3代にわたって上越・妙高地域の住環境改善に尽くしてきた家’Sハセガワ。「いっしょう、いっしょ」をコンセプトにステークホルダーと揺るぎない信頼関係を築き、理想の住まいを追求する。
雪と寒さから地域の人を解放したい
森松 家’Sハセガワは、新潟県の上越・妙高地域で戸建住宅の設計・施工を中心とした事業を展開する建築会社です。まず、会社の概要と沿革をお聞かせください。
長谷川 私の祖父、長谷川定雄が1952年に創業して木材・製材業を始めたのが起点です。1969年に1級建築士事務所を開設して住宅建築事業へ進出。現在は住宅建築に特化した事業を行っています。
事業拠点としては本社と部材を加工するプレカット工場のほかに、住宅の構造や暮らし方などをお客さまに紹介する体験型の展示場「木もれ陽」と「上越すまいステーション」があります。
森松 地域に密着した家づくりを続けてきた老舗企業ですね。事業の特徴はどのような点ですか。
長谷川 上越・妙高地域は、夏は高温多湿で冬は大雪が舞う厳しい環境下にあります。当社は「雪と寒さから、地域の人の暮らしを解放して快適なものにしたい」との思いから、1988年に地域初となる高断熱・高気密住宅「はるめんと」を発表。高い評価を得て30年を超えるロングセラーとなり、1000棟以上の竣工実績を誇っています。
住宅建築会社としては珍しく、プレカット工場を所有していることも特徴の1つ。これにより、設計・企画から部材を作って家を建てるまでの自社一貫生産を可能にしています。
森松 耐雪住宅のモデルハウスを建ててから受注が増えたと聞いています。
長谷川 1987年にモデルハウスを建て、見学会を催すと多くの人が訪れました。1984年から「3年豪雪」と呼ばれる記録的な大雪が続き、住民から「雪につぶされない家を建ててほしい」との声が上がりました。それに応えてオリジナルのフラットルーフ(水平屋根)を備え、最大4mの雪の重さに耐える耐雪住宅の導入を決め、モデルハウスを公開したのです。当時、この周辺ではモデルハウスを建ててPRするのは先駆的な手法だったので、注目度が一層高まったのではないでしょうか。
そして1988年の高断熱・高気密住宅「はるめんと」に続き、1989年には耐雪+高断熱・高気密住宅「スーパーフォルテ」を発表して、念願の“雪と寒さからの解放”が実現。そこから売り上げが急伸しました。
1995年には総竣工数が1000棟を超え、2005年に1700棟、2014年には2000棟に達しました。
人生の経営者は「自分」自己実現への挑戦を応援
森松 長年、タナベ経営とお付き合いいただいておりますが、そのきっかけは何だったのですか。
長谷川 先代の父・重英(現代表取締役会長)から聞いた話によると、住宅建築事業をスタートしたものの、なぜ儲かったのか、なぜ赤字になったのか、理由が分からない状態が続きました。そこで「ちゃんとした経営のできる会社にならないと先はない」との危機感を抱き、商工会議所に相談するとタナベ経営を紹介され、1983年に経営診断を受けたのが始まりだそうです。
大変厳しい指摘を受けた父は奮起して勉強会などへ参加し、経営を学びました。3代目の私もタナベ経営から経営のイロハを学び、さまざまな局面で的確なアドバイスを受けています。
久保田 今、タナベ経営は家’Sハセガワの人材育成の取り組みをお手伝いしています。人材育成に対する長谷川社長の思いをお聞かせください。
長谷川 人材育成のベースになっているのは、父がタナベ経営の勉強会で「企業は人なり」と学んだこと。家でも「人が育っていないと会社はだめになる」と繰り返し話していました。実際に自分自身が社長になってみると「企業は社長の器以上には大きくなれない」と実感した次第です。(笑)
人生も同様で、自分の器を大きくしないと、より良い人生を送ることはできません。自分の人生は自分にしか経営できませんから、自分が思ったことを実現しなくては人生を好転できないのです。自己実現にチャレンジする中で、楽しさを感じることもできるでしょう。だから、「社員にも自分の人生をきちんと経営してほしい」と思っています。
機会を見つけては「仕事を通じて何を得るのか、どんな自分になり、どんな暮らしをして、どんな満足を得るかを真剣に考えてほしい。夢や希望、なりたい姿をできるだけ思い描いて、それに向かって頑張ろう」と社員に語り掛けています。
久保田 若手社員を対象にした「社長塾」を開いておられます。その内容をお聞かせください。
長谷川 月に1回、午前9~12時に開催しています。商品や事業内容を掘り下げる勉強会なので、哲学的な話よりも業務に関わる実務的な話が中心です。朝礼では「自己実現を目指し、仕事に関わる人たちに感謝して一緒に幸せになりましょう」といったコメントを述べています。
河野 私もタナベ経営のセミナーに参加して、「モノの見方は千差万別」と教わりました。若手社員はモノの見方が確立しておらず、学生時代からの自己流の価値観だけで判断してしまいがちです。多面的な捉え方ができるようになり、こちらの思いを込めた発信に響いてくれる人材へ成長してもらいたいと思います。