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コラム
有識者連載
各分野の有識者や、さまざまな領域の専門家による連載です。
コラム 2019.12.16

Vol.2 ラグジュアリーへの疑いが盲点を生む

 

「ラグジュアリー」をキーワードにした本連載。もともとラグジュアリーに疑いの目を持っていた私自身が、ラグジュアリーについて取材や考察を重ねて、考えがどう変わったのか、なぜそのタイトルが「ラグジュアリーブランド論」ではなく「ラグジュアリー論」なのかを伝えたい。

ラグジュアリー論の“誤解”の始まり ラグジュアリーをテーマとする、私自身の個人的動機に触れたい。 前回(2019年11月号)にも書いたが、ラグジュアリーを語るには少々配慮が必要である。「品がない」「時代錯誤だ」と見る向きもあるからだ。かく言う私自身、ラグジュアリーについてこうして語る自分を以前は想像できなかった。それだけラグジュアリーに対してネガティブだったのである。 ラグジュアリーブランドといえば、日本のバブル経済時代のフランスとイタリアのファッションブランドを想像する人がいるかもしれない。オリジナルだけでなくライセンス品がちまたにあふれ、あらゆる雑貨に有名ブランドのロゴが付いていた時代だ。そうした「ロゴで何でもお金にする」商売の筆頭が、ラグジュアリーブランドであると思われる土壌が、そのころにつくられた。 この源流には、次のようなことがある。 1960年代に日本人の海外渡航が自由になり、例えば1970年代、パリのシャンゼリゼ通りの「ルイ・ヴィトン」の前に日本人観光客が長い列を作っていたという逸話だ。そして、次にこういう反応がくる。 「ラグジュアリーブランドは、本当にお金や地位のある成熟した欧州の人が持つ物で、日本の庶民の家庭の若い子が持つ物ではない」  しかし、この高級品と大衆の「見え」との結び付きこそが、ラグジュアリーをブランドとして「戦略」に打ち出す一つの契機になっている。かつて「並外れた人々の普通な物」であったのが、「普通の人々の並外れた物」になったのは、ラグジュアリーの転換と拡散だ。そして今、ルイ・ヴィトンの前に行列を作っているのは中国人である。 ラグジュアリーブランド・ビジネス時代の幕開け 世界のラグジュアリーブランドを引っ張るフランスのLVMH(エルヴェエムアッシュ モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)は、1987年にモエ・ヘネシーとルイ・ヴィトンの合併によって設立された。ルイ・ヴィトン自体は1854年設立であり、同社が海外展開を始めたのは20世紀初頭。そのころには、ニューヨーク、ワシントン、ロンドン、アレッサンドリア、ブエノスアイレス、ムンバイに店を構えていた。しかし、第2次世界大戦で海外の店は全てなくなり、フランス国内の2店舗だけ残った。 戦後、海外に最初に進出したのは1978年で、その時、東京と大阪に店を出した。 これが、それまでのいわば「西洋文化の浸透している世界」からルイ・ヴィトンが一歩外に踏み出した契機になっており、「ラグジュアリーブランド・ビジネス」時代の幕開けである。 その10 年後、LVMHが創立した。このグループ企業が、すでにプレステージにあるさまざまなブランドを買収し始めるのはこの後である。2018年時点でのLVMHの売り上げは、およそ5兆6000億円だ。 従って、このあたりの事情が皆の知るところになればなるほど、ラグジュアリーブランド戦略のモデルはLVMH、あるいはフランスのコングロマリットにしかないとの刷り込みがされていく。私もそうだった。これが反省の出発点である。   ラグジュアリーブランドへの見方が変わった経験 私がラグジュアリーブランドに関心を持つようになった理由の一つに、イタリアでブランドの裏事情をよく知るようになったことが挙げられるだろう。フランスやイタリアのブランドの服やバッグは、イタリアの地方にある小さな工場で生産されているケースが少なくない。