「あんしんプラットフォーム」を通し、切れ目のない安心を提供
日本初の警備会社でイノベーションを起こした
若松 セコムは1962年に日本初となる警備会社を創業されました。拙著『100年経営』では、トヨタ自動車の「カンバン」とヤマト運輸の「宅急便」、そしてセコムの「ホームセキュリティ」を日本の三大ビジネスモデルとして挙げています。世界に誇る日本発のビジネスモデルは、どのように生まれたのでしょうか。
中山 創業者の飯田亮(現取締役最高顧問)は、学生時代の友人だった戸田壽一(元取締役最高顧問、故人)と起業の夢を語り合う仲でした。欧州に警備を業務とする会社があることを知り、かねてより「社会から評価される事業」「誰もやったことのない事業」「前金が取れる事業」などを起業の条件と考えていた2人は、すぐに日本初の警備会社を興しました。しかし、当時の日本は「水と空気、安全はタダ」という時代でしたから苦戦したようです。そうした中、1963年に東京オリンピック組織委員会から警備の依頼が舞い込みました。内容は、工事の段階から大会終了までを通した選手村の警備。大きなチャンスでしたが、大会終了後も雇用した大勢の社員を養う仕事量が確保できるのか――。難しい経営判断を迫られましたが、セコムの基本理念は「社会に有益な事業を行う」こと。オリンピックは国を挙げた事業であり、その安全を担うことは社会にとって大事な仕事であるとの判断から引き受ける決断をしました。私が強く感じるのは、飯田が根っからの事業家であること。これが新しいビジネスモデルを成長させた大きな要因といえるでしょう。
若松 オリンピックの開催自体が日本で初めての大イベントであり、大きな挑戦でしたからご苦労も多かっただろうと想像できます。
中山 骨の折れることも多かったと聞いていますが、見事にやり抜いたことで組織委員会から表彰を受けるなど、高く評価されました。その結果、世間に警備の仕事や「セコム(当時は日本警備保障)」という社名が知れ渡るようになり、事業が大きく拡大。テレビ局の目に留まってセコムをモデルとした『ザ・ガードマン』というドラマが誕生し、人気を博しました。これによって、一段と契約数が伸びていきましたが、飯田のすごいところはイノベーション精神です。それまでの人による巡回警備、常駐警備から一部を機械化する警備へと大きく経営のかじを切りました。
若松 事業が順調に成長している中、普通なら現在の延長線上で事業拡大を図るところです。「機械警備」という新たなビジネスモデルに挑まれた理由は、どこにあったのでしょうか。
中山 24時間体制で常駐警備を行うには、交代要員も含め少なくとも1カ所につき5人の警備員が必要です。契約が順調に伸びていく中、将来的に警備員の人員確保が難しいことは明らかでした。もう1つ、飯田は人を大切にしていましたから、社員の負担を減らそうと機械で危険のシグナルを察知する仕組みを考えました。そうして生まれたのが、人と機械の融合を図る「SPアラーム」。機械がモニターして異常を察知し、警備員が駆け付ける現在の「オンライン・セキュリティシステム」ビジネスモデルの原型です。
若松 ビジネスモデルを発明した創業者だからこそ、自由な発想で事業を成長させ、逆にその限界を見極めて新たな領域への転換ができたのでしょうね。
中山 楽観主義とビジネスの絵を描く能力、この両方を飯田は兼ね備えていました。SPアラームはIoTの先駆けといえるでしょう。しかし、サービスを開始した1966年当時はあまり受け入れられませんでした。一方、従来の人による警備の需要はうなぎ上り。そうした中、1970年の幹部会議で飯田は「SPアラーム1本で行く」ことを提案。もちろん幹部全員が反対したそうですが、将来を見据えた飯田の決意は固く、このあえて難路を選ぶ決断が、現在は当たり前になった機械警備の普及へとつながっていきました。
若松 経営者として最大の決断ですね。私はコンサルティングで「取締役会で全員が賛成する事業はやめた方がよい」とよく申し上げます(笑)。まさにその決断ですね。事業の絵を描いた本人だからこそ、事業の先を見ておられたのでしょう。
中山 もう1つ、飯田が優れていたのは情報に対する認識の高さです。機械警備においても普通なら既存の通信回線を使うでしょうが、独自の通信網を構築したところに先見性を感じます。情報が重要な社会インフラになることが分かっていた。1982年には警備にとどまることなく、健康・医療や情報通信分野を視野に入れて「安全産業」元年を宣言。さらに、7年後の1989年には「社会システム産業」元年を宣言し、「あらゆる不安のない社会を実現する」というミッションを掲げました。持てる資源を使って社会や暮らしに役立つ、「安全・安心・快適・便利」な社会を実現する産業を創る。この考えは今日においても、事業のベースとなっています。
