働き方改革の目的を見失っていないか
人口が減少し、労働力が不足していく中で、政府は長時間労働が生産性の低下を招き、日本経済の成長の足を引っ張ると考えている。安倍首相は「一億総活躍社会を目指す私たちにとって『働き方改革』は最大のチャレンジ」(2016年9月2日)と位置付けて、働き方改革に積極的に取り組んでいる。また、各企業においても「ノー残業デー」の実施や有給休暇の取得促進など、長時間労働の是正を進めている。
しかし、実態はどうだろうか。とにかく残業はさせまいと職場から社員を追い出す会社、夜間の残業を禁止しておきながら早出残業(早朝出勤)は黙認する職場、働き方改革という大号令を出しておきながら現場任せに終始する経営者――。そもそも目指していた働き方改革は、こういうことだったのだろうか?
働き方改革ブームに乗って手段が目的化してしまい、本来の目的を見失っているとしか思えない。もとより、「働き方を見直す」とはどういうことなのか、いま一度確認しておく必要がある。
働き方改革の本質と経営者の役割
「働き方」という言葉の定義が曖昧なまま用いられることが多いように感じるが、ここであらためて定義してみたいと思う。
働き方改革と称して、チームでの仕事の進め方(分業・協業、コミュニケーション)の見直し、個人の仕事の進め方の改善など「ワークスタイル」の変革が叫ばれるが、本来“働き方”とは、会社・組織と個人の関係性、組織・制度の在り方(雇用形態、就労形態、勤務場所、採用・育成……)など、より経営的な視点で捉えられるべきである。しかしながら、狭義のワークスタイルと、より広義の「働き方」を混同して議論しているケースが多い。ワークスタイルの変革も重要だが、将来の働き方を無視しても小手先の対策になる。働き方は本来、経営戦略やビジョンに左右されるものなのである。(【図表1】)
働き方改革に取り組む経営的な意義は、採用力強化や定着率の向上など、人手不足時代における人材の確保の視点が前面に出ることが多い。しかし、それはあくまでも目先の目標であり、本来の目的ではない。人手不足時代だからこそ、今までの単一的な働き方ばかりでなく、多様な働き方と向き合い、多様な人材が生み出すイノベーションを創出することだ。生産性向上こそが、働き方改革に取り組む意義である。その結果、経営者は業績向上を実現し、社員は働きがいの向上(成長実感・貢献実感の高揚)を実現することができる。
この経営者・社員双方にメリットがある一連のストーリーを、経営者自らが社内で伝え続けることが働き方改革の第一歩である。現場の担当者に業務改善ばかりを求めても、抜本的な解決策は見いだせないのだ。
働き方改革の軸は「理念・ビジョン」
働き方改革の取り組みの一環として、残業禁止や休日出勤禁止などのルールを設ける企業が多い。ルールをつくることで強制的に働く時間を制限すれば、一時的には残業時間も減り、働き方改革が進んだように見えるが、実際は「持ち帰って……」「近くの喫茶店で……」ということが次第に増えてくる。経営者の頭には、規制をかけることでおのずと仕事のやり方を見直すようになるだろうという暗黙の期待があるのかもしれないが、結果としては在社時間が減るだけで解決には至らない。仕事はさらにやりづらくなり、社員のモチベーションはより低下し、社内の雰囲気も悪化していくことが想像される。時間的な制限を設けるだけでは社員の働きがいも生産性も高まらないのである。
では、何が社員の働きがいを高め、生産性の向上につながるのか。働き方改革の軸を「理念・ビジョンの実現」に置き、会社への求心力を強化することで社員の働きがいと生産性向上を図っていくことだ。(【図表2】)
そして、働き方改革の推進をより強固にしていくためには、生産性向上につながる社員の行動を評価していく仕組みの存在も必要である。価値観を経営者と社員が共有するためのコミュニケーションパイプをつくり、理念・ビジョンを軸にした評価制度を構築する。そうすることで、社員が自ら生産性向上に取り組むような環境を整えていくことが、働き方改革を実現するための経営者の役割となる。
ワークスタイルの見直しも必要
ただ、ワークスタイルの見直し(業務改善)が不要とは言えない。ワークスタイルの見直しは現場が主体となるが、現場任せでよいというわけではない。経営者は業務改善を推奨し、会社と社員(個人)双方にとって成果が出ることをメッセージとして発信し、改善がなされればきちんと褒める。また、経営者はメッセージを発信すると同時に、ワークスタイルを抜本的に改革できる中心人物を育てるための投資を行うことも必要である。
人手不足時代に、働き方改革は避けては通れない経営課題である。しかし、長時間労働の是正は目的ではなく「手段」なのだ。本質的な意義を見失うことなく改革を推進するためにも、「理念・ビジョン」を軸に、経営者にしかできない役割をぜひとも果たしてほしい。