志は夢と現実を結び付けるイメージで
若松 アドラー心理学の「全体論」とはどういった概念ですか。
岩井 多くの心理学では、“分かっちゃいるけどやめられない”ことを、意識と無意識、理性と感情、肉体と精神が矛盾・対立し、意識では理解できても無意識でつい悪い方向に手が出てしまうと説明します。
対してアドラー心理学は、矛盾・対立ではなく、目的に向かって互いが補い合うと考えます。つまり、「分かっているけど、やめようとしない」と考える。これが全体論です。その点では、「できないのではなく、やろうとしない」と突き付ける厳しさがあります。自分で矛盾を作り出すのではなく、統合させて言行を一致させようということです。
若松 非常に共感します。経営の究極は成果です。成果は行動の結果から生まれます。行動は思考の積み上げなので、「分かっているなら行動できる」「行動しないのは分かっていないから」と捉えることができます。半面、「念ずれば通ず」と志を貫く優秀な経営者は多い。経営とは、トップの方針、つまり志を社員の協力で実現することです。組織に全体論が浸透することが経営行動であるとも言えます。
岩井 志とは、夢と現実の乖離を解消する明快なビジョンやイメージです。イメージと行動を一致させるため、「As if――まるでそうなったかのようにイメージし、行動しなさい」とアドラーは言います。アドラー心理学は、志の心理学でもあるのです。目的論や全体論も、理性や感情を一つの志としてイメージすることから始めようということです。
若松 実は、私自身も全ては「イメージ」「デザイン」から入ります。出来上がっている姿、あるべき姿を「絵」として鮮明に描けない場合は必ず実行の際につまずきます。
企業経営を見て感じるのは、改善案はロジックではなくイメージであり、ストーリー(物語)であること。映像的というか、描写が具体的であることが、志には大事なのです。例えば映画製作は、多くの人が部分的にしか関わりませんが、最終的には一つのエンディングが導かれることと似ていると思います。
岩井 実際、多くの物事はイメージから始まります。戦略の体系にあるように、論理は計画段階のもので、目的レベルにはビジョンが重要となる。論理優先になると、無機質になって心が動かされません。ですから、経営者にはビジョン形成、つまり志をつくるトレーニングが必要なのです。「何のために」を5回考えると、論理を超えてビジョンになります。
多様性を認めることがリスペクトにつながる
若松 「認知論」とは、どのような概念でしょうか。
岩井 人は「覚えたいもの」を覚え、「覚えたくないもの」は排除する。見方は十人十色で、客観的に全てを受け止めているわけではありません。誇張し、軽視し、見落とす。一緒に体験したことでも、記憶は全て違う。それが認知論です。
経営者は、自分が見ないものを見ている人をうまく使うことが大事です。独特の物の見方は個性であり、欠点ではない。違いを受け入れ、尊重することが大切です。
若松 今で言う「ダイバーシティー論」と同じように感じます。経営学的に言えば、私は「ダイバーシティーは戦略になる」と言っています。
岩井 多様性を認めることですね。その点においては同様です。
若松 違いを個性として認知し、補い合うのですね。先に協力を掲げると、無理に合わせることになる。では、望ましいリーダーシップの在り方とは、どういったものでしょうか。
岩井 リーダーシップとは、指導力ではなく「影響力」です。部下が経営者にリーダーシップを発揮するケースもある。信頼を基にした影響力の発信がリーダーシップです。
若松 リーダーシップは、信頼と敬意がなければ成り立ちません。
岩井 「リスペクト」こそが求められるマインドです。「尊敬」は仰ぎ見ることですが、リスペクトとは「距離を取って見つめ直す」こと。仕事においても家庭においても、リスペクトを持つことは大切です。
そのためには、違いを認め合うこと。チーム内に相性の悪い人がいても、目的・目標に向かって違いを受け入れ、認め合うことが必要です。相手の目で見て、耳で聞き、心で感じることで「共感」する。この共感に基づくリスペクトが信頼と協力に結び付きます。
若松 「対人関係論」とは、どういった概念でしょうか。
岩井 人間を考える際、フロイトはその人がどう考えるかを重視します。一方、アドラーは「人間のあらゆる行動は対人関係である」と言い切ります。人との関わり方の観察が、どういう人物かを理解する最大の鍵になるのです。
若松 社員には家庭・仕事・個人という三つの顔があると感じています。経営者はこの三つの顔と付き合わなければなりません。
岩井 アドラー心理学においても、家庭・仕事・個人はその人を支える三つの柱であり、それを全人格的に捉えます。全人格的な成長を望むアドラー心理学を学び、職場でも家庭でも個人にとっても幸せになることが理想なのです。
事業承継期における同族関係の心理学
