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コラム
有識者連載
各分野の有識者や、さまざまな領域の専門家による連載です。
コラム 2018.11.30

Vol.39 「言葉の正しさ」との付き合い方

shigeru_banner 2018年12月号 言葉の本来の意味と人々が捉えている意味の違い 毎年文化庁が実施する「国語に関する世論調査」。2018年秋、その23回目の調査結果が華々しく発表されました。さまざまな国の機関が行う世論調査は数え切れないほどあるはずですが、新聞、テレビが結果を一斉にトップニュース扱いで報じるのは珍しいことです。 中でもビジネスパーソンに注目されるのが「本来の意味と異なる、または逆の意味で認識されることの多い慣用句」の項目です。片方の人がその慣用句を「本来の意味」で理解しているのに、他方が「本来とは逆の意味」で理解しているとなると、会話はまるでかみ合いません。ビジネス上の事故に発展する可能性もあり、対人コミュニケーションに齟齬を来す恐れのある慣用句についてはしっかり把握しておく必要があります。 慣用句をきちんと理解できないがためにしくじった例として、本誌2016年7月号に「不適切な日本語がコミュニケーションを阻む」と題し、「役不足」「枯れ木も山の賑わい」「流れに棹さす」そして「煮詰まる」を紹介しました。 今回、文化庁が発表した慣用句について検討する前に、ちょっとだけ寄り道して「煮詰まる」を例に、本来の意味と逆の意味が入り交じると、どのようにコミュニケーションがうまくいかなくなるのかを軽くイメージしていただきましょう。 shigeru_banner 2018年12月号 上司と部下のこんなやりとり ある上司(部長)が新規プロジェクトの進捗状況を部下のA君に尋ねました。若いながらなかなか優秀で頑張り屋のA君に、思い切って大事な役割を任せることにしたため、上司としては少々心配な部分もあったのです。だからといって、心配そうなそぶりを見せてプレッシャーを掛けることは彼のモチベーションを下げる恐れがあると気遣いながら、さりげなく声を掛けたのです。 部長「どう、その後、例の件は?」 A君「ここにきて、煮詰まってきました」 部長「ほう、そうか」 ニッコリ笑顔で立ち去る上司に対して、不安な表情のA君。 A君「こんなに行き詰まって、切羽詰まった胸の内を吐露したというのに、部下をサポートすべき部長は何の助言も与えず、馬鹿にするかのように『そうか』の一言。そうか、部長の期待に十分応えられない自分はもう、見捨てられたんだ……。このプロジェクトから外されるな。この会社、辞め時かも……」 人はこういうネガティブなモードに入ると、どんどん落ち込んでいく場合があります。彼なりに「煮詰まった」という慣用表現を使い「窮状」を訴えたのに、まともに取り合うこともなく冷たく聞き流す部長の態度に落ち込むばかり。 「仕事が行き詰まり、どうにもこうにもならない状況だから助けてください」という、本来とは逆の意味で「煮詰まった」を使ったA君に対し、部長は本来の意味「議論が十分に出尽くし、結論を出せる状態になった」と理解し「ほう、そうか、それはよかった!短期間によくそこまで来たなあ。その結論を楽しみに待っているぞ」と、うれしい気持ちやホッとした気持ちの全てを口に出さず、心に秘めてニッコリ笑った(のかもしれない)のでした。 国語に通じた(慣用句を本来の意味で理解できる国語能力の持ち主)上司は、部下への配慮(任せたことにあまり口出しすべきではないとの気遣い)を怠らない人だったことが、災いとなったケースです。 同じ言葉を、双方が全く逆の意味で解釈すると「こんな事態を引き起こしかねない」とご理解いただいた上で、いよいよ2018年9月発表の「国語に関する世論調査」に話を戻しましょう。 shigeru_banner 2018年11月号 問題になりそうな慣用句とは 今回の調査では、次の3つが「問題になりそうな慣用句」として挙げられています。 ①「檄を飛ばす」 ②「やおら」 ③「なし崩し」 ①「檄を飛ばす」の本来の意味は、「自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めたり決起を促したりすること」です。