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コラム
有識者連載
各分野の有識者や、さまざまな領域の専門家による連載です。
コラム 2018.07.31

vol.35 音楽の道を諦めてワイナリーを継いだ3代目

shigeru_banner 2018年8月号 ミュージシャン活動に転機が訪れるとき 41歳の若尾亮さんは、山梨県甲州市勝沼町でも人気の高い老舗ワイナリー「マルサン葡萄酒」の3代目です。こんなふうに言うと幼い頃からブドウやワインに囲まれて育ったように聞こえますが、出身こそ山梨県でも、ごく普通の家に育ちました。 大学進学のために上京。そこではまったのが音楽でした。気付けばトロンボーン奏者として仲間とライブ活動やレコーディングに熱中し、「就活」とは無縁のままミュージシャンとして都会生活を満喫していました。 ところが、卒業して数年たつと、就職した同級生の多くは企業でそれなりの給料を得て、安定した暮らしを楽しんでいる様子です。音楽活動は自分が一番大事にしていたクリエーティブな欲求を満たしてくれますが、それだけでは食べていけません。彼によると、アルバイトを掛け持ちしながらのバンド活動に迷いが出始めるのは、たいてい25歳を過ぎるころだそうです。 若尾「25歳ぐらいって、その気になれば就職活動にギリギリ間に合う年齢なんですよね。『サラリーマンなんてダサい』って言って一緒に音楽やっていた連中でも、ちょうど25歳を境にバンド暮らしにピリオドを打つケースが出始めたんです。たいてい付き合っている彼女から『いつまで夢を追い掛けているの?』と迫られたケースが多いんですよね」 梶原「思いっきり売れているミュージシャンなら別だけど、そうでもないと、相手も不安になっちゃうかなあ」 若尾「深夜近くにライブを終えて、しこたま飲んで、帰宅して、寝るのが朝4時過ぎ。数時間寝て、今度はバイトに出掛けて行く。そんな暮らしに、自分自身も『これでいいのか?』って迷いが出たり……」 梶原「朝4時過ぎの帰宅は体にあんまりよくないなあ」 若尾「仲間の一人が、練習場にいきなりスーツ姿で現れ、『僕は残念ながら降りる(バンドを抜ける)、君は頑張ってくれ』なんて、安いドラマのシーンみたいのがあったりして」 shigeru_banner 2018年8月号 全く不満を漏らさなかった彼女のひと言 梶原「25歳は人生の考えどころだよねえ」 若尾「それを越えると不思議なモノで、それなりに元気が出て、バンドとバイトをガツガツできちゃうんです。僕もそうでした。ところが……」 梶原「三十路の坂というか壁が立ちはだかる?」 若尾「引くならもうここしかないかなあ、越えるなら極めないとなあって、これも不思議なモノで心を揺らすものが出てくるころ……って、実はこれ、僕のことなんですが」 驚くことに軟派なイメージのミュージシャン・若尾青年は、中学校の同級生である女性との長きにわたる純愛を大切に育んでいたのです。 大学を卒業して就職もせず、ミュージシャンとはいえ、見方によってはフリーターのような暮らしをする彼に不満を漏らしたり、愚痴をこぼしたりすることもなく、マリア様のような彼女は彼の生き方をおおらかに見守りながら、笑顔で応援してくれていたそうです。 彼がたまらなく申し訳ない気持ちになったのは、30代が視野に入り始めたころ。「先の人生」についてなど口にしたことのなかった彼が、彼女にふと漏らしたのだそうです。 「もう、僕は、まともなサラリーマンにはなれないかもしれない。でもそろそろ、きちんとした仕事に就かないといけない気もする。ぜいたくを言えば、クリエーティブな、物づくりみたいな……」 ここに至っても、ミュージシャンとしての作品作りやプロモーションアイテム制作の世界から決別できずにいた彼。こんなことを言えば相手の女性は堪忍袋の緒が切れ、「なんて身勝手な!クリエーティブな仕事だなんて、いまさら言えた身分だと思ってるの!?」と、激怒されてもおかしくないと、私は思いました。 ところが彼女は、ニッコリ笑ってこう言ったのだそうです。 「ブドウを育ててワインを造るのって、クリエーティブな物づくりだと思わない?」 