1890年に開業した帝国ホテルは、日本における西洋式ホテルのパイオニアだ。東京、大阪、上高地(長野県)に直営ホテルを有し、長い歴史の中で培った経験と、時代を先取りしたサービスを展開。年商約560億円、従業員約2000名の東証2部上場企業である。東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には開業130周年を迎える。帝国ホテルはこれから何を目指し、どのような変貌を遂げていくのか。代表取締役社長の定保英弥氏に展望を伺った。
信頼のブランドを支える一体感と総合力
若松 帝国ホテルは1890年に「日本の迎賓館」として開業して以降、国内外の要人をはじめ多くの方々が利用する、日本を代表するホテルです。定保社長は大学卒業後に入社されたそうですが、学生時代からホテル業界に関心があったのですか。
定保 父が航空会社に勤務していた関係で、子どものころにドイツと香港で計10年間を過ごしました。その影響もあり、「海外と接点のある仕事をしたい」という気持ちを持っていましたが、ホテル業界で受験したのは帝国ホテルのみ。実は海外で生活していたころ、一時帰国した際に帝国ホテルに宿泊したことがありました。重厚感ある空間が印象に残っていたことも受験のきっかけでした。
若松 帝国ホテルには歴史の重みを感じさせる独特の雰囲気が漂っています。近年、大規模な外資系ホテルの開業が相次ぎ、競争が激化していますが、そうした環境下でも独自のポジションを築き、高い支持を集めています。ブランドの源となる“帝国ホテルらしさ”について、非常に興味があります。
定保 一言で表すのは難しいですが、常連のお客さまから「新しいホテルもすてきだったけれど、帝国ホテルに来ると安心する」と声を掛けていただくことがあります。非常にうれしいことですし、この信頼感が1つのキーワードではないかと思います。「帝国ホテル東京」は客室が931室、レストランやバーは合わせて17店舗ありますが、この規模であっても100室程度のホテルと同じようにきめ細やかなサービスをご提供しようと心掛けています。
若松 落ち着いた心安らぐ空間がリピート客を生み出しているように感じます。ですが、こうした深い信頼関係を築くことは容易ではありません。どのようなことに取り組まれたのでしょうか。
定保 大事にしているのは、ハードウエア(施設)とソフトウエア(サービスや組織)、ヒューマンウエア(人材)のバランスです。いずれも高い品質が求められますが、中でもヒューマンウエアが重要だと私は考えています。
若松 ヒューマンウエアといえば、フランス料理のシェフで総料理長だった村上信夫氏や客室係の竹谷年子氏をはじめ、帝国ホテルは世に知られる逸材を幾人も輩出してきました。社員がブランド人材になる。これも“帝国ホテルらしさ”ですね。
定保 客室係やシェフ、ソムリエ、バーテンダーなど、現在もホテルスタッフをお目当てに訪れるお客さまが大勢いらっしゃいます。社員一人一人が顧客を持っているような感じです。
若松 当社が毎年開催している「経営戦略セミナー」でも、「帝国ホテル大阪」を利用させていただいており、「ハードウエア・ソフトウエア・ヒューマンウエア」のバランスのよさに感心させられます。記憶、印象に残るホテルなのです。これは人材が理念や仕事の使命を深く理解している必要があります。
定保 企業理念に「創業の精神を継ぐ日本の代表ホテルであり、国際的ベストホテルを目指す企業として、最も優れたサービスと商品を提供する」とあります。この心持ちが特定の人材に限らず受け継がれています。帝国ホテル東京には、2000人ほどのスタッフがいますが、特別な事態が起こった時には素晴らしい総合力を発揮する。こうした一体感が、お客さまに安心していただける空間につながっていると思います。
若松 「一体感」、いい言葉ですね。社員に理念が浸透しているからこその表現です。だからイレギュラーな場面でも、現場で的確な判断が下せるのでしょう。「使命」「一体感」「現場力」。簡単にまねのできない、ファーストコール(顧客から一番に声が掛かる)の価値を生み出す競争力であるといえます。