「フランスには手仕事を得意とする工場が充実していないから、イタリアにいる私たちに仕事を頼むのだ」と工場で働く人たちは得意げに説明していた。 そして同じ場所で、その工場の独自ブランドとして、似たような製品が作られている。その現場を見て、からくりが徐々に分かってきた。 一方、そのからくりを分かることが、どういう行動を生むのかも分かってくる。 富豪の友人の自邸の広大なリビングルームには、有名メーカーのデザイナー家具がたくさん並んでいたが、実は、それらは全てフェイクだった。フェイクを作る工場にわざわざ特注で作らせたものである。本人は「インテリアにはあまり興味がないから」と語っており、資産家だから逆にこのような行為を「遊び」としても、周囲の人は好意的に受け取る。明らかに有名ブランドをまっとうに評価していないふうに見えるが、彼の場合、「自分の関心の高い物は正規品を買う」という。そのようなメリハリの表現だった。 しかしながら、このフェイク対策に奔走する弁護士の友人の活動を身近に見て、これは単に形や色の知的財産の問題ではない、精神文化に触れるテーマであると私は気付き始め、ラグジュアリーブランドへの見方が変わっていった(知的財産が精神文化と距離がある、ということではない)。 もちろん、それまでもラグジュアリーブランドが語る精神文化論は目にしていたが、それを私は広報・宣伝活動の一環としてしか見ていなかった。表層的にしか理解できていなかったのである。 自身の経験をベースに、ラグジュアリーブランドを身に付ける意味や、そのブランドの真髄がさらに理解できると思えるに至ったのは、恥ずかしながらこの数年である。大きな転機となったのは、ブルネッロ・クチネッリとの出会いである。 ラグジュアリーの意味に気付かせてくれたブランド  1978年、イタリア中部のウンブリア州に設立されたブルネッロ・クチネッリは、およそ30年でフランスのエルメスと同等に評価されるトータルファッションブランドを築き上げた。いまやミラノの株式市場に上場しており、年商は600億円程度で国内従業員が1000人、海外を合わせると1800人規模に成長した。 カシミアのセーターを25万円以上で販売する同社は、社員の尊厳を大切にし、地方創生にも取り組む経営方針を持つ。私はそれを知り、欧州のラグジュアリーブランドが方程式のように持っていると思われる“もの”がないと、ラグジュアリーブランドが作れないというのは思い込みだったと気が付いた。王族や貴族、あるいは19世紀の新興ブルジョワがスポンサーや顧客として社史に登場し、1世紀以上の長い年月を経て構築されるのがラグジュアリーブランドの条件である、となんとなく考えていたのである。皆が欧州の伝統的権威と思う組織や人が支持していることが必要であると。 これは、半分は正解で半分は正しくない、とブルネッロ・クチネッリのケースを見て思ったのだ。 実は、創業者のブルネッロ・クチネッリは、服もまともに買ってもらえないほど貧しい農民の息子だった。彼が高校生の頃、父親は経済的な理由から転職し、セメント工場の工員になったのである。そこにあった現実は、人間が人間として扱われない職場環境で、それまで家庭では穏やかだった父親が愚痴をこぼすようになった。この様子に接した息子のブルネッロが「ぼくは、将来、人を大事にするビジネスに身を投じたい」と決意。20歳代で彼は起業した。 実際に、同社の社員の収入は同業者の平均給与よりも2割高く、社員食堂も地元の食材がふんだんに使われた「マンマの味」を提供している。職場環境が細かいところまで配慮されているだけでなく、協力工場は全て半径100km圏内にあり、ローカルの職人たちの仕事を重視している。同時に、職人を育成する学校も運営しており、地元の職人の技術の向上を図っているのだ。   ラグジュアリーと倫理的資本主義 こうした経営により、経営学者などから同社は「人間主義的資本主義」「倫理的資本主義」と称される。 これは、従来のラグジュアリー商品の企業イメージとずいぶんと異なるだろう。ラグジュアリーを生み出す新しいモデルを感じる。 