1716年に創業し、今日ではアパレル(小泉)、照明や家具(小泉産業)、家電製品・家庭用品(小泉成器)など、多彩な事業を展開する小泉グループ。グループ売上高2000億円。問屋業から出発し、商品や顧客に対する独自の付加価値創造で発展を続けている。その歴史、経営信条やビジネス観について、代表取締役会長の植本勇氏に伺った。
同族経営からの脱皮で飛躍への道が拓けた
若松 創業300周年おめでとうございます。タナベ経営との長いご縁にも感謝を申し上げます。今回は、100年経営をはるかにしのぐ“300年経営対談”ですね。私は創業200年以上の会社を「歴史企業」と呼んでいます。会社を語るときに、日本や地域の歴史も語らなければならないからです。まさにその域に達した会社です。
植本 江戸時代、近江の国の武士だった小泉太兵衛が武士を捨て、1716(享保元)年に行商を始めたのが小泉グループのルーツです。その後、子孫が1847(弘化4)年に京都に出店して商いを広げ、さらに大阪に進出したのが146 年前の1871(明治4)年。歴史的にそうした大きな節目がありましたが、私自身はここに至るまでの300年という長さは、あまり意識したことがないのです。
若松 2016年秋、滋賀県東近江市で小泉グループの長い歩みを祝福する催しがあったとお聞きました。
植本 東近江市が運営する近江商人博物館で、小泉グループの中興の祖である第3代重助に焦点を当てた企画展が開催されました。2015年に旧重助邸が文化庁から登録有形文化財に指定されたこともあり、社内外であらためて300年の歩みが注目されたのは確かです。
若松 第3代重助氏とはどのような人だったのですか?
植本 太兵衛から数えて12代目に当たる人で、現在の小泉グループの実質創業者と言える人物です。実は、第3代重助までは200年近く同族経営が続いていました。大正初期の頃に生じた同族内のもめごとがきっかけで重助が大阪の出店を引き受けることになり、太平洋戦争後まもなく亡くなるまで、会社の礎を築き上げることに尽力しました。自らの経験が身に染みたのか、「長男を除いて経営陣を同族だけで固めるのはいけない」と最初に言ったのも重助です。
若松 現在の小泉グループ各社も、その言葉をしっかり守っているようですね。小泉と名が付くグループ会社でも、経営を執行する皆さんは非同族の方々です。
植本 当社が主力でやってきた繊維業界を見渡すと、名門であっても経営陣の半分以上を同族が占めている会社は、成長が止まっているところが多いのです。同族経営では会社の業績が悪化しても簡単にトップを代えられませんし、組織や事業の改革も進めにくい。小泉も旧態依然とした同族経営ではやがて生き残れなくなると、重助は見越していたのだと思います。
若松 歴史企業の臨床事例として聞くと、重みがありますね。植本会長も非同族で社長に就任され、これまで社内改革にさまざまな手腕を発揮されました。
植本 私は同族以外で2人目の社長になったのですが、社長になる以前に、もともと1つの会社で行っていた繊維事業を部門ごとに分社化することを推し進めました。呉服は京都小泉、服地は小泉テキスタイル、洋品は小泉アパレルというように。結果的に、本体の小泉はそれら子会社の経営を管理するような形になりました。上場こそしていませんけど、今日でいうホールディングスの形にして経営基盤を強化することに、多少なりとも貢献できたかもしれません。
300年は単なる節目。「ぶれない軸」と「変化への挑戦」で、グループ一丸で次の100年を目指していきたい。
人の育成と独自の価値創造で組織・事業が大きく成長
若松 ともにグループの中核を成す小泉産業や小泉成器は、どのようにして生まれたのでしょうか。アパレルを主体にする小泉とは全く事業分野が異なります。
植本 戦時中の1943(昭和18)年に、軍需産業を営むために設立した五光精機工業が両社の前身です。軍需産業なら男性社員が徴兵されなかったというのが設立の大きな理由。2年後に戦争が終わると人々の生活用品が圧倒的に足りない状況になり、電熱器に目を付けて売り出したのが最初のビジネスです。ものづくり自体は当時の他社メーカーにお願いしまして、従業員が近江商人魂を発揮しながら全国の電気店を回りました。そうするうちに本当の市場ニーズは何かが分かり、電気スタンドを扱い始めたことが照明事業に発展していったのです。
若松 時代の変化、顧客価値の変化の中で求められるものを探した結果、家電分野へ進出されたのですね。
植本 昭和30年代に入って、一般家庭の電化が一気に進んだこともあります。電気式アイロンやヘアドライヤーなど、売れそうな製品を見つけては販売に注力してヒット商品に育てました。その後、調理用のガス器具を組み込んだテーブルに着眼し、家具分野にも参入。そこから照明付きの学習机というふうに、さらに取扱商品が広がったのです。現在、照明と家具分野は小泉産業が、ヘアドライヤーほかの家電雑貨分野は小泉成器が事業を継承しています。
若松 当時、関西では松下電器産業や三洋電機(ともに現パナソニック)、シャープといった大手家電メーカーが躍進する中で、ニッチな専門領域で大きな事業拡大に成功されました。
植本 当社は創業以来、基本的に問屋商売ですから、販売力は強みになっていました。当時急成長のさなかにあった家電専門量販店にもどんどん売りに行って業績が伸び、いつしか売り上げは繊維事業を上回るほどになりました。
若松 「販売なくして経営なし」の経営原則ですね。今ではその方法や手法を変えていく必要はありますが、原則は変わりません。強い販売力の秘密は何だったのでしょう。
植本 1つは、連綿と受け継がれる「人でモノを売る」信念だと思います。今日の小泉、小泉産業、小泉成器3社共有の社是に「人格の育成向上」と定めているように、商人としての正しい礼儀や判断力、倫理観を備えた社員の行動が確かな成果を生んだことは明白です。もう1 つは、商品に自社だけの特徴を備えたこと。商品をただ右から左へ販売するならブローカーと同じです。当社は呉服店の時代から扱う商品一つ一つに、オリジナルの付加価値を加える考え方を商いの軸にしています。社内ではこれを「ぶれない軸」と呼んでいます。テーブルにコンロを付けたり、学習机に照明を付けたりしたのはその好例です。
若松 ここも優秀な歴史企業に共通している点ですね。下請けでなくオリジナルブランドや商品・サービスを開発し、自前の販売力で顧客へそれらを供給できるビジネスモデルを構築していることです。さらには、社員の皆さんが、ある意味、経営者視点で自立心や自主性を発揮してビジネスに臨んだことも良かったのでしょうね。
植本 その通りだと思います。その点を育む社員教育については、戦後から30 年間にわたり小泉産業を率いた立澤四郎の力が大きいですね。社是の「人格の育成向上」を明文化したのも立澤ですし、1000ページを超える手書きの教育資料を作ったり、頻繁に社内勉強会を開いたりして、人づくりの大切さを会社の隅々にまで浸透させました。その思想は独特で、特に印象深いのは「事業計画とは何だ?」という社員への質問。社員が「売り上げの目標数字を決めて、達成方法を考えることです」と答えると、「それは違う。計画とは決心してやり遂げることだ」と言ったそうです。私も含め、立澤の訓示が後進経営者のよりどころとなり、現在の小泉グループの成長を支えていることは間違いありません。
若松 「経営とは意志であり、決心」というのは創業者の精神そのものです。結果、全員がビジネスをどう捉えるかに重きを置いている点も、今日の小泉グループの強みの根幹なのですね。