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100年経営対談
100年経営対談
成長戦略を実践している経営者、経営理論を展開している有識者など、各界注目の方々とTCG社長・若松が、「100年経営」をテーマに語りつくす対談シリーズです。
100年経営対談 2017.03.31

近江商人の魂を今に引き継ぎ人格と変化で飛躍し続ける歴史企業 小泉 代表取締役会長 植本 勇氏

  小泉本社にて。代表取締役会長 植本勇氏 (右)と、タナベ経営 代表取締役社長 若松孝彦(左)  

1716年に創業し、今日ではアパレル(小泉)、照明や家具(小泉産業)、家電製品・家庭用品(小泉成器)など、多彩な事業を展開する小泉グループ。グループ売上高2000億円。問屋業から出発し、商品や顧客に対する独自の付加価値創造で発展を続けている。その歴史、経営信条やビジネス観について、代表取締役会長の植本勇氏に伺った。

  同族経営からの脱皮で飛躍への道が拓けた   若松 創業300周年おめでとうございます。タナベ経営との長いご縁にも感謝を申し上げます。今回は、100年経営をはるかにしのぐ“300年経営対談”ですね。私は創業200年以上の会社を「歴史企業」と呼んでいます。会社を語るときに、日本や地域の歴史も語らなければならないからです。まさにその域に達した会社です。   植本 江戸時代、近江の国の武士だった小泉太兵衛が武士を捨て、1716(享保元)年に行商を始めたのが小泉グループのルーツです。その後、子孫が1847(弘化4)年に京都に出店して商いを広げ、さらに大阪に進出したのが146 年前の1871(明治4)年。歴史的にそうした大きな節目がありましたが、私自身はここに至るまでの300年という長さは、あまり意識したことがないのです。   若松 2016年秋、滋賀県東近江市で小泉グループの長い歩みを祝福する催しがあったとお聞きました。   植本 東近江市が運営する近江商人博物館で、小泉グループの中興の祖である第3代重助に焦点を当てた企画展が開催されました。2015年に旧重助邸が文化庁から登録有形文化財に指定されたこともあり、社内外であらためて300年の歩みが注目されたのは確かです。   若松 第3代重助氏とはどのような人だったのですか?   植本 太兵衛から数えて12代目に当たる人で、現在の小泉グループの実質創業者と言える人物です。実は、第3代重助までは200年近く同族経営が続いていました。大正初期の頃に生じた同族内のもめごとがきっかけで重助が大阪の出店を引き受けることになり、太平洋戦争後まもなく亡くなるまで、会社の礎を築き上げることに尽力しました。自らの経験が身に染みたのか、「長男を除いて経営陣を同族だけで固めるのはいけない」と最初に言ったのも重助です。   若松 現在の小泉グループ各社も、その言葉をしっかり守っているようですね。小泉と名が付くグループ会社でも、経営を執行する皆さんは非同族の方々です。   植本 当社が主力でやってきた繊維業界を見渡すと、名門であっても経営陣の半分以上を同族が占めている会社は、成長が止まっているところが多いのです。同族経営では会社の業績が悪化しても簡単にトップを代えられませんし、組織や事業の改革も進めにくい。小泉も旧態依然とした同族経営ではやがて生き残れなくなると、重助は見越していたのだと思います。   若松 歴史企業の臨床事例として聞くと、重みがありますね。植本会長も非同族で社長に就任され、これまで社内改革にさまざまな手腕を発揮されました。   植本 私は同族以外で2人目の社長になったのですが、社長になる以前に、もともと1つの会社で行っていた繊維事業を部門ごとに分社化することを推し進めました。呉服は京都小泉、服地は小泉テキスタイル、洋品は小泉アパレルというように。結果的に、本体の小泉はそれら子会社の経営を管理するような形になりました。上場こそしていませんけど、今日でいうホールディングスの形にして経営基盤を強化することに、多少なりとも貢献できたかもしれません。   201704_100taidan-01-2 300年は単なる節目。「ぶれない軸」と「変化への挑戦」で、グループ一丸で次の100年を目指していきたい。     人の育成と独自の価値創造で組織・事業が大きく成長   若松 ともにグループの中核を成す小泉産業や小泉成器は、どのようにして生まれたのでしょうか。アパレルを主体にする小泉とは全く事業分野が異なります。   植本 戦時中の1943(昭和18)年に、軍需産業を営むために設立した五光精機工業が両社の前身です。軍需産業なら男性社員が徴兵されなかったというのが設立の大きな理由。