その他 2023.07.12

インフレが定着しつつある今こそ経営戦略の転換が求められる:大和総研

 

 

コロナ禍の3年間に別れを告げた今、経営のかじ取りはどうあるべきか。不透明で不安定な経営環境に明かりをともす、未来へのビジョンの策定と実現を支援する「トップマネジメントカンファレンス」(タナベコンサルティング主催、全6回)の第1回(2023年4月開催)で、新たな局面を迎えてプラス成長が予測される日本経済について、大和総研のシニアエコノミスト・神田慶司氏に解説いただいた。

※本記事の内容、登壇者の所属・役職などは開催当時(2023年4月)のものです。

 

大和総研 経済調査部 日本経済調査課長 シニアエコノミスト
神田 慶司(かんだ けいじ)氏
2004年一橋大学経済学部卒業後、大和総研入社。内閣府出向、政策調査部などを経て、2019年より経済調査部日本経済調査課長。専門は日本経済、財政・社会保障で、著書は『明解 日本の財政入門』(金融財政事情研究会、共著)など。2023年3月まで参議院企画調整室客員調査員を務める。

 

2023年の日本経済の回復を後押しする主な要因

 

2022年の日本経済は、2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻などによる資源高や、日米金融政策の方向性の違いを背景とした円安ドル高などにより、コロナ禍からの回復がかなり遅れた。2023年は経済活動の正常化が進む一方で物価高が続いており、家計に与える影響を懸念する声も聞かれる。大和総研シニアエコノミストの神田慶司氏は、2023年の日本経済について次のように分析する。

 

「2022年よりも明るい材料が増えています。まず、2023年5月に新型コロナウイルス感染症の『感染症法』上の位置付けが、『2類相当』から季節性インフルエンザと同じ『5類』に移行したことで、国内のサービス消費が回復する点。旅行や外食、レジャーなどが一段と増加する余地は大きいです。

 

賃金上昇率を上回る物価高が続いていますが、コロナ禍で急速に積み上がった家計貯蓄が消費の悪影響を緩和するとみています。コロナ前の貯蓄ペースを上回った分を『過剰貯蓄』とみなすと、2023年3月末で約45兆円に上ります。これは年間消費額の16%分に相当します。

 

また、インバウンド消費(訪日外国人による日本国内での消費)の回復も期待できます。すでに欧米などからの観光客は増えており、4月の訪⽇外客数は2019年同月比67%の195万人(JNTO:日本政府観光局)と、政府が水際対策を大幅緩和した2022年10月以降で最高を更新しました。ただし中国人観光客に限れば同15%にとどまります。今後は『ゼロコロナ政策』の転換を図った中国からの観光客の本格回復もあり、約3兆円のインバウンド消費の増加が見込まれます」

 

他にも神田氏が日本経済を下支えする要因として挙げているのが、「半導体不足の解消による自動車の挽回生産」「2023年春闘での大幅賃上げ」「輸入インフレの一服」などである。例えば、自動車に関しては、半導体不足により生産が需要に追い付かず、受注残が積み上がっていた。今後は供給制約がなくなることで受注残を消化するための挽回生産が行われ、繰り越されていた「ペントアップ需要」の発現が期待できる。その規模は家計向けだけでも1.5兆円超に達するという。

 

日本経済の下振れリスクは主に海外にあり、「米国の深刻な景気後退入り」「ウクライナ情勢の一段の緊迫化」などが挙げられる。特に日本経済に大きな影響を及ぼし、蓋然性も比較的高いのが米国の景気後退である。インフレ率が高止まりして金融引き締めが長期化し、米金融機関の貸し出し態度が厳格化することで強い信用収縮が発生する可能性もあると神田氏は危惧する。

 

 

インフレ定着の可能性が高まるも日銀は大規模緩和策を当面継続か

 

2022年度の消費者物価指数(CPI)は前年比+3.2%と、第2次オイルショック以来、41年ぶりの高い伸び率となった。家計の消費行動や企業の価格改定行動には、これまでにない変化も生まれている。

 

例えば、東京大学大学院の渡辺努教授の研究室が2021年8月に行った調査では、「行きつけのスーパーマーケットでいつも購入している商品を買おうとしたときに、価格が10%上がっていたらどうするか?」という質問に対し、「低価格な商品を求めて他の店に行く」という回答が57%だった。それが2022年5月には44%まで減少しており、欧米主要国並みとなった。2023年3月も同程度である。

 

「どのお店でも値上がりしているので、他店に行かない人が増えています。企業はこれまで材料費などのコスト高を企業努力によって吸収し、価格を据え置いていました。しかし今回は企業努力の限界を超え、価格改定に踏み切る動きが急速に広がりました。結果として基調的なインフレ率は徐々に高まっています」(神田氏)

 

もちろん、インフレ自体は悪いことではない。むしろ1990年代前半から続いたデフレから完全に脱却する好機とみるべきだと神田氏は指摘する。

 

ただし、条件がある。それは「賃上げ」だ。日本労働組合総連合会(連合)が4月13日に発表した2023年春闘の第4回回答集計は、前年比3.69%(ベア率2.11%)と30年ぶりの高い伸び率を示した。しかし、2023年末にかけて物価が落ち着くことで、2024年春闘の賃上げ率は大きく低下するという見方も少なくない。神田氏は次のように分析する。

 

「企業が人件費の増加分を価格転嫁する動きが広がり、サービスなどの幅広い品目で値上げが行われるようになれば、欧米のような持続性の高いインフレへと変化するとみています。つまり、賃上げによる需要の増加で企業は値上げを行いやすくなり、結果として需給の両面から物価の上昇圧力が強まるでしょう」

 

2024年春闘も今年と同程度の伸び率になれば、基調的なインフレ率は一段と高まり、2024年度のCPI上昇率は2%程度で推移する可能性があるとみている。

 

大和総研では日本銀行の金融政策について、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール、YCC)など現在の金融緩和策の枠組みは当面維持されるとみている。G7財務省・中央銀行総裁会議後の記者会見(2023年4月)において、植田和男総裁は「金融引き締めが後手に回ることよりも、政策修正を急ぐことの方がリスクが大きい」との考えを示した。こうした慎重な姿勢を踏まえると、米国の景気の底入れや2024年春闘での賃上げの効果などが明らかになるまでは、日銀は政策の大幅な見直しは行わないと見立てる。

 

また、金融政策の正常化に踏み切る場合は、YCCの撤廃で「異次元緩和」の次元を戻しつつ、国債買い入れなどを継続して緩和的な状況を維持し、最後にマイナス金利の撤廃というプロセスを踏むのではないかと予測している。