コラム
2018.04.27
vol.32 “脱サラ”して分かった会社という居場所
2018年5月号
バブル崩壊のあのころ
ビジネス書コーナーで最近目立つのは“会社の辞め方完全マニュアル”的なタイトルの付いた「退職ハウツー本」です。「転職を有利にする円満退社のための10のポイント」という記事の中には、「転職準備を会社の仲間に知られないように注意する」という項目まであって、まさに手取り足取り。
この手の本を熱心に立ち読みしている人を見掛けますが、その時点で「上手な転職」に向いていないのではないか?と心配になります。
かつて「終身雇用・年功序列・企業組合」という日本的雇用の3本柱のおかげで気楽な稼業を満喫できた日本のサラリーマンも、ご存じのようにバブル崩壊のころからリストラ・成果主義・組合の組織力低下もあって「就職先に人生の全てをおまかせ」みたいなのんきな状況は許されなくなってしまいました。「サラリーマンよ自立せよ」「勇気あるものは会社を捨てよ」「厳しい時代だからこそチャレンジだ」的な言説がちまたにあふれたのもこのころでした。
幸か不幸か、私はそんな時代の真っただ中にサラリーマンから自営業者(局アナからフリー)への転身を決意しました。「あなたは昔から世間の風に乗せられやすいタイプだから注意して」と妻や一部友人から言われた記憶もありますが、聞く耳を持たなかったようです。
客観的にその時代を俯瞰できる今この時点から冷静に考えれば、「むちゃしたなあ」とも思いますが、世間知らずの40チョイ過ぎのおじさん(当時の私)は、「そんな時代だからこそ、脱サラ(懐かしい言葉…)でチャレンジだ!」と息巻いていたはずです。
2018年5月号
社内の皆に相談
ところが程なく、会社を、サラリーマンを辞めることの本当の意味を思い知らされることになりました。
私が勤務していた東京のラジオ局は、おそらく日本でもまれに見るほど「人情味あふれる温かな会社」でした。そもそも互いを役職で呼ぶ習慣がありませんでした。例えば、村田部長なら「むらさん」、吉田次長は「よしさん」とわれわれ部下は呼んでいました。上司が私を「梶原くん」などと呼ぶのはお小言の時だけで、普通は「おい、梶」とニックネームの呼び捨てです。男性の年長者から「梶原さん」と呼ばれたのは、入社試験の時だけです。
「会社を辞めてフリーになる」という「ぶっちゃけ相談」を、他局ではあり得ないほどたくさんの人にして、周りのいろいろな助言に救われる思いでした。
転職本のセオリー「退職意思を伝える順番を間違えると大変なことになる」からすれば、あってはならない辞め方だったようですが、そういう懸念はありませんでした。良くも悪くも「家族的な会社」だったわけです。
だからこそ、ショックだったのは退職手続きでのことでした。小さな会社ですから、部署が違ってもみんな顔見知りです。エレベーターで顔を合わせれば「おお、梶!昨日のショッピングコーナーで紹介していた羽毛布団、本当に買いか?よかったら買っちゃうよ?」なんて、いつも声を掛けてくれるA先輩が変にかしこまった表情なのです。
私も、いつものように「どうも、どうも」と笑顔を振りまく空気ではないことを察知しました。
2018年5月号
仲の良かった先輩が
Aさん「梶原さん、どうぞこちらへ」
ソファーを勧めるその言い方が、いつもとまるで違うのです。
Aさん「ではこれから弊社にお返しいただくものから説明いたします」
「弊社」とは、「赤の他人・よそ者」に向かい、自分の会社をへりくだって表現する謙譲語です。すなわち、この時点で私はすでに、この会社の人間ではないということです。もちろん、意図したわけではないのでしょうが、ものすごく寂しい気持ちがこみ上げてきました。
「先輩!そんな他人行儀な言い方やめましょうよ」と軽口をたたく雰囲気ではないのです。
根が真面目なAさんは、「退職の儀式」を正式にきちんと執り行うことこそが、はなむけにふさわしいと判断されたのでしょう。
