阿波製紙の本社中庭にて。 後ろのモニュメントは初めて導入した製紙機械の乾燥用ロール(ヤンキードライヤー)
(左)タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦 (右)阿波製紙 代表取締役社長 三木 康弘 氏
特殊紙メーカーとして、自動車をはじめ幅広い産業を陰から支えてきた阿波製紙。東証2部上場、売上高約170億円、従業員数655名(ともに連結、2016年3月期)。紙の可能性を追求し、新市場を切り開いてきた5代目社長・三木康弘氏に、100年を超えて変化を続ける要諦を伺った。
和紙から特殊紙へ時代に合わせて変身
若松 当社との長いご縁、ありがとうございます。阿波製紙は特殊紙メーカーとして2016年2月に100周年を迎えられました。おめでとうございます。
三木 ありがとうございます。阿波製紙は、1915(大正4)年11月10日に有志7名が発起人大会を行い、翌16年2月12日に設立しました。松浦徳次郎が初代社長となった後、1920年に私の曽祖父に当たる三木與吉郎(よきちろう)(第12世)が2代目に就任。私は5代目で、1992年に29歳で会社を継ぎました。
若松 阿波製紙の事業沿革を拝見すると、「和紙」から「特殊紙」メーカーへと転身を図られています。事業戦略のターニングポイントをお聞かせください。
三木 徳島県は和紙の原料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)の産地であり、当初は和紙、中でも半紙やちり紙を製造していました。手すきが主流だった時代に、技術者を招いて機械すきによる量産体制を確立して会社は成長しました。ところが、終戦を機に市場環境が変わりました。
終戦間もない頃、洋紙の流入によって和紙需要は縮小。事業転換を迫られる中、目を付けたのが特殊紙でした。1949年にセルロイド原紙など特殊紙の原料となるコットンリンター(綿実繊維)を手掛ける会社を立ち上げ、設備投資や大卒社員の採用によって品質の向上を図ると、1950年からの朝鮮戦争特需で一気に注文が入り、事業が軌道に乗りました。
若松 和紙需要がなくなるという危機感とニーズへの対応が、新規事業を生み出したわけですね。そうした歴史や事業などを、100周年を機に「創業の精神」としてまとめられました。
三木 私自身は若くして会社を引き継いだため、先輩方からさまざまな話を聞かせていただきました。しかし、先輩方が会社を去るにつれて過去を知らない世代が増え、全社員の知るべき歴史が共有されなくなってきた。これは大変なことだと思い、事業の原点や歴史を伝承していく一環として明文化しました。
若松 英国の元首相ウィンストン・チャーチルは「過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう」と言いました。歴史が長い会社は、過去に学ぶところが多いものです。明文化は過去をさかのぼる作業ですが、現在や未来の社員のために歴史を刻むわけですから、未来をつくることにも通じる大切な仕事です。
紙の可能性を追求し事業領域を広げる
若松 現在は、自動車関連資材、水処理関連資材、一般産業用資材という3本柱で特殊紙事業を展開されています。
三木 売上高は自動車関連資材が約102億円、水処理関連資材が約50億円、一般産業用資材が約18億円といったところですが、市場戦略や事業戦略を目指したというよりも「ご縁」を生かした結果です。
例えば、自動車関連資材は1960年から開発をスタートしましたが、始まりは祖父の三木與吉郎(第13世)が社長を務めていた徳島バスからの開発依頼でした。当時、導入直後の箱形バスの不具合が続く中、同社の技術者だった祖父の義弟はエンジン用フィルターに問題があると考え、米国では濾紙(ろし)にコットンリンターが使用されていることを突き止めました。そこで当社に相談が持ち込まれ、いろいろと教えてもらいながら開発を進めたのです。
若松 その技術が国産車のエンジン用フィルターのスタンダードになっていますね。水処理関連資材への参入のきっかけはいかがでしたか。
三木 日本の繊維メーカーがポリエステルの短繊維を開発し、当社にアプローチしてきてくださいました。それを紙に加工したところ、そこそこ良い製品はできたのですが、当時はほとんど売れませんでした。
用途展開を模索していたところ、「純水をつくる水処理膜モジュールの歩留まりが悪い」という話を耳にしました。詳しく聞くと、水処理用フィルターの素材として使われている乾式不織布は分厚く目が粗いため、濾過(ろか)面積が少なくて造水効率が悪く、水の純度も不安定とのことでした。
この乾式不織布に代わる素材の開発依頼を受け、当社が提案したのがポリエステル100%の合成繊維紙。改良を重ね、これが急速に広まりました。また造水コストを下げることにも寄与し、水処理膜市場が拡大しました。最初からうまくいったわけではありませんが、期待を込めて設備投資を行ってきた成果が出たのです。
若松 これらは現在でいうところの「オープンイノベーション」ですね。顧客課題からテーマを設定して、顧客と共に事業開発していることがポイントであると感じます。
三木 水処理関連資材も一般産業用資材も、偶然のご縁からお客さまが求めているものを一緒に開発した結果、市場の拡大とともに柱となる事業に成長していきました。今後は偶然の確率を高めていく活動をしていかなければなりません。
若松 顧客課題を解決する開発スタイルが風土として根付くといいですね。タナベ経営の創業者・故田辺昇一は、「人生は遺伝・偶然・環境・意志の産物」と言いましたが、ご縁に意志が加わって、現在の事業拡大につながったのだと思います。