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コラム
有識者連載
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コラム 2019.02.28

Vol.42 82歳の和子さんが学び続ける理由

shigeru_banner 2019年3月号 「ひっかかる日本語」講座で出会ったのは 男女ともに、平均寿命が軽く80歳を超えたわが国。人生100年時代の到来を前に「リカレント教育」という言葉があちこちで聞かれるようになりました。大ざっぱに言えば「学び直し」ですね。 学び直しと言えば、いったん社会に出た働き盛りの人が、転職などでキャリアアップするため、教育機関(大学、大学院、専門学校など)で最新の知識やスキルを仕込んで自らのバージョンアップを図るというというイメージがあるかもしれませんが、人生100年時代においては、「職業人生を終えた後の学び直し」というのも非常に重要なリカレント教育に含まれます。 82歳の和子さんは「学びの場」として早稲田大学オープンカレッジ八丁堀校(東京都中央区)を選びました。夫の転勤に伴い地方暮らしを経験した和子さんは、「お国ことば」に興味をお持ちでした。最初に受講したのが「江戸ことば・東京ことば」、そしてその次に選んだのが、なんと私が、その八丁堀校で担当する「ひっかかる日本語」という講座でした! ことばの知見や教養を深めるなら「源氏物語のことば」「シェイクスピアのことば」など真っ当な講座がいくらもあるのではと、思わずご本人に受講の理由を尋ねてしまいました。すると、「日本語にひっかかってみるのも面白そうだなあ、ことばから今という時代をもっと理解できるかもしれないなと感じまして」と、ニッコリ笑顔でお答えになりました。 講座には40歳代から和子さんを含む80歳代まで、さまざまなキャリアを持った方々が参加してくださいました。私は大学で10歳代の後半から20歳代の学生に向けた授業を担当した時期がありますが、若い彼ら以上に「学びへの熱いまなざし」がビンビン伝わってきます。 誰に強制されたのでもなく、自分で選んだ授業に、自分で稼いだお金で参加し、嫌ならいつでもやめていい立場の受講生の迫力はなんとも言えません。 shigeru_banner 2019年3月号 定年退職後にやりたかったこと 和子さんが学び直しを始めたのは、56年連れ添ったご主人の「勉強好き」に少なからざる影響を受けてのことだと、10回の講義を全て終了した後あらためてお話を伺い、知ることとなりました。 ご主人との出会いが、そもそも「学びの場」でした。小学校の若き栄養士として献立を考えそのメニューを書いて印刷(当時はガリ版で手書きしたものを謄写版印刷するという、とんでもなく手間が掛かった時代でした)、そして肝心な調理の仕込みなど孤軍奮闘する彼女をサポートしてくれたのが、その頃に同じ学校で夜間に警備のアルバイトをしていた早稲田大学理工学部の大学生。それが縁となりお2人の交際が始まり、その後、和子さん26歳、夫29歳の時、めでたく結婚となりました。 夫の会社は日本を代表する合金鉄メーカー。新生活をスタートさせた1960年代と言えば、高度経済成長の真っただ中です。夫は新婚生活をエンジョイする暇もなくひたすら仕事に没頭し、転勤での地方暮らし、また南アフリカやメキシコなど、会社の拠点がある地域への長期にわたる単身赴任で、気が付いたら65歳の定年を迎えたのだそうです。和子「夫はいわゆる『モーレツ社員(当時の流行語)』。日夜、会社のため、家族のため必死で働きました。そして定年直後、彼が私に宣言したんです」 梶原「なんと?」 和子「ここから先は、やりたくてもできなかったことをやるんだ!と」 梶原「それって、なんですか?」 和子「勉強ですって」 梶原「え?早稲田の理工でも、職場でも、嫌というほど勉強なさったんじゃないですか?」 和子「夫は子どもの頃から、土いじりとか、大工仕事が大好きだったんです。でもそういう時間が、勤め人時代はまるで持てなかった。そこで定年直後、近所の東京農業大学が主宰する園芸講座に通い、『園芸理論』を1年間しっかり学びました。