しかし、鈍感男の私はこの時初めて「ああ、俺この会社辞めちゃうんだ」と、事実と真正面から向き合わされた感じがしたのです。
Aさん「社員証は?」
梶原「はい、こちらにお出しします」
Aさん「承知しました。次に、背広の襟に付ける社章ですが、もし記念にお持ちになるということでしたら可能ですが」
梶原「お言葉に甘え、記念にいただくことにいたします」
Aさん「承知しました」
そして、「雇用保険被保険者離職票」といった失業給付に必要な書類や「源泉徴収票」などが、丁寧な説明とともに、厳かに手渡されました。
結局、退職後もこの放送局での番組は続いたので、毎日のように局へ出掛けたわけですが、「自分の立場は前とは違う」と自らに言い聞かせるような心境になりました。
もう「うちの会社」じゃないんですから。
2018年5月号
もうサラリーマンじゃない…峰竜太さんのひと言
これとは別のケースで「もうサラリーマンじゃないんだ」と寂しい思いをした体験がありました。独立して最初のレギュラー番組が、峰竜太さんといっしょに担当した、月~金曜日放送のテレビ生番組でした。
実際の放送日にはテレビ局差し回しのハイヤーが迎えに来てくれるのですが、「突然の打ち合わせ」なんて場合は、自分で行かなくてはなりません。
その日はたまたま事務所のマネージャーに用があり、私は1人で電車に乗ってテレビ局へ出掛けました。あいにくの雨です。濡れた傘を持って、まだ不慣れだったテレビ局で迷子になっているところを峰さんが見つけてくれました。そして笑いながら言いました。
峰さん「梶さん、タレントが傘持ってテレビ局の中うろうろするの、あんまり格好よくないかもしんないよ」
梶原「そういうもんですか?でもさっきエレベーターを降りたところで見掛けた人気アナウンサーの○○さん、濡れた傘持ってましたよ」
峰さん「局アナさんは、社員だから局に置き傘もあるし、自分のロッカーも、椅子も机もあるじゃない。僕らタレントは、いつどうなっちゃうか分かんないから、何にもないの。だから普段から、傘もいらない、コートだっていらない、必要なものは全て車に入れておく。そういうスタンスをとる定めなんだよね。タレントの車がばかでかいって、見えっ張りだって笑う人がいるけど、そういう理由もあるんだよね」
峰さんから教えてもらった「フリーという立ち位置」は全てなるほど納得でしたが、一方で、「サラリーマンという居心地の良い場所」に自分は二度と戻れないのだという現実を突き付けられました。脱サラも、それなりの根性を求められるものだと、今さらのように思い知らされたのでした。
あの当時は脱サラがブームでしたが、今は転職が盛んです。状況が似ていなくもありませんが、大きな違いは、情報量!ネットはもちろんですが、冒頭に記したように書店へ行けば「転職特集」を載せた雑誌や書籍がいくらでも見つかります。
「今の会社、辞めちゃおうかなあ。うまく転職するにはどうしたらいいのかなあ」
そんな思いで書店で立ち読みするビジネスパーソンへ、某ビジネス雑誌からのメッセージを再度ここに記しておきます。「転職準備を会社の仲間に知られないように注意する」。「あいつ転職狙っているらしいですよ」なんてうわさはすぐ社内に広がり、円満退社を阻害する要因となる可能性がありそうです。
円満退社は、転職成功の大事な条件なんですよね。「転職雑誌」は立ち読みしないで、お金を払って、家へ帰って読みましょう!
筆者プロフィール
梶原 しげる (かじわら ?しげる)
早稲田大学卒業後、文化放送に入社。20年のアナウンサー経験を経て、1992年からフリーとしてテレビ・ラジオ番組の司会を中心に活躍。49歳で東京成徳大学大学院心理学研究科に進学、心理学修士号取得。東京成徳大学経営学部講師(口頭表現トレーニング)、日本語検定審議委員も務める。
\著書案内/
不適切な日本語
梶原しげる著/新潮新書
821円(定価)