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100年経営対談
100年経営対談
成長戦略を実践している経営者、経営理論を展開している有識者など、各界注目の方々とTCG社長・若松が、「100年経営」をテーマに語りつくす対談シリーズです。
100年経営対談 2020.09.30

アフターコロナを見据え、九州のサステナブルなインフラに貢献し続ける 九州旅客鉄道 青柳俊彦氏

 

 

 

民営化以降、鉄道事業を中心に多角化を進めてきた九州旅客鉄道(JR九州)。これからも「九州の元気をつくる」ために、九州の持続的な発展に貢献する歩みを止めることはない。その歴史と思い、決意を代表取締役社長執行役員の青柳俊彦氏に聞いた。

 

 

「ともにがんばろう」のメッセージを発信

 

若松 コロナショックは、鉄道事業を主体とするJR九州グループにも大きな影響を与えていると思います。あらためてコロナショックの影響と実施した対策についてお聞かせください。

 

青柳 新型コロナウイルス感染拡大に伴う外出の自粛などの影響により、国内外のお客さまの移動需要が急速に減少しました。また、お客さまや従業員への感染拡大を防ぐため、一部列車や高速船の運休、駅ビルやホテル、飲食店などの一部施設の臨時休業や営業短縮などを実施して対応しました。

 

4月には全国で緊急事態宣言が発出され、先行きが不安視される中、「その日まで、ともにがんばろう」をテーマに、九州の名所の様子を、各地からのメッセージとともに動画にまとめて配信しました。地域を元気にするために、JR九州グループができることは何かを考えた結果の取り組みです。

 

また、8月からは福岡市を拠点に活躍するアイドルグループ「HKT48」とのコラボによる、九州の観光地応援企画「みんなの九州プロジェクト」を進めています。

 

若松 「九州のみんなでがんばろう」という、JR九州らしいメッセージがユーザーに伝わるコンテンツだと思います。ウィズコロナ時代におけるJR九州グループの位置付けや役割について、お考えをお聞かせいただけますか。

 

青柳 ウィズコロナ、アフターコロナと社会が変化する中ではありますが、当グループとしては、事業の根幹である「安全」と「サービス」は揺るぎないもの、何ら変わることのないものと位置付けています。

 

その考え方の下、九州のモビリティーサービス企業としての社会的な役割を担い、九州の持続的な発展に貢献する企業グループとして、当グループも変化し、新しい社会における新しい交通の形を作っていかなければならないと思っています。

 

 

列車を移動手段からエンターテインメントへ

 

若松 仕事柄、全国各地を鉄道で回っていますが、JR九州が運行する特急列車には人をワクワクさせる魅力があります。

 

青柳 そう言っていただけるとうれしいですね。国鉄の民営化によってJR九州が誕生したのは1987年4月1日でしたが、翌88年には当時最速となる時速130kmを実現した「ハイパーサルーン」をデビューさせ、特急「有明」(博多-西鹿児島駅間)の運行をスタートさせるなど、新車両の開発に関しては全国に先駆けて取り組んできたと自負しています。

 

列車づくりにおいては、列車本来の目的である高速大量輸送の向上に取り組む一方、お客さまが乗りたくなるような車両の開発にも重点を置いてきました。その代表例が九州の旅をより楽しんでいただけるよう、個性あふれる洗練されたデザインとユニークな仕掛けやストーリーを盛り込んだD&S(デザイン&ストーリー)列車です。今では九州各地を11種のD&S列車が走っています。

 

若松 今でこそ、全国各地で特長ある鉄道が運行していますが、30年前は列車そのものを楽しむといった概念はなかったように思います。民営化して1年後には熊本-宮地駅間を結ぶSL(蒸気機関車)「あそBOY」、その翌年(89年)には特急「ゆふいんの森」を投入されていますね。早い時期からエンターテインメント性に着目された理由はどこにあるのでしょうか。

 

青柳 九州における鉄道事業は石炭を運搬する貨物輸送で拡大しましたが、石油が石炭に取って代わるエネルギー革命やモータリゼーションによって、民営化当時、鉄道需要は大幅に減少していました。赤字が続く中、何とか1人でも多くの方に列車に乗っていただきたい。乗車機会を増やしたいと考えて取り組んだのが、お客さまが乗りたくなるような列車の開発でした。

 

また、D&S列車の開発にはもう一つ大事な目的がありました。社名にもある通り、当社は旅客鉄道です。貨物中心の時代を引きずっていた社内の意識を、旅客中心へと変えることも列車づくりに力を注いだ理由でした。

 

若松 ワクワクするような列車を生み出す背景に、旺盛なチャレンジ精神が見て取れます。同時に、旅客に集中せざるを得なかった切迫した背景が、新しい領域を切り開く原動力になっていたことが分かります。

 

 

「その日まで、ともにがんばろう」をテーマに、九州各地からのメッセージを動画にまとめてホームページやツイッターで配信

 

 

2020年8月からアイドルグループHKT48とのコラボによる「みんなの九州プロジェクト」を推進

 

 

 

 

個性あふれるデザイン、ユニークな仕掛けやストーリーを盛り込んだD&S列車。写真は「ゆふいんの森」

 

 

今日かいた汗が会社の未来をつくる

 

若松 民営化後は、主力事業である鉄道のテコ入れを図る一方、多角化も進めてこられました。現在は不動産や旅行、飲食、ホテル、旅館、小売業まで幅広い分野に事業が広がっています。

 

青柳 国内外に43のグループ会社があり、2019年3月期のグループ全体の営業収益は4403億円と9期連続増収を記録。ただ、2020年3月期は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、残念ながら減収減益を計上しました。

 

今でこそ収益の半分以上を輸送サービス以外の事業が生み出していますが、戦略的に事業を広げてきたわけではありません。民営化後に3000名に上る余剰人員を養うために、収益が出そうな事業に進出したのが多角化のきっかけでした。

 

若松 新たな分野に挑戦せざるを得ない理由があって多角化が進んだわけですね。ピンチに直面したときほど、新たなビジネスモデルが生まれるものです。

 

青柳 それこそ、小さなうどん店や焼き鳥店から始めて、料理の技術を身に付け、経営を学んだことが現在のレストラン事業やホテル事業につながっています。ここまで来るのに、本当にたくさんの失敗を経験しましたよ。

 

ただ、30年を振り返って強く思うことは、非常に大変な思いをしながら頑張れたのは、今日かいた汗が将来につながると思えたから。とにかく夢を持つことが大事です。

 

若松 どこかから知恵を借りてくるのではなく、自分たちで考え、経験して身に付けるカルチャーが企業としての強さの源です。コロナショックの状況下においても、有事の経営が必要とされています。その際、民営化以降の軌跡をあらためてたどることが、若い社員にとってヒントや自信になるように思いますね。

 

青柳 経験から言えるのは、一発逆転はあり得ないということ。簡単ではありませんが、常に先を見ながら、積み上げていくしか乗り越える方法はありません。

 

もう一つ、この30年ではっきりしたことは、鉄道事業とシナジーが大きい事業が残ったという事実です。やはり当社の核は鉄道事業であり、そこに肉付けしていく形で事業グループが出来上がっています。裏返せば、鉄道事業の脆弱さこそ、非鉄道事業が育った最大の要因だったとも言えます。

 

若松 時代の変化によって鉄道事業が弱くなったように見えても、社会インフラとしての変わることのない強みが事業のベースであることは間違いありません。