2年後に戦争が終わると人々の生活用品が圧倒的に足りない状況になり、電熱器に目を付けて売り出したのが最初のビジネスです。ものづくり自体は当時の他社メーカーにお願いしまして、従業員が近江商人魂を発揮しながら全国の電気店を回りました。そうするうちに本当の市場ニーズは何かが分かり、電気スタンドを扱い始めたことが照明事業に発展していったのです。   若松 時代の変化、顧客価値の変化の中で求められるものを探した結果、家電分野へ進出されたのですね。   植本 昭和30年代に入って、一般家庭の電化が一気に進んだこともあります。電気式アイロンやヘアドライヤーなど、売れそうな製品を見つけては販売に注力してヒット商品に育てました。その後、調理用のガス器具を組み込んだテーブルに着眼し、家具分野にも参入。そこから照明付きの学習机というふうに、さらに取扱商品が広がったのです。現在、照明と家具分野は小泉産業が、ヘアドライヤーほかの家電雑貨分野は小泉成器が事業を継承しています。   若松 当時、関西では松下電器産業や三洋電機(ともに現パナソニック)、シャープといった大手家電メーカーが躍進する中で、ニッチな専門領域で大きな事業拡大に成功されました。   植本 当社は創業以来、基本的に問屋商売ですから、販売力は強みになっていました。当時急成長のさなかにあった家電専門量販店にもどんどん売りに行って業績が伸び、いつしか売り上げは繊維事業を上回るほどになりました。   若松 「販売なくして経営なし」の経営原則ですね。今ではその方法や手法を変えていく必要はありますが、原則は変わりません。強い販売力の秘密は何だったのでしょう。   植本 1つは、連綿と受け継がれる「人でモノを売る」信念だと思います。今日の小泉、小泉産業、小泉成器3社共有の社是に「人格の育成向上」と定めているように、商人としての正しい礼儀や判断力、倫理観を備えた社員の行動が確かな成果を生んだことは明白です。もう1 つは、商品に自社だけの特徴を備えたこと。商品をただ右から左へ販売するならブローカーと同じです。当社は呉服店の時代から扱う商品一つ一つに、オリジナルの付加価値を加える考え方を商いの軸にしています。社内ではこれを「ぶれない軸」と呼んでいます。テーブルにコンロを付けたり、学習机に照明を付けたりしたのはその好例です。   若松 ここも優秀な歴史企業に共通している点ですね。下請けでなくオリジナルブランドや商品・サービスを開発し、自前の販売力で顧客へそれらを供給できるビジネスモデルを構築していることです。さらには、社員の皆さんが、ある意味、経営者視点で自立心や自主性を発揮してビジネスに臨んだことも良かったのでしょうね。   植本 その通りだと思います。その点を育む社員教育については、戦後から30 年間にわたり小泉産業を率いた立澤四郎の力が大きいですね。社是の「人格の育成向上」を明文化したのも立澤ですし、1000ページを超える手書きの教育資料を作ったり、頻繁に社内勉強会を開いたりして、人づくりの大切さを会社の隅々にまで浸透させました。その思想は独特で、特に印象深いのは「事業計画とは何だ?」という社員への質問。社員が「売り上げの目標数字を決めて、達成方法を考えることです」と答えると、「それは違う。計画とは決心してやり遂げることだ」と言ったそうです。私も含め、立澤の訓示が後進経営者のよりどころとなり、現在の小泉グループの成長を支えていることは間違いありません。   若松 「経営とは意志であり、決心」というのは創業者の精神そのものです。結果、全員がビジネスをどう捉えるかに重きを置いている点も、今日の小泉グループの強みの根幹なのですね。 201703_100taidan-01-3 今では一般的になったが、学習机に照明を付けるアイデアは同社の発想により生まれた   パイオニア精神の発揮で積極果敢な海外展開   若松 時代の変化に経営をどう合わせていくかは、企業の生命線です。そのような意味で小泉は海外進出も早かったですね。特に中国で合弁会社を設立した日本企業の先駆けではなかったでしょうか。   植本 滋賀県と中国・湖南省が友好提携関係にあった縁で私が音頭を取り、1986(昭和61)年、現地に日本法人として第1 号の縫製合弁会社を設立しました。現在は、中国でのアパレル生産の主力を2001年設立の江蘇省の工場に移していますが、積年の協力関係が実を結び、おかげさまでフル操業の状態。中国が広大な消費市場であることにも注目し、志を新たに現地内販に力を入れ始めたところです。   若松 アパレル生産は中国沿海部の人件費高騰から、近年ASEAN諸国やバングラデシュに拠点を移す動きが活発になっているようですね。そんな中で今、「ポスト中国」として注目されているのがインドです。