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100年経営対談
100年経営対談
成長戦略を実践している経営者、経営理論を展開している有識者など、各界注目の方々とTCG社長・若松が、「100年経営」をテーマに語りつくす対談シリーズです。
100年経営対談 2016.04.28

創業140周年。最良のユニフォームメーカーを志す トンボ 近藤 知之氏

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タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(左)、トンボ 代表取締役社長 近藤 知之氏(右)。トンボの本社応接室にて

 

140年の歴史を有し、学生服ブランドのトップポジションを確立しているトンボ。時代とマーケットの激変を乗り越え、常に未来を見据えてニッチ業界を生き抜いてきた「変化の経営」について、代表取締役社長の近藤知之氏に聞いた。

 

足袋から学生服へ時代の変化にいち早く着眼

 

若松 2016年5月に創業140周年を迎えられますことを、心よりお喜び申し上げます。トンボは「非同族、未上場で140年の歴史を持つ中堅企業」であり、独自性の高い経営モデルをお持ちです。あらためて創業時のお話を伺えますか。

 

近藤 トンボの発祥の地である岡山県の児島・玉野地区は、もともと児島湾の干拓事業でできた土地です。塩害が強いので綿業が発達しました。その中で当時、日本は和装文化だったので、足袋の製造販売を1876年にスタートしました。

 

若松 祖業は足袋だったのですね。私はコンサルティング経験から、「祖業だけを続けている100年企業の比率は20%」と分析しています。現在の主力製品である学生服を手掛け始めたきっかけは何ですか。

 

近藤 1923年の関東大震災発生後、現地は衣料品不足で困っているだろうと、初代社長の三宅保正が足袋を売りにはるばる東京へ行きました。売れるには売れたものの、程なくして欧米から次々と届いた救援物資のほとんどが洋服。その様子を目の当たりにした初代は、「日本の和装文化はもう終わりだ」と強く感じたそうです。これからは洋服を主力にしなければならないと考えた末、たどり着いたのが学生服でした。当時の国情として、軍服をもとにした制服が大学などに広がりつつあったことも一因だったようです。

 

若松 初代社長は、「和装の一部だけでは市場がなくなり、会社もなくなる」と直感で時代を認識されたのだと拝察します。変化への着眼が的確だったのですね。日本の学生服は、他国と比べてどのような違いがあるのでしょうか。

 

近藤 学生服の先進国は英国なのですが、名門校と一般校で価格や品質、販売チャネルに大きな差があります。一方、日本は公立・私立を問わず同等の品質・価格の学生服が当たり前で、しかも素材や縫製が高品質、デザインが良いものでなければ受け入れられません。そんなマーケットになっているのは、世界中を見渡しても日本だけです。

 

若松 学生服というのは、お国柄や文化を色濃く表すものなのですね。

 

近藤 その通りです。ですから当社は、少子化が進んで市場規模が縮小傾向にあるとはいえ、100年以上続く学生服文化を次世代へ確実に継承していくことが最大の使命だと考えています。

 

若松 2015年、トンボは英国と学生服文化を相互に高め合う大きなイベントを開催されました。どのような内容だったのですか。

 

近藤 5月10日から1年にわたる創業140周年記念事業「トンボ140thアニバーサリーマーチャンダイジングプロジェクト」の一環として、英国王室にタータンを提供しているスコットランドの名門企業・ロキャロン社とコラボレーションしたオリジナルのコーポレートタータンを、東京・千代田区の駐日英国大使館にて発表しました。ロキャロン社と当社は1997年から提携しており、現在では国内の小中高校を合わせて100校近く、約3万人の生徒さんにタータン柄の制服を着用いただいています。今後一層の普及を図る上で、とても有意義なイベントでした。

 

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東京の駐日英国大使館で「トンボ140th アニバーサリータータン」を発 表(2015年5月15日)。左から、ロキャロン社のチーフデザイナー、ドーン・ロブソン=ベル氏とトンボの近藤氏

 

全事業のナンバーワンブランド戦略を加速

 

若松 創業130周年時(2006年)、社名を「テイコク」から「トンボ」へ変更するという、一大変革をしました。歴史ある企業としてはなかなか決断できないことです。それによって、ブランドに対する考え方も一気に深まったように感じます。

 