彼女の実家は、ブドウ栽培を江戸の昔から、そのブドウを使ったワイン醸造を昭和の初期から始めた、伝統あるワイナリーであることを彼はあらためて思い出しました。 彼は勇気を奮って彼女にプロポーズ。彼女は受け入れてくれました。今からちょうど10年前、2008年のことでした。とはいえ、仲間に別れを告げ、東京の家を引き払い、彼女の山梨の実家に向かう新宿発甲府行きのJR中央本線の特急「かいじ」号車中では、「墓場に帰るような気持ちだった」と罰当たりなことを言って当時を振り返るのです。音楽三昧、好き勝手をしていた都会での暮らしに、まだ未練は残っていたんですね。 勝沼ぶどう郷駅で降りて、彼女の実家に到着しました。ご両親は義理の息子が、家業を継いでくれることを大いに喜んでくれました。 ブドウ畑作りの知識ゼロ、ワイン醸造の知識ゼロからの三十路スタートでした。ちょっと前まで床に就くのが朝4時だった自分が、今では同じ朝4時に起き、畑へ出掛けます。夕方まで作業して、風呂に入って食事して、夜9時になると布団の中です。「東京時代は、ライブがそろそろ始まる時間だったなあ」 shigeru_banner 2018年8月号
新しい暮らしの中に見つけた一度諦めた夢
最初の1年は生活サイクルの違い、時間の流れるテンポの違いに戸惑い、「モヤモヤした気分」に襲われることもあったといいます。一番の原因はやっぱり「音楽仲間とばかを言い合って演奏する時間を持てないこと」。妻も、その両親もとってもよくしてくれましたが、大事にされればされるほど、なんだか「嫁いだ気分」にさせられたのが正直な気持ちだったそうです。 意外にも、モヤモヤが晴れるのに時間はかかりませんでした。周囲にあるワイナリーには同世代の同業者がたくさんいました。10年前、ちょうど山梨のワインが本格的に国内外で認知され始めた時期で、その担い手の中心が、まさに同世代だったのです。 同じような年回りの人たちが、競い合うようにそれぞれ工夫を凝らし、飛び切りのワインを世の中に送り出そう、新しい時代を切り開こうという意欲にあふれていました。若尾さんも急速に腕を上げていきました。 勝沼でワインを始めて2年たったところで、義理の父は彼に代表取締役を譲りました。伝統あるワイナリーの「3代目」を任されたのです。若い才能と力をどんどん後押しする気風が山梨のワイナリーを活気づけています。 そこへ、転機が訪れます。東京時代のライブで共演したミュージシャンがなんと山梨でロックバンドをやっていると風の便りに聞きました。「ワインをやりながら音楽もできるかもしれない!」 山梨に夫婦でUターンして3年ほどたったところで地元の仲間と新たにロックバンドを結成。若尾さんはトロンボーン奏者として参加し、いまや山梨・東京を中心に活発なライブ活動やアルバムづくりなどの音楽活動を展開しています。夏には八ヶ岳や富士山など、スケールの大きい大自然の中でのコンサートも予定されているようです。 もちろん、夏休みにはワイナリー巡りを楽しむ人も数多く訪れるそうで、本業も大忙し。 「奥さんから『ブドウを育てワインを造るのだって、クリエーティブな物づくりじゃない?』と言ってもらえなかったら、人生変わっていたんじゃないですか?」 そう若尾さんに聞いてみました。 「うーん、あの時は、なんだか乗せられたような気がしないでもなかったんですが、少なくともこんなに肉体的、精神的に健康でいられることはなかったでしょうね。ご飯もおいしいですし、子どももかわいいですし……あれからだいぶたって、カミさんにあの言葉のこと聞いたら『えー、そんなこと言ったっけ?』ってまあ、仮に幻聴だったとしてもありがたい言葉でしたね……」 冗談ぽく笑いながら言った若尾さんは、本当に幸せそうでした。
筆者プロフィール shigeru_profilepic 梶原 しげる (かじわら ?しげる) 早稲田大学卒業後、文化放送に入社。20年のアナウンサー経験を経て、1992年からフリーとしてテレビ・ラジオ番組の司会を中心に活躍。49歳で東京成徳大学大学院心理学研究科に進学、心理学修士号取得。東京成徳大学経営学部講師(口頭表現トレーニング)、日本語検定審議委員も務める。 \著書案内/ 不適切な日本語 梶原しげる著/新潮新書 821円(定価)