「よい医療は、よい経営から」をコンセプトに日本型ヘルスケアビジネスの完成へ挑む 総合メディカル 代表取締役 社長執行役員 坂本賢治氏
医療機関が抱える課題を解決することで持続的成長を続ける総合メディカル。40年前、サラリーマン7人が集まり創業した同社は、売上高1354億3166万円(連結、2018年3月期)、調剤薬局690店舗以上の運営、医業経営コンサルティング、医師招聘事業などを展開し、約30社を率いる企業グループへと変貌を遂げた。2018年10月1日には、単独株式移転により完全親会社(純粋持ち株会社)の総合メディカルホールディングスを設立した。同社代表取締役社長を兼務する坂本賢治氏に、40周年までの歩みとこれからの姿を伺った。
会社は公器 公正な経営を実践
若松 総合メディカルは、医療分野を対象にコンサルティングやリース、調剤薬局など、幅広い事業を展開されています。創業は1978年ですから、今年(2018年)でちょうど40周年を迎えられました。タナベ経営とは創業の早い時期からのご縁であり、心よりお祝い申し上げます。
坂本 総合メディカルは、7人のサラリーマンが集まって起こした会社です。当初は、医療機器のリース業が中心でしたが、医師の要望や医療機関が抱える課題にお応えしていく過程で、医師の開業・継承支援や、調剤薬局、医師の招聘事業などへと、事業が拡大していきました。
若松 タナベ経営との付き合いは古く、30年ほどたちます。約20年前、私が九州に赴任していたころは何度もご一緒させていただきました。その際、いつも感じるのは公正な会社であること。良くも悪くも創業期はワンマン経営になりがちですが、参画型で会社をつくってこられた経営姿勢が伝わってきました。
坂本 私は創業5年目に新卒社員として入社しましたが、当時から公正・中立の意識は非常に高かったように思います。創業メンバーそれぞれがサラリーマンだった経験から、「こんな会社にしたい」という思いを持っていましたし、企業文化にも影響しています。今でこそ、「企業は社会の公器であり、社員は社会からの預かりもの」といわれますが、当時から創業者はそうした意識を持って経営に当たっていました。
若松 今の経営理念や社是は当時からあったのでしょうか。
坂本 最初の社是・社訓ができたのは10期目です。創業者と直接仕事をする中で、普段から創業者が言っていたことを明文化しました。その後、20期に「わたしたちの誓い」ができました。実はそのころ、苦労を共にした社員が辞めていったことに、創業者は大変悩んでいたそうです。「何が足りなかったのか?」「思いが伝わっていない原因は何か?」と考え抜いたことが策定のきっかけとなったそうです。
若松 家業から企業へと移行するのがちょうど10年目ぐらい。この段階でファーストコールカンパニーは「このような会社を目指す」という使命を明文化します。また、株式上場という大きな転換点を迎える前に経営理念を策定されたことで、その後に急成長を迎えても企業グループとしての一体感が保たれています。
社会、医療、医師が抱える課題を新たなビジネスモデルで解決
若松 現在の事業領域(ドメイン)は多岐にわたります。セグメンテーションやビジネスモデルが生まれた過程をお聞かせてください。
坂本 1つ目のエポックは、10期目に入院患者向けテレビレンタルシステムの事業をスタートさせたこと。その後の30年を支える土台にもなりました。開業支援とリース業との相乗効果でお客さまが増えていくにつれ、医療機関や先生方から相談を受ける機会が増加。その後の新事業につながっていきました。
若松 タナベ経営が提唱するファーストコールカンパニー宣言の第一に「顧客価値のあくなき追求」というものがありますが、総合メディカルの戦略はまさにそれであり、顧客の要望がビジネスになる素直な、自然な流れの中でビジネス領域が広がっている点が素晴らしいですね。調剤薬局の「そうごう薬局」についても、医療機関からの要望でスタートした事業なのでしょうか。
坂本 はい。時代の流れが医薬分業へと向かう中、主に開業医から「患者さんのために、服薬指導については専門家に任せたい」という声が聞かれるようになりました。医療機関や医師が患者の診療に集中できるように、当社が調剤薬局を引き受けることを決断。ただ当時、医療分野に民間企業が参入するのは難しく、1号店は開局まで時間がかかりました。それでも踏ん張ったことが、今の690店舗以上の体制につながっています。
若松 今でこそ調剤薬局の市場規模は7兆円まで拡大していますが、本当にゼロから立ち上げた市場であり、まさにパイオニアと言っていい。ただし、市場が右肩上がりで伸び続けることが難しいのも現実です。
坂本 これまでは地方の民間企業が各地で市場をつくってきたこともあって、一部の企業の寡占状態にないことが調剤薬局市場の特性と言えます。売上高で見ると総合メディカルは5位ですが、トップ企業でもシェアは約2%、トップ10社を合わせても十数%程度にすぎません。ただ、若松社長がおっしゃる通り、日本中に調剤薬局が広がってある程度は行き届きました。今後はグループ化が急速に進んでいくでしょうが、社会における存在感を高めるためにもトップ3を目指すことは必須だと考えています。
全国津々浦々へM&Aでチャネルを拡大
若松 2000年に東京証券取引所第2部、翌年には第1部へ株式上場を果たされました。やはり、会社は公器という考えや中立性を大事にする社風が上場を目指す背景にあったのでしょうか。
坂本 「透明性の証し」と言う方がよいでしょう。私が入社した当時から、「会社を私物化しない」という言葉はよく聞いていました。また、社内では「全国規模で事業展開したい」とも話していました。その手段として上場を意識して事業を進めていたように思います。特に、収益の要であるレンタル事業の拡大は常に重要な経営課題に挙がっていました。そこで、全国に営業拠点を持つ旧オリックス・メディアサプライ※を2001年に買収。これは同年の東証1部上場と合わせて、全国展開の弾みになる出来事でした。1店舗ずつ全国に広げていくには大変なエネルギーと時間がかかりますが、M&A(合併・買収)で一気に全国へ拠点を広げることができました。
若松 チャネル、つまり供給体制が出来上がったわけですね。M&Aは全国展開が一気に現実味を帯びる転換点となりました。ただ、総合メディカルは類を見ないビジネスモデルであり、上場の際には苦労も多かったのではないかと想像できます。調剤薬局やリース業に限定するとビジネスモデルは分かりやすくなりますが、あくまで「よい医療」の実現に向けた医療機関のトータルサポートという事業領域にこだわってこられました。上場後に始まった、医師の転職・開業・継承を総合的にサポートする「DtoD」(Doctorto Doctor)システムもその延長線上にあるビジネスと言えます。
坂本 「DtoD」を始めた2001年には、第4次医療法改正が施行される中で、医師の臨床研修の必修化(2004年4月より施行)が明文化されました。同制度はメリットも多くありますが、研修医がより多くの経験を求めて都市部の研修医療機関に集中する傾向もあり、地域間の医師の偏在が顕著になる事態を招きました。こうした状況下、地方病院から「医師を紹介してほしい」という要望を受けたことから、医師を募集して紹介する仕組みを作ったのが始まりです。よい医師はよい医療の原点であり、医師の招聘は病院のトップが意思決定に関わる重要事項。当社はここから理事長に会う機会が格段に増加しました。
若松 単なる人材紹介ではなく、よい医療を実現するためのビジネスモデル。ここでも企業の根幹がぶれていません。さらに、医療現場のトップと接点が増えれば経営課題が見えやすくなり、次のビジネスにもつながります。