近藤 学生服におけるトンボブランドは既に広く認知されていたので、当時の取締役会で社名をトンボにしてもよいだろうという結論に至りました。これにより社会的な知名度アップに成功するとともに、社内でインナーブランディング活動にも注力した結果、飛躍的に業績が向上しました。

 

若松 製品ブランドと企業ブランドの統一により、学生服業界で揺るぎない地位を確立されたわけですね。その技術力とブランド力で、スポーツウエア事業やヘルスケアウエア事業も展開されています。これらの事業はどのような経緯で開始されたのですか。

 

近藤 スポーツウエアを始める転機になったのは1964年の東京オリンピックです。日本選手団がブレザーやジャージを着用したことで、大学生を中心に詰襟学生服からカジュアルな服装へトレンドが一変。当時、岡山県全体で1000万着の出荷があった詰襟学生服が数年のうちに4割まで激減し、転業を図る同業者が続出しました。そうした会社が国産ジーンズを生産し始めたのもこの頃で、当社も時流に乗り遅れてはいけないと、創業100周年の1976年にカジュアルブランドを立ち上げました。そこから派生したスポーツウエア事業が今日まで続いています。

 

若松 東京オリンピックは日本にとって大きな変化。この時代認識からスポーツウエアという事業領域(ドメイン)が加わったわけですから、先の足袋から学生服へという広がりに似ています。学生服ではトップシェアを確保されていますが、スポーツウエア事業はどのような状況ですか。

 

近藤 学校向けスポーツウエアの事業領域では、当社はまだ6、7番手くらいのポジション。これを何とか3位以上に引き上げたいと、さまざまな方策を練っています。

 

若松 全ての事業領域でファーストコールである(顧客から一番に選ばれる)ことが、トンボの戦略テーマでもあります。具体的に、どのような戦術を考えておられるのでしょうか。

 

近藤 「VICTORY」というロゴマークのリニューアル、有名選手を起用したCM展開や大々的な展示会の開催など、近いうちに集中的なプロモーションを行う予定です。2020年には次の東京オリンピック・パラリンピックも開催されますので、スポーツ文化全体の振興を視野に入れた、多角的な取り組みを通じてブランド力の強化を図っていくつもりです。

 

若松 次の東京オリンピック・パラリンピックが新たな事業領域をもたらす可能性は高いでしょう。スポーツ人口の増加や人気の高まりとともに新たな価値が創造されるはずです。そこにフォーカスし、セグメンテーションすることでファーストコールは実現可能ですし、チャンスがあるとも感じます。もう1つの事業の柱である、ヘルスケアウエア事業についてお聞かせください。

 

近藤 ヘルスケアウエアでは、業界先駆のメリットを生かし、介護職員のユニフォームでシェアナンバーワンを確保しています。しかし、後発競合の攻勢が激しくなっているので、勝ち残るために新たな付加価値を模索しているところです。例えば、リネン会社と協力して患者着のICT化を探ったり、理学療法士や薬剤師など職種に特化したウエア開発を進めたりしているほか、料理研究家の栗原はるみさんとタイアップして、ハイセンスかつ機能性に富んだ介護ユニフォームもつくり始めています。

 

若松 ファーストコールカンパニーはセグメンテーション戦略がうまいことが条件。職員のユニフォームという「勝てる土俵」を創出することがセグメンテーション戦略です。他にもペット用介護ウエアという領域の事業を開発されました。

 

近藤 「With」というブランドで、老犬の歩行を補助するハーネス『LaLaWalk』を発売しました。現在は、インターネット通販と動物病院の紹介チャネルを中心にビジネスを行っています。海外展開できる商品として、この分野も研究を深めます。

 

若松 時代の変化を捉え、その変化をチャンスに自らも変化する経営。140年の歴史は、変化の歴史でもあると感じます。140周年を迎えた今だからこそ、そのスピリッツを組織で育ててください。

 

㈱トンボ 代表取締役社長 近藤 知之(こんどう ともゆき)氏

(株)トンボ 代表取締役社長
近藤 知之(こんどう ともゆき)氏
1955年7月岡山県真庭郡勝山町山久世(現真庭市山久世)生まれ。勝山町立城北小学校、同勝山中学校、金光学園高校、80年中央大学文学部卒業。同年テイコク(現トンボ)入社。99年営業統括本部販売統括部長、2001年取締役営業統括第一営業本部長、03年常務取締役、10年専務取締役を経て、12年9月代表取締役社長に就任。