飯田亮氏、戸田壽一氏が日本初の警備会社として、日本警備保障(現セコム)を東京・芝公園で創業(1962年)。巡回警備、常駐警備を開始した。写真(上)は創業当時のもの(後列左から戸田氏、飯田氏)
「警備会社」という存在が広く知られていなかった1964 年当時、東京オリンピックの選手村の警備を請け負った。無事、無事故で会期を終えたことで、組織委員会から感謝状が贈られた。この東京オリンピックを経て、社会から高い評価と信頼を得て、仲間の士気も一気に高まった(下) 警備会社から「社会システム産業」へ 若松 社会システム産業を標榜するセコムの事業領域は、セキュリティーを中心に防災、メディカル、保険、地理情報サービス、情報通信、不動産事業へと7つのドメインを展開されています。 中山 目的はあらゆる不安のない社会の実現。そのために必然的に事業を積み上げたというのが正しい解釈です。常に企業ドメインが先にあり、社会課題を解決するために必要なものとして、結果的に事業ドメインが増えていったわけです。 若松 企業ドメインは、あらゆる不安のない社会の実現であり、「安全・安心・快適・便利」を実現するサービス価値の提供がもたらす結果なのですね。それを具現化するのがセキュリティーや防災、地理情報サービスなどの7つのドメインというポジション。企業ドメインがぶれていないから「安全・安心」というブランドイメージが定着しています。セコムとしてのブランド戦略についてはどのようにお考えですか? 中山 今は情報発信が大事な時代です。企業のブランド力は現場の一人一人が築くものですが、会社としてイメージを発信することでブランド力は強くなっていくと私は考えています。しかし、セコムは実直な会社で、良い活動をしているのに実践が大事という考え方で、あまり情報は発信してこなかった。「安全・安心」を事業とするセコムにとってブランド力は大事ですから、お客さまの信頼を高めるためにも発信力をさらに高めているところです。 若松 私たちは「ブランドとはお客さまとの約束」と定義しています。特に昨今は、企業の姿勢を発信することがブランド力を高める上で重要なポイントになっています。 中山 実は、以前からセコムは環境に対して先進的な企業でした。「安全・安心・快適・便利」な社会の実現をなりわいとする当社にとって、地球環境の保全は重要な課題の1つであり、2012年から社会・環境推進部という専門部署をつくってさまざまな活動に取り組んできました。2016年には、著名な国際的環境NGOである「CDP」が実施した気候変動への対応に関する調査において、最高評価の「Aリスト」企業に認定されました。その年にAリストと認められたのは国内で(当社を含め)22社だけです。 若松 メーカーと比べてCO2の排出目標などを達成することは難しい面がありますから、サービス業での認定は大きな意味があります。外部から評価されることで、セコムの姿勢が多くの人に伝わるきっかけになりました。 中山 ブランド価値は会社がつくるもの。その1つの成果です。「社会課題の解決」という発想は以前からありましたが、それを積極的に発信していくことが大事な時代です。社会と共に課題を解決して利益を出して再投資していく。そうしたサイクルの中で社会と共に成長していくというモデルをはっきり打ち出していこうと考えています。 創業の精神が根底にあるから、 変化する時代に求められる サービスイノベーションが生まれる。
次の時代を守る「あんしんプラットフォーム」
若松 2017年の創業55周年を機に、「セコムグループ2030年ビジョン」を発表されました。その中で2030年に向けた「あんしんプラットフォーム」構想を打ち出されています。「社会システム産業」と「あんしんプラットフォーム」。この2つをつなげることでセコムが目指す方向性がより明確になったように感じます。
中山 時間や空間にとらわれない「いつでも、どこでも、あんしん」。一人一人に寄り添った「誰にとっても、あんしん」。安心にフォーカスした「切れ目なく、ずっと、あんしん」。これが、あんしんプラットフォームの特徴です。セコムの強みは、「事前の備え」「事態の把握」「被害の最小化」「事後の復旧」という「セコムのあんしんフロー」でトータルに対応できること。例えば、「オンライン・セキュリティシステム」によるリスクの備えから、保険事業による被害の復旧まで一貫して手掛けていることで、点ではなく線として、さらにはさまざまな日常のリスクに対応することで、面として「安全・安心」をサポートする。これはセコムならではの競争力です。