若松 多くの企業が今、事業承継を課題として抱えています。中堅・中小企業は同族経営が多いので、親子関係に起因する問題が発生しがちです。
岩井 経営者は自分の栄光と子のダメなところを比較し、引き算の発想をしてしまうのでしょうね。また、学歴は子の方が良いケースが多く、嫉妬の気持ちもある。嫉妬や羨望は、他者を引き下げる感情です。子を下げて自分の優位性を保つという、無意識の心の働きです。
アドラーは、第1子・中間子・末子という誕生順位を深く研究しました。例えば、第1子は期待に対する責任感が強い。それがプラスに働くと良いのですが。
若松 私の1000社超のコンサルティング経験のうち6割は、事業承継期のコンサルティングです。同族経営の場合、家族の関係性によって承継の成否が決まる現場を数多く見てきたので、非常に共感します。私は「兄弟経営は3代目までに80%失敗する」と注意を促しています。成功確率は20%なので、細心の注意が必要だという意味です。
岩井 子ども時代の関係の取り方は、人生に大きな影響を与えます。例えば、私は末っ子なので、「俺についてこい」というカリスマにはなれません。第1子は、良い“参謀”が付けばカリスマになれます。兄弟とその周りの関係性は、アドラー心理学でも理論展開があります。
若松 同族の事業承継は長子に目が行きがちですが、これまでお話ししてきた通り、経営は1人ではできません。チームで承継するスタイルがとれるかどうか、また、そのチームのチームワークが事業承継の成否と組織経営力を決めますから、そこに目を向けてほしいですね。
特に、右腕左腕となる参謀の育成は不可欠です。後継者1人だけを見て事業承継というテーマを考え過ぎると間違えます。大局的な視点から経営陣の組み合わせを考えることこそが大切です。
岩井 アドラー心理学は、別名「人間知の心理学」と呼ばれていて、人間を理解するのにとても有益な心理学です。経営者がアドラー心理学の知恵を経営に生かすと、大局的な視点から人それぞれの魅力を引き出せます。今日は、若松社長から「人間の魅力」を振り返るきっかけをいただきました。
若松 アドラー心理学について、経営者視点から分かりやすくお話しいただけたことに心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。
㈲ヒューマン・ギルド 代表取締役
岩井 俊憲(いわい としのり)氏
1947年12月、栃木県生まれ。1970年早稲田大学商学部卒業。外資系企業(GE社、トヨタグループ、三井物産の合弁会社)の管理職などを経て、1985年4月、(有)ヒューマン・ギルドを設立、代表取締役に就任。アドラー心理学カウンセリング指導者。中小企業診断士。アドラー心理学に基づくカウンセリング、カウンセラー養成、各種講座、執筆活動などに従事し、30年以上にわたる研修・講演の受講者は18万人を超える。著書は『マンガでやさしくわかるアドラー心理学』シリーズ(日本能率協会マネジメントセンター)、『人生が大きく変わるアドラー心理学入門』(かんき出版)、『人を育てるアドラー心理学』(青春出版社)、『「勇気づけ」でやる気を引き出す!アドラー流リーダーの伝え方』(秀和システム)など50冊超。
タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(わかまつ たかひこ)
タナベ経営のトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種を問わず上場企業から中小企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーはもちろん金融機関からも多くの支持を得ている。関西学院大学大学院(経営学修士)修了。1989年タナベ経営入社、2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て現職。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。
アドラー心理学とは
フロイトやユングと並び「心理学の3大巨頭」と称されるアドラー
「アドラー心理学」とは、ウィーン郊外に生まれ、オーストリアで著名になり、晩年には米国を中心に活躍したアルフレッド・アドラー(Alfred Adler、1870-1937)が築き上げた心理学のこと。
欧米では、「個人心理学」(Individual Psychology)と呼ばれているが、日本では「個人」と言うと、「社会」と対比した個人のための心理学のニュアンスが強いため、「アドラー心理学」として定着している。
従来のフロイトに代表される心理学は、人間の行動の原因を探り、人間を要素に分けて考え、環境の影響を免れることができない存在と見なす。このような心理学は、デカルトやニュートン以来の科学思想をそのまま心理学へ当てはめる考えに基づく。一方、アドラーは伝統的な科学思想を離れ、人間にこそふさわしい理論構築をした最初の心理学者である。