タナベ経営・種戸(以降、種戸) トヨコンは愛知県豊川市に本社を構え、従業員数は約200名の総合物流商社です。2019年に設立55周年を迎えました。包装資材、倉庫管理、システム開発、省人化機器、包装設計、梱包業務、組み立て事業の7事業を、愛知県を中心に7営業所、6事業所で展開しています。
同社の明石社長と浦部課長に、DX(デジタルトランスフォーメーション)の取り組みについてお話を伺います。まずは、トヨコングループの理念から説明をお願いします。
明石 当社が2014年に設立50周年を迎えたとき、グループ経営理念を「価値の共創」にリニューアルしました。お客さまとともに新しい価値を創り、社員は働くことを通して人生の価値を高め、社会にとって価値ある会社を創る。そんな、「お客さま・社員・社会との共創」と定義しています。
種戸 グループ経営理念をリニューアルした3年後の2017年2月、トヨコンは古い営業スタイルからの脱却を図る目的でDXの推進が始まりました。名刺管理ツールの「Sansan(サンサン)」やコンテンツマネジメントシステム、最終的にはMA(マーケティングオートメーション)ツールを導入し、マーケティングDXの実現へと歩みを進めています。
MAツールの導入に踏み切ったきっかけを教えていただけますか。
明石 実は、「DXありき」ではなかったのです。初めは経営理念とともに会社も新しくつくり変えようと考え、父が創業した商社、設計、梱包現場作業を手掛けるグループ3社を1つに統合し、新社名を「トヨコン」とし、再始動しました。
ところが、1年たっても旧3社がそれぞれの業務を行うだけで、一体感の高まりといった全社的な変化が見えませんでした。そこで中堅社員を集め、新事業の開発プロジェクト「あした共創プロジェクト」を発足。1チーム5名ずつの計3チーム構成で、どのチームにも旧3社のメンバーが必ず参画するように編成しました。
その中の1チームが、浦部のチームです。私としては、包装資材や物流機器の販売にとらわれることなく、「モノ売りからコト売り」につながる新事業の開発を期待していました。しかし、実際に浦部のチームから出てきたのは「新しいお客さまを開拓する」方法でした。
種戸 新事業開発プロジェクトのはずが、「MAツールを使って営業のやり方を変えていこう」という提案だったのですね。投資も少なくない金額が必要になりますし、意思決定に迷いはなかったのでしょうか。
明石 正直、経営陣はみんな驚いていました。その後の役員会でも否定的な意見が出ましたし、私自身も「予算の桁が1つ多い」と感じていました。「他社で成功事例はあるのか」と、経営幹部が疑問視するのも当然でした。でも、プロジェクトメンバーは「成功事例がないからこそやる価値がある」という考え方だったのです。最終的にはプロジェクトメンバーに心を動かされて、「失敗しても何か残るのでは」と承諾しました。
種戸 明石社長の英断が生まれるまで、プロジェクトメンバーだった浦部課長はどのように役員会への提案やDXの取り組みを進めたのでしょうか。
浦部 新事業開発のアイデアを生み出すためのプロジェクトでしたが、「自社の新しいモノやサービスを世の中に発信する手段や手法が、これまで通りのアナログな営業活動しかない」ことが当社の課題だと考えていました。次々と新しいサービスが自社で生まれても、お客さまとの接点が対面での営業活動しかないということは、当社の課題としてずっと残ると感じました。
もう1つ理由があります。営業担当者が対面での提案で担う購買プロセスの半分近く、比較・検討のレベルまで、お客さまはインターネット検索で情報収集ができる世の中になっているということです。今後は、よりその傾向が強くなりますし、「顧客接点の部分をデジタル、つまりオンラインでやりましょう」と提案しました。
種戸 DXに精通した方はプロジェクトメンバーにいたのでしょうか。
浦部 いませんでした。営業畑育ちの人ばかりで、「オンラインでお客さまに情報提供できるツールがあります」としか説明できず、営業担当者に「どのような成果が出るか」と問われても、正確に答えられませんでした。提案したMAツールは、愛知県内ではまだ導入企業がなく、全国的にも当社のような中小企業、しかも同業である物流商社の事例はありませんでした。
ただ、MAツールを使えば、インターネットでお客さまが何を見ているかを追跡して、お客さまがほしいと思う情報を適切なタイミングでデジタルを用いて提供し、その後に営業担当者が会いに行く、といった動きができるようになります。空振りで終わる営業活動が減り、営業担当者の満足度も高まります。そのことを役員会や営業担当者に納得してもらえるまで、繰り返し、ただひたすらに提案し続けました。
種戸 熱意あふれる提案が役員会や営業担当者を納得させたということですね。
浦部 当時は納得していない人もいたと思います。それでも、明石が私たちを信じて決断してくれたことはうれしかったですね。