若松 総合力があるから、顧客起点のサービスイノベーションを起こすことができる。技術から出発すると点のサポートサービスにとどまってしまいがちですが、創業が「安全・安心」という社会課題の解決という王道コンセプトからスタートされたことが、今日の総合力につながっています。私たちのコンサルティングモデルも「会社がなくなると社員やその家族が不幸になる。だから企業を救う」をミッションとして、創業者が“発明”したところに存在理由があると認識しています。社会的使命がビジネスモデルに奥行きと広がりを生み出していくのだと私は考えています。
中山 同感ですね。創業の精神が根底にあるから、変化する時代に求められるサービスイノベーションが生まれる。もう1つ加えるなら、技術力も圧倒的な競争力を生み出す源です。セコムは、1980年代に「開発センター」や「IS研究所」を設立するなど、理想のサービスを実現するために技術の向上に多くの力を注いできました。さらに、2016年からは「オープンイノベーション」によって、お客さまも気付いていない「まだ見ぬ安心」の実現に向けて思いを共にするパートナーと協働し、創造を加速させています。
若松 潜在的ニーズにアプローチをするには、社会の変化やお客さまを深く理解することが不可欠です。どのように需要を捉えているのでしょうか。
中山 セコムには強い現場力があります。お客さまと接しているのは現場ですから、そこにヒントがあると私は考えています。現場からニーズを吸い上げる仕組みをつくり、現場と本社がコミュニケーションを増やしながら需要創造していく。現場と本社の思いの同期化が鍵となります。また、社会課題が複雑化、複合化する中、「安全・安心」はミッションクリティカル(必要不可欠)なものとなっていますが、それはセコムが担うべき領域が広がっていることを意味しています。例えば、想定外の事態が起こると、人も時間もコストも待ったなしで投入せざるを得ず、生産性は一気に落ちてしまいます。「セコムのあんしんフロー」で想定外を想定内にするとともに、人手不足を背景に高まるアウトソーシングニーズに応えるセキュアなビジネスサポートで、社会の流れ・日常の流れを止めないサービス、さらには一段と効率的な流れを実現することで、社会の生産性とレジリエンスを高めるお手伝いをしていければと考えています。
若松 1964年の東京オリンピック以降、セコムのビジネスモデルは社会から求められて成長しました。来る2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、「安全・安心・快適・便利」は重要なテーマです。そして、さらにその先の100年企業に向けてサービスイノベーションを起こし、発展されることを心より祈念申し上げます。本日はありがとうございました。
セコム 代表取締役社長 中山 泰男(なかやま やすお)氏
1952年、大阪府東大阪市生まれ。1976年東京大学法学部第2類卒業、同年日本銀行に入行。1993年企画局政策広報課長、1996年営業局金融課長、1998年金融市場局金融市場課長、1998年大分支店長、2001年政策委員会室審議役、2003年名古屋支店長、2005年政策委員会室長、2007年総務人事局を経て、同年4月セコムに入社、顧問に就任。常務取締役総務本部長を経て、2016年5月より現職。
タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(わかまつ・たかひこ)
タナベ経営のトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種を問わず上場企業から中小企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーはもちろん金融機関からも多くの支持を得ている。関西学院大学大学院 (経営学修士)修了。1989年タナベ経営入社、2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て現職。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。
