「パワハラ防止法」がリーダーを悩ませる
どの企業においても、人材育成は重要な経営課題であるかと思います。組織を支えるのは、理念を基にミッションを遂行してくれる人材だからです。そのため、リーダーは、適切な指導で部下を導く必要があります。しかし、その教育方法に困惑しているリーダーは少なくありません。
相談を受ける場でも、「どのように部下を指導したらよいのか分からない」という声をよく聞きます。一生懸命に関わっているつもりが「ハラスメント」と捉えられたり、距離を置きながら関わると「何もしてくれない」と言われたりする始末です。
ゆとり教育が問題などといわれることもありますが、原因はそれだけではありません。基本的なコミュニケーションの欠落と、それに伴う相互理解の不足が問題なのです。ですから、関わり方をより良く改善することが必須です。
2019年5月29日に、「改正労働施策総合推進法」(いわゆる「パワハラ防止法」)が参議院本会議にて可決・成立しました。これまでは、2012年に厚生労働省から発表されたパワハラ防止の行為類型を基に職場で対応をしていたので、あいまいなことも多くありました。しかし、法的な規制ができたため、当然ですが現場対応は厳しくなり、よりいっそう人材育成に苦慮する企業が増えるのではないかと思います。そんな中、ハラスメントにおびえずに、自信を持って部下指導や指示を行えるようにすることが課題となります。
指示の出し方が大切
まずは、関わり方の基本をお伝えしていきたいと思います。
上司は、部下の気持ちを受け止めるべきですが、カウンセラーでもセラピストでもありません。そもそも、相手を丸ごと受け止めることはできませんし、ましてや思考の傾向を変えることなど、もっての外です。
本来の目的である「人材をマネジメントする」ために、明確な目標設定を共有し、業務遂行につながる指導をし、都度、修正をすることが使命なのです。そのことを念頭に置き、いかにしてこちらの意向を正確に伝えるか、相手にそれが伝わっていることを認識できるかが重要になります。まず、そのことを意識しましょう。
「適当に任せたよ」と指示を出しても、自主的に動ける部下はごくわずかです。その業務に関しての経験値が高く、よほど業務に自信のある場合以外は、この表現を使うことは避けたいところです。部下の立場からすると、何から手を付けてよいか分からずに時間を無駄にしたり、場合によっては「丸投げされている」と不快に思ったりするでしょう。
それを防ぐために「質問があれば何でも聞いて」と付け加えて、フォローするつもりでいるリーダーがいますが、これも非常に危険です。「部下から質問がない=部下は理解している」と認識し、高をくくっていると後でトラブルになることも多いものです。というのも、質問はある程度分かっている段階でしか生まれないからです。何を質問すればよいのかも分からない状態の可能性があるのです。
「とりあえずやって」「今に分かるから考えなくていいよ」「見て覚えて」という発言も同じような危険をはらんでいます。
かつて上司は、「見て覚えろ、技は盗め、やることを自分で探せ」と、多くを語らずとも自分で身に付けろという関わり方がどの職場でも主流でした。それが可能だったのは、一つに終身雇用制度に裏付けられた、企業理念と業務を身に付けるための長い時間があったからです。
いまや人材の流動は激しく、企業理念はおろか、基本的な業務知識もないまま新入社員が業務を担当することも珍しくありません。しかも、氷河期で採用がなかった時期の人材が、業務の中核を担う年齢に達しており、その重要人材を中途採用するケースも少なくない状況です。
そんな中で、「多くを言わずとも分かるはず」という認識は通用しません。上司にとって部下がスムーズに業務遂行できるように指示することは義務なのです。マニュアルが存在する時点で、誰もが同じことをできるように指示するという意識が必要です。そのためには、具体的な言葉掛けが必須です。
例えば、ペットボトルの水を飲んだことのない人に「飲んで」と手渡すだけでは不十分で、「キャップをひねって回して開けると飲める」と、言葉で具体的に伝えるひと手間が重要なのです。手取り足取りとはいかないと思いますが、ある程度はスモールステップで、具体的な言葉を添え、やってみせる、やらせてみて調整をかけていくことが望まれます。これを怠れば、指導怠慢でハラスメントと捉えられかねません。
指導とハラスメントの境界
「部下に注意や指導をする時に、他の社員もいる前で叱責するのはハラスメントか否か」。私が研修でこの質問をすると、大抵の方がハラスメントに当たると回答されます。しかし、そうとも限らないことが多いのです。なぜなら、その判断は注意や指導の内容によって分かれるからです。
例えば、職員全員が守らなければならない規則、周知されている職場ルールなどの場合、それを注意することは指導に当たるので、他の社員がいる前で強く指摘しても一向に構いません。反対に、個別に注意していることを他の社員が知らない場合、「あいつだけ目こぼしされている」という不満が生まれたり、「許されるなら自分もやってしまおう」という怠惰な意識が生まれたりして、職場全体の士気が下がる原因にもなりかねません。ですから、共通ルールから部下が逸脱している場合は、他の職員がいる前で叱責しても問題ないのです。
個別に呼び出したり、別の部屋で注意したりする方がよいのではと考えがちですが、「他の社員がいる前で注意されても構わない」という部下が、近年は増加傾向にあります。狭くて暗い場所、窓のない部屋などに呼び出されるなど場所もさることながら、そもそも、上司と2人きりになる方が苦痛だという理由です。もちろん「聞こえよがしに大声で言ってほしくはないが、ある程度はやむなし」と考えるようです。部下自身の認識や、関係性もさまざまですので、迷ったらどこで話をするか、あらかじめ意向を聞くとよいでしょう。
しかし、内容にプライベートなことや、プライバシーに関することが含まれてくると問題が出てきます。また、人格否定表現を使わないことが大切です。人格否定を行えばそのこと自体がハラスメントに当たります。「早く○○してください」は行動への要求ですが、「のろま」と言えば人格否定に当たります。行動や言動ではなく、部下自身を否定することは避けなければなりません。
ハラスメントといわれるのが怖くて対応しないでいると、ますますコミュニケーションは希薄になります。相互理解の機会を逸してしまわないよう、境界をしっかりと押さえましょう。次回以降も、誤解が生まれないような関わり方をお伝えしていきます。