インドは2020年代には中国を抜いて人口世界一になるとみられていますし、日本企業で進出しているところはまだ少なくて可能性が非常に大きいですね。   植本 当社の場合はすでに中国での投資を終えていますので、人件費の上昇コストも回収できています。ASEAN諸国での生産は結局、原材料を中国に頼らざるを得ませんのでコストと時間がかかるのです。インドでの先鞭を付け、2007年に北西部のジャイプールに検品センターを開設し、現在は営業支店や工場も設置するなど力を入れています。   若松 アパレル事業においても先々をにらんだ、チャンスを逃さない海外戦略をいち早く進行させています。先に伺った照明や生活家電と同様、時代の変化に敏感に対応する姿勢は小泉グループの根幹になっているようですね。     小泉グループの輪を広げて企業力をさらに高めていく   若松 300周年という節目を越え、この後400年、500年と続いていくためにどのような経営を目指されているのでしょうか。   植本 まず、現在の事業の継続と継承が第一です。これを確実に実現するため、積極的に自社の商品を変え、売り場を変え、売り方を変えていく覚悟です。昨今はインターネットを使ったeコマースが当たり前になり、さまざまな商売に新規参入する企業が増え続けています。eコマースと実店舗を組み合わせるオムニチャネルも急速に進化しているので、どんな業界も構造変化が加速して競争が激化していくことでしょう。そのような状況下で、例えばアパレル事業ならこれまで洋服を中心にしていた商品レンジを、靴やバッグ、アクセサリーを含めたファッション全体に広げていく必要がある。そうなると、既存ではない新しいノウハウをどんどん蓄積して活用する経営が重要と考えます。   若松 新しいノウハウはどのような方法で創造していかれるのでしょうか?   植本 小泉は2004年以降、オッジ・インターナショナルやコスギ、ギャルソンヌなどアパレル7社とグループ化し、今ではそれらの事業が連結売上高の約半分を占めるまでになっています。そうした実績から見れば、M&Aは1つの有効な方法だと思います。ただ、単なる事業規模の拡大を目的にしたものではなく、戦略パートナーとして向き合います。親会社として振る舞うのではなく、相手の強みを生かす統合と考えているのです。当社と新しく仲間になる企業の関係は、団結を柱にした「求心力」と、新領域への広がりを図る「遠心力」が大事だと考えています。   若松 自社グループだけでなく、関わる者全ての満足を目指していく経営ですね。植本会長の言葉からは、まさに近江商人の売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」精神で次代への進化を追求していかれるという、強い意志を感じました。これからさらに100年後、200 年後に向かう小泉グループの動向が楽しみでなりません。本日はどうもありがとうございました。   小泉
代表取締役会長 植本 勇氏

1956年小泉入社。1978年取締役就任、1983年小泉アパレル代表取締役社長就任。1986年には中国に進出し、日中合弁会社の第1号となる「湖泉服装有限公司」を設立。1996年には湖南省長沙市長より栄誉市民として表彰された。2001年、小泉代表取締役社長を経て、2006年より現職。2008年には黄綬褒章を受章。2008年大阪商工会議所議員、2015年大阪商工会議所繊維部会部会長などを歴任。
  タナベ経営
代表取締役社長 若松 孝彦

タナベ経営のトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種を問わず上場企業から中小企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーはもちろん金融機関からも多くの支持を得ている。 関西学院大学大学院 (経営学修士)修了。1989年タナベ経営入社、2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て現職。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。
 

PROFILE

  • 小泉㈱
  • 所在地 : 〒541-0051 大阪府大阪市中央区備後町3-1-8
  • TEL : 06-6223-7800
  • 設立 : 1871年
  • 資本金 : 4億8000万円
  • 売上高 : 530億円(連結、2015年2月期)
  • 従業員数 : 1538名
  • 事業内容 : グループを統括管理する持ち株会社 http://www.ap.koizumi.co.jp/