その後は世田谷の瀬田農業公園フラワーランドが開いた園芸講座教室で、花作りや花壇作りの実践をみっちり2年。さらにそこを卒業したOBでつくった『友の会』で学びを深め、公園整備のボランティアにも力を注いでいました」 梶原「老後は少しは2人でのんびり楽しくと思ったでしょうに、ご主人が勉強ばかりしているんじゃ、ガッカリでしたねえ」 和子「いえ、そうでもないんです。そのお手伝いを私も一緒にやらせてもらいました。ホームセンターに行って大きな材料を買ってくるんです。それを家の駐車場で切ったり、貼ったり、たたいたりして、公園のベンチや花壇の枠の部品を作ります。車に乗せて現場である公園に持って行き、組み立てるんですが、その助手を務めたのが私です。くぎのサイズなんかも使うパーツごとに全部違いますから、それぞれに必要なものを言われなくても、サッと差し出すんです。私もそういうのが好きでしたから」 和子さん、助手役を心から楽しんでいたんですね。 勉強熱心で読書家の夫は自分のための立派な書棚を作ったり、家事を楽にするため独自に考案した「キャスター付き家具」をプレゼントしてくれたりしたんだそうです。 shigeru_banner 2019年3月号 毎日を楽しんでいた夫の病 ある日、和子さんを車に乗せた夫が東京・八丁堀界隈を通過した時、ある看板を見てつぶやきました。 「へえ、早稲田がここにもあったんだなあ」 何十年も前、早稲田の理工学部に学んだOBが、うれしそうに指さしたそれこそが、和子さんがその後通うことになった早稲田オープンカレッジでした。 定年退職から15年。新たな学びからもう一つ別の人生を切り開き、元気いっぱいだった夫は、80歳を迎えたころ、腰に痛みを感じました。医師に診てもらうと脊柱管狭窄症との診断でした。 「よくこれまで我慢されましたねえ」。夫に写真を見せながら説明する医師は驚いたようですが、ご本人は毎日が充実して楽しく、さほどの異変とは気が付かなかったようです。 術は無事成功したものの、その後病魔が次々襲い掛かります。81歳で脳梗塞に罹患。治療とリハビリの成果が上がり、克服したと思ったそのすぐ後、今度は心臓の異常が見つかり、闘病生活で入退院を繰り返します。 そして2017年夏、夫は、和子さんや子どもたちにみとられ、旅立ちました。 「家の中には夫が遺してくれたものがたくさんあります。書棚、家具、庭の花壇。夫が生前『種をまいたんだけれど、今年はなかなかうまく芽を出してくれないんだよなあ』としきりに心配していた花が芽吹いた時は、『あ、ねえあなた、ほら、咲いたわよ!』と思わず夫に声を掛け、あ、そうか、もういないんだとわれに返ったり……」と和子さん。 「公園に行けば夫の作ったベンチや花壇の囲いを見ることができるんですが、あえて行こうという気力が湧いてこなかったんです」 shigeru_banner 2019年3月号 歩き出した和子さん そんな和子さんが、夫を亡くした1年後の2018年夏、早稲田大学オープンカレッジ八丁堀校で学び始めたのです。 和子「夫がまだまだ元気いっぱいだったあの日、八丁堀校の横を車で通った時『へえ、早稲田がここにもあったんだなあ』とうれしそうに言った20年も前の光景を、なぜか思い出したんです。そんな折、たまたま、学校案内のチラシを目にする機会がありました。読んでいるうち、ああ、やっぱり自分も、もっと勉強したいなあっていう気持ちが強くなって」 お話を伺ううち、果たして自分の講義は和子さんの学びへの強い思いに寄り添えたのかどうか、ちょっぴり不安になりました。 ? 和子「次回はいつ開講ですか?私、受講します。クラスの他の方もおっしゃってましたよ」 新米講師の私にとって、なんともありがたいことばに励まされた2018年、年の暮れでした。
筆者プロフィール shigeru_profilepic 梶原 しげる (かじわら ?しげる) 早稲田大学卒業後、文化放送に入社。20年のアナウンサー経験を経て、1992年からフリーとしてテレビ・ラジオ番組の司会を中心に活躍。49歳で東京成徳大学大学院心理学研究科に進学、心理学修士号取得。東京成徳大学経営学部講師(口頭表現トレーニング)、日本語検定審議委員も務める。 \著書案内/ 不適切な日本語 梶原しげる著/新潮新書 821円(定価)