人に身に付けてもらって、プロジェクトの加盟店を増やすこと。それにより、ハモの県内消費を拡大させること。   塩沢氏の役目は2つ。このプロジェクトへ参画を希望する料理人に、ハモの骨抜きの技術を教えるのと、技術試験の採点役を担うという話です。塩沢氏は快諾しました。   このような社会状況が続いていますから、愛媛に多くの人がハモ目当てで訪れるのは、もう少し先の話になるかもしれません。でも、この状況下で、こうして地域の人々が連携を進めていることにこそ大きな価値があると私は感じています。   1人の料理人が動き、周囲の料理人がまたそれに呼応し、さらには業界をまたがって地域が動いた。「1人ではできないことがある」と塩沢氏は踏まえていたからこそ「まず1人で動き始めた」のです。   最後に、塩沢氏はこうも話してくれました。「このプロジェクトのいいところは、既存のもの、既存の腕を持って果たせるところでしょう」。まさにその通りですね。すでにその土地にあった財産を活用したという点もまた、大事なところだと思いました。そしてきっと、こうした財産は、全国各地に埋もれているはずです。          
PROFILE
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北村 森
Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。