古代中国では木札に檄文を書いて、自分の行動の正しさを訴えたともいわれます。くどいようですが、「広く訴え掛ける」が本来の意味です。 ところが、今回を含め、過去3回にわたる調査を通して文化庁が“広く知らしめた”はずの本来の意味はまるで広まらず、本来の意味ではない「元気のない者に刺激を与えて活気づけること」を正しいと選択した人が、本来の意味を選択した人の3倍以上となっています。 皆さんの周りにもいませんか?「うちの若い連中も最近たるんでいる。ねえ部長、若い者にキッチリ檄を飛ばしてやってください」というおじさん……。 仕事熱心な情熱家なのかもしれませんが、国語力の高い若い人は陰で笑っているかもしれませんよ。「日本語もまともに分かっていない人に、指導されたくないもんだ」なんて……。 ②「やおら」の本来の意味は、「静かに、ゆっくり」です。 「やおら立ち上がった」と言えば、「静かにゆっくり立ち上がった」という意味です。 10年前の調査では「急に(本来と逆の意味)」と答えた人が、「ゆっくり(本来の意味)」を上回っていましたが、文化庁の作成した勘違い慣用語修正のための動画コンテンツ『ことば食堂』の成果もあってか、「ゆっくり」がわずかに「急に」を上回っています。 ちなみに、ことば食堂では監督が「はい、そこで役者さん、やおら立ち上がってぇー!」と演技指導するたび、役者さんが素早く立ち上がり、「カットカット、やおらだよ、やおら。分かんないかなあ……」といった感じで、頭を抱えるシーンが見られます。ぜひ一度ご覧になってください。 ③「なし崩し」は今回初めて文化庁が調査対象にした慣用句です。それだけにメディアの注目度も高く、朝日、毎日、産経の3紙に加え共同通信も「トップ扱い」で紹介していました。 「なし崩し」を辞書で引いてみると、「借金を一度に返済しないで、少しずつ返していくこと、物事を一度にしないで少しずつすませていくこと等」(日本語大辞典)、「借金を少しずつ返却すること、物事を少しずつ済ましていくこと」(広辞苑第七版)と、私が見た限り、全ての説明文が「借金を」から始まっています。 世論調査では質問項目に、わざわざ、例文として「借金をなし崩しにする」を挙げた上で「なかったことにするのか?」「少しずつ返していくことか?」(それ以外にも選択肢はあるが実質はこの二択)と問うています。 辞書の解説にあるように、本来の意味は「少しずつ返していくこと」なのですが、調査の回答は「なかったことにすること」65.6%、「少しずつ返していくこと」19.5%と、「本来とは異なる意味」が本来の意味の3倍を上回っていました。 このデータから考えれば、大多数の日本国民は「なし崩しにする」と聞くと、「借金など最初からなかったことにする、とんでもない行為だ」と受け取ってしまうということです。 そもそも「なし崩し」は、ネガティブな雰囲気を漂わせる言葉ではあります。辞書の用例を見ると、広辞苑では「なし崩しに既成事実ができ上がる」、大辞泉は「企画がなし崩しに変更される」、三省堂国語辞典も「原則をなし崩しに変更する」などといった、芳しくないシーンばかりが並びます。 「なし崩し」の本来の意味として文化庁が示した「少しずつ返していくこと」も、「なかったことにする」までひどくはないものの、「即金一括払いはなさそうだ」ぐらいに心得よ、と注意喚起を促しているような表現に感じます。 いずれにしても、「ビジネスシーンにおいては、なし崩しという言葉をポジティブな事象に使用するのは、控えておいた方が無難なんじゃないかなあ」というのが私の結論です。
筆者プロフィール shigeru_profilepic 梶原 しげる (かじわら ?しげる) 早稲田大学卒業後、文化放送に入社。20年のアナウンサー経験を経て、1992年からフリーとしてテレビ・ラジオ番組の司会を中心に活躍。49歳で東京成徳大学大学院心理学研究科に進学、心理学修士号取得。東京成徳大学経営学部講師(口頭表現トレーニング)、日本語検定審議委員も務める。 \著書案内/ 不適切な日本語 梶原しげる著/新潮新書 821円(定価)