地方の田舎にある企業を前面に出すのは、流行を追うのではなく、悠久の価値や意味を追っているとアピールすることにもなっている。まさしくラグジュアリーとは、時代を超えて愛され、大事にされる商品であるのが条件であるとすると、大都市ではなく、地方の田舎の風景こそがイメージに合うのだ。 ただ、まったく何もない田舎でもない。聖フランチェスコが誕生したアッシジと距離的に近い。また、「清貧」「平和」「自然」との一体感といった特徴で語られるフランチェスコ修道会との近さを折に触れて、創業者は語るのである。そして古代ギリシャやローマの哲学者から始まり、古今東西の思想を語り尽くす。最近のシーズンの発表にも、ルネサンスの人文学者、エラスムスの哲学を引用しているのだ。「ラグジュアリーなんて軽薄だ」と思う向きには、驚くような言葉が続いている。 昨今、高級ブランド企業は財団を作り、はやりの建築家が設計した美術館を運営している。ラグジュアリー企業がアートに接近するのはさまざまな理由があるが、高い価値と近い場にいることを示すというのが大きな動機だろう。ただ、それらの企業の広告では、ブルネッロ・クチネッリのようにハイカルチャーな言語を使っていない。それほどに、同社は特異なのである。 私がさまざまな欧州のビジネスパーソンや研究者と新しい企業像について話し合う機会においても、ブルネッロ・クチネッリは新しいモデルとして頻繁に引用されている。つまり注目の的なのである。   中小企業が目指すべきラグジュアリー  以前、イタリアの中小企業の経営戦略をテーマにした本誌の連載(2017年5月号~ 2018年10月号)において紹介した、高級ピアノメーカーのファツィオリは、ピアノを年間130台しか生産しない。 フェラーリやロールスロイス、あるいはスイスの時計メーカーなどのように、希少性を強調するため意図的に数を絞っているのではない。材料の質を確保するために木を寝かせる時間、ピアノを作るのに要する技量(例えば、自分でピアノが弾けて音を判断できる)を持つ人材を育てたり、確保したりする時間などを考慮すると、生産台数を増加できないのである。だからこそ、人は欲しがる。 一方、1997年に設立されたモレスキンでは、何千円もするノートが世界で年間2000万冊は出ている。黒の革を表紙に使いゴムのバンドがあるだけのノートが、なぜこんなに売れるのか。それは、ピカソやヘミングウェーが使っていたノートを復刻したからである。1980年代までフランスの小さな製本業者が作っていたノートを、イタリアの同社がよみがえらせたのである。 モレスキンは歴史の流れに沿った商品であると明らかにすることで、「伝統の継承者」として評価された。歴史の中の位置付けを意識しているのが、ラグジュアリーの定石なのだ。その企業自体に長い歴史があるかどうかではなく、長い歴史を享受することに深い意味を感じさせるところにラグジュアリーの要諦がある。 このような経験を経て、私もラグジュアリーの在り方やそのブランドの作り方には、さまざまなアプローチを独自に開発する余地が極めて大きいことが見えてきたのだ。 冒頭で述べたように、現在、世の中でいわれているラグジュアリーと、戦略としてのラグジュアリーブランド論は、近くて遠い。そのため、本連載では少数の人しか持てないことが「ラグジュアリー」であり、ラグジュアリーに接近していることで欲求を満たすための機能を果たしているのが「ラグジュアリーブランド論」であると定義付けたい。 言うまでもなく、中小企業が目指すべきなのは前者である。だから、本連載のタイトルは、「ラグジュアリーブランド論」ではなく「ラグジュアリー論」としている。    
PROFILE
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安西 洋之
Hiroyuki Anzai
ミラノと東京を拠点としたビジネスプランナー。海外市場攻略に役立つ異文化理解アプローチ「ローカリゼーションマップ」を考案し、執筆、講演、ワークショップなどの活動を行う。最新刊に『デザインの次に来るもの』(クロスメディア・パブリッシング)。