江戸幸勅使川原製作所 「銅 薬味おろし金 ふたやく」
薬味おろしと小鉢としての役割を兼ねそろえる。銅板にスズを塗り手作業で目を彫って作る
「作ろう」と思うか
先日、ある都市での講演会で、1枚の鉄板が売れたという話をしました。東京の江戸川区にある石道鋼板という小さな鉄工所が初めて自社ブランド商品を作ったという経緯についてでした。
「肉専用 超極厚鉄板MAJIN」という厚さが19㎜もある鉄板で、値段は1万1000円(税込み)するのです。私自身も試しに入手して使ってみましたが、肉がべらぼうにおいしく焼けてうれしくなりました。
この鉄板なのですが、2021年に発売して見本市に出展したら、大手企業のバイヤーが「こんな商品見たことない」と評価するなど思わぬ反響を呼び、当初目標にしていた10倍以上の数がさばけたというのでした。
といっても数十万枚単位で売れたというほどではありません。それでも、この鉄板に振り向いてくれる業界内外の人がいたことで、石道鋼板の経営者も社員たちも大いに勇気付けられたそうです。しかも、噂を聞きつけた取引先から新たな仕事が舞い込むなど、本業にも好影響をもたらしたそう。
こうした話を講演で伝えたところ、会場にいた1人の参加者が質疑応答の時間に挙手されました。「この鉄板って、鉄工所であれば、石道鋼板ではなくてもまずどこだって作れてしまえる商品ですよね」。そうです、おっしゃる通りです。その参加者は言葉を続けました。「でも、思い切って実際に作って販売しようと動いたところが素晴らしいと感じました。そこが、他の鉄工所と違ったのですね」。
この参加者、聞いてみると石道鋼板よりも大きな規模の鉄工所の経営者でした。それだけに言葉には重みがありました。
新たなおろし金を開発
で、ここからが今回の本題です。たとえメガヒットという規模までいかずとも、中堅・中小企業にとっては、小さなヒットが十二分な意味を持つのではないかという話です。さらに言いますと、石道鋼板の鉄板と同様に、こうしたヒット商品を生み出せるかどうかは、結局のところ、至極単純なようですが「作ろうと決めること」にかかってくるものかもしれないという話でもあります。
江戸幸勅使川原製作所という金属加工の工房が、東京の葛飾区にあります。その事業主は勅使川原隆氏で、この道60年を超え、現在は80代という職人です。
プロの料理人さんなどが愛用する銅製のおろし金づくりに長年携わってきた勅使川原氏ですが、東京都中小企業振興公社が主催する「東京手仕事」のプロジェクトで新作の開発に臨みました。ショウガやワサビといった薬味をおろすための商品で、ターゲットは主に一般の消費者です。写真をご覧いただければお分かりのように、真四角の形をした小さな姿(7×7㎝)をしています。
この薬味おろしの名は「銅 薬味おろし金 ふたやく」と言います。薬味をおろすのに使って、そのまま食卓に出せるように器も兼ねているから「ふたやく」と名付けたそうです。確かに美しい見た目ですから、食卓に映えると思います。
ただ美しいだけなのかと言えばそうではなくて、薬味がすんなりとおろせるのが良い。ショウガにしてもワサビにしてもおろすには力がいるし、面倒なものです。ふたやくは、おろす面が斜めになっていることもあって、労せずおろせるのがありがたい。
値段は1万2100円(税込み)となかなかに立派なものです。それでも、2022年11月の発売以来、月に50個ほど出荷している全てが瞬く間に売れるらしい。この50個というのは手作業で作れる限界の数でもあるそうです。東京都日本橋にある日本百貨店(コレド室町テラス1階)で販売されていて、品切れの日も少なくありません。
機械には作れない
勅使川原氏に尋ねると、この薬味おろしを製作するのは骨が折れる仕事なのだと言います。「斜めの面だと、下にいくほど目を立てづらいからなんです」(勅使川原氏)。ただ、使う側からすれば、斜めになっているからこそ簡単に薬味をおろせて助かります。
「おろしやすいのはそれだけではない」とも聞きました。勅使川原氏の表現を借りると「切るようにおろすのが良い」とのこと。水分を含んだ状態でおろせるから。薬味の持ち味が生きるそうです。そして、切るようにおろせるのは、おろし金の目を手で彫っているのがポイントで「機械だとここまで鋭い目立てにはならない」(勅使川原氏)。要するに、鋭い目のおかげで、薬味をすりつぶすのではなくて切るようにおろせるのです。
この商品の形をものにするまでには苦労もあったようで、熟練の技を有する勅使川原氏をもってしても失敗作をずいぶんと出したとのこと。でもそうした経緯を経て「これまでになかった形の薬味おろしを完成できました」と勅使川原氏は笑います。
私がふたやくを評価したのは、その美しさもさることながら、薬味をおろすという面倒に思える行為を、なんだか楽しいものに変えてくれる部分です。嫌だったものを積極的にやってみたいと感じさせてくれる商品は、やはり強い存在なわけです。だから少なからぬ人が、こんな高価な商品に手を伸ばしているのでしょう。
後継者が育っている
もう1つ私がうなったのは、80歳を過ぎた勅使川原氏が、新作に挑んだところです。こんなに手のかかる新商品づくりにわざわざチャレンジしなくても、もう十分に職人としての地位を築けているだろうにと思うからです。そのあたりを尋ねました。すると、「手作業でこんなものを作っていたやつがいたのだな、と、のちのち誰かが感じてくだされば良いんです」と勅使川原氏は話します。あまりに手間のかかる商品なので「途中で嫌になりかけました」とも冗談めかして語る勅使川原氏ですが、「それでも、作ることに意味がありますし、この値段でも買ってくださる方がいる」とも。
ここで冒頭の話に戻ります。人を振り向かせるには、当たり前のことですが、そもそも「作ろうと決断するかどうか」が大事になってきます。作らなければ何も始まらない、と言い換えても良いでしょう。先に挙げた石道鋼板の鉄板もそうでしたし、この勅使川原氏の薬味おろしも全く同じです。
ただ、この決断がまた難しい。商業ベースに乗せられるのかという不安もきっとあるでしょうし、製作するエネルギーを持続できるかという疑問も生まれがちです。しかし、私がこれまで取材してきた事例を振り返りますと、やはり「作ろうと決める」判断こそが、極めて重要なのだと感じる場面にしばしば出合います。ここ数年、いくつもの大手企業が社内スタートアップに力を注いでいるのと共通する部分と言って良いかもしれません。種をまかないと芽は決して出ないわけですから。
勅使川原氏の下には今、若い職人が修業に入り、腕を磨いていると聞きました。「よく飛び込んでくれました」と勅使川原氏は目を細めます。決断できる力のある職人のところには、ちゃんとそんな人材が来てくれるのですね。
製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。
日本経済新聞社やANAとの協業のほか、経済産業省や特許庁などの委員を歴任。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)、秋田大学客員教授。