定保 社員は一生懸命に働いてくれますが、それ以上に、お客さまに育てていただいている側面も大いにあります。先代からずっとごひいきにしてくださっている、長いお付き合いのお客さまが数多くいらっしゃいますし、国内外の著名な方が来られることも多い。そうした方々と接し、期待以上の価値を提供しようとすることで人材は成長していくものです。帝国ホテルには、成長の機会が豊富にあると思います。新しいホテルが次々と進出してきますが、外観などのハードウエアに比べて、ヒューマンウエアは一朝一夕では整いません。
若松 なぜ、創業から127年を経ても、帝国ホテルのブランド力が色あせないのか。その理由が見えてきました。
期待以上の価値を提供しようとすることで
人材は成長していくものです
体験から学び、現場力を高め帝国ホテルクオリティーを磨く
若松 2013年に社長に就任されてから4年たちましたが、マネジメント上ではどのようなことを大事にされていますか。
定保 社長就任後も4年ほど東京総支配人を兼任していました。そのころは、朝はまずレストランを回ってお客さまにお会いしてから打ち合わせなどを行い、その後、チェックアウトされたお客さまのお見送りやチェックインされるお客さまへのごあいさつという毎日でした。ホテルのマネジメントとグループ全体の経営では立ち位置が変わりますが、兼任時代は総支配人として現場に重点を置いていました。私共の本業はホテル業ですから、サービスを尽くしてお客さまにご満足いただくことが最も大事なこと。ファンづくりの最前線に立つ総支配人という立場で経営に携われたことは、良い面が多かったと思います。今でも現場に顔を出したり、営業担当者と同行したりするなどして現場の声を聞くように心掛けています。
若松 私は多くの経営者とディスカッションしますが、現場を軽視したり、現場から外れたりする経営者はいません。「現場が大事」と声をそろえて言われます。人材育成においても、基本となるのはやはり「現場力」です。
定保 私自身、入社してすぐにベルマンや客室の清掃、調理など、さまざまな現場を経験しました。研修期間は1年半ほどありましたが、最後の数カ月は長野県にある上高地帝国ホテルで徹底的に接客の基本とオペレーションを叩き込まれたことで、ホテル全体の運営を理解できるようになりました。現在も、総合職の新入社員は上高地帝国ホテルで研修をした後、レストランなどで現場研修を行っています。誰がどのような形でホテルを支えているのか、自分の目で見る、体感することが大切だと考えています。
若松 あらゆる現場を経験する。これが、総合力につながっているように感じます。どの現場のスタッフも「帝国ホテルブランド」を背負っているわけですが、社員教育において特に重視している点はありますか。
定保 東京総支配人時代から、「当たり前のことを当たり前にやる」基本プレーの徹底を大事にしてきました。スポーツ選手も基礎ができている人ほど成績を残しますし、長い期間活躍できる。仕事も同じだと思います。ホテルマンとしての技術は必要ですが、それ以前に社会人としての基本を身に付けることが大事。そこで、「挨拶、清潔、身だしなみ、感謝、気配り、謙虚、知識、創意、挑戦」という9つの実行テーマを掲げて徹底しています。社員教育については「人材育成部」という専門の部署を設置し、階層別・職種別の研修を定期的に行っています。
若松 人材育成部の設置がヒューマンウエアに対する帝国ホテルの姿勢が表れています。ホテルというビジネスは欧米から導入されたものですが、人材を磨くことでメード・イン・ジャパンのホテルとしてブランド価値を高めています。日本品質のサービスを追求した結果、さまざまなサービスが(帝国ホテルから)全国に広がっていますね。
定保 レストランのバイキング(ビュッフェ)形式、ホテル内ランドリー、ホテルウエディング、ショッピングアーケード、ホテルハイヤーなどは帝国ホテルから始まりました。
若松 日本のホテルサービスのパイオニアです。時代が必要とするサービスを日本に合う形で実現してこられました。大事なのはメード・イン・ジャパンの在り方を追求すること。どこに軸足を置いてビジネスを拡大させるかを考える上で、帝国ホテルから学ぶべき点が多くあります。