日本初の警備会社としてセキュリティー業界を牽引してきたセコム。「社会システム産業」としてメディカルや保険、情報通信、地理情報サービスなどの事業ドメインを展開している。創業55年で、連結売上高9280億円、従業員数5万8000人にまで成長した同社は、社会がスピードを上げて変化する今日、安全を進化させることで変わらない安心を提供し続ける。セコムが描くビジョンについて、代表取締役社長の中山泰男氏に伺った。
飯田亮氏、戸田壽一氏が日本初の警備会社として、日本警備保障(現セコム)を東京・芝公園で創業(1962年)。巡回警備、常駐警備を開始した。写真(上)は創業当時のもの(後列左から戸田氏、飯田氏)「警備会社」という存在が広く知られていなかった1964 年当時、東京オリンピックの選手村の警備を請け負った。無事、無事故で会期を終えたことで、組織委員会から感謝状が贈られた。この東京オリンピックを経て、社会から高い評価と信頼を得て、仲間の士気も一気に高まった(下) 警備会社から「社会システム産業」へ 若松 社会システム産業を標榜するセコムの事業領域は、セキュリティーを中心に防災、メディカル、保険、地理情報サービス、情報通信、不動産事業へと7つのドメインを展開されています。 中山 目的はあらゆる不安のない社会の実現。そのために必然的に事業を積み上げたというのが正しい解釈です。常に企業ドメインが先にあり、社会課題を解決するために必要なものとして、結果的に事業ドメインが増えていったわけです。 若松 企業ドメインは、あらゆる不安のない社会の実現であり、「安全・安心・快適・便利」を実現するサービス価値の提供がもたらす結果なのですね。それを具現化するのがセキュリティーや防災、地理情報サービスなどの7つのドメインというポジション。企業ドメインがぶれていないから「安全・安心」というブランドイメージが定着しています。セコムとしてのブランド戦略についてはどのようにお考えですか? 中山 今は情報発信が大事な時代です。企業のブランド力は現場の一人一人が築くものですが、会社としてイメージを発信することでブランド力は強くなっていくと私は考えています。しかし、セコムは実直な会社で、良い活動をしているのに実践が大事という考え方で、あまり情報は発信してこなかった。「安全・安心」を事業とするセコムにとってブランド力は大事ですから、お客さまの信頼を高めるためにも発信力をさらに高めているところです。 若松 私たちは「ブランドとはお客さまとの約束」と定義しています。特に昨今は、企業の姿勢を発信することがブランド力を高める上で重要なポイントになっています。 中山 実は、以前からセコムは環境に対して先進的な企業でした。「安全・安心・快適・便利」な社会の実現をなりわいとする当社にとって、地球環境の保全は重要な課題の1つであり、2012年から社会・環境推進部という専門部署をつくってさまざまな活動に取り組んできました。2016年には、著名な国際的環境NGOである「CDP」が実施した気候変動への対応に関する調査において、最高評価の「Aリスト」企業に認定されました。その年にAリストと認められたのは国内で(当社を含め)22社だけです。 若松 メーカーと比べてCO2の排出目標などを達成することは難しい面がありますから、サービス業での認定は大きな意味があります。外部から評価されることで、セコムの姿勢が多くの人に伝わるきっかけになりました。 中山 ブランド価値は会社がつくるもの。その1つの成果です。「社会課題の解決」という発想は以前からありましたが、それを積極的に発信していくことが大事な時代です。社会と共に課題を解決して利益を出して再投資していく。そうしたサイクルの中で社会と共に成長していくというモデルをはっきり打ち出していこうと考えています。 創業の精神が根底にあるから、 変化する時代に求められる サービスイノベーションが生まれる。
次の時代を守る「あんしんプラットフォーム」
若松 2017年の創業55周年を機に、「セコムグループ2030年ビジョン」を発表されました。その中で2030年に向けた「あんしんプラットフォーム」構想を打ち出されています。「社会システム産業」と「あんしんプラットフォーム」。この2つをつなげることでセコムが目指す方向性がより明確になったように感じます。
中山 時間や空間にとらわれない「いつでも、どこでも、あんしん」。一人一人に寄り添った「誰にとっても、あんしん」。安心にフォーカスした「切れ目なく、ずっと、あんしん」。これが、あんしんプラットフォームの特徴です。セコムの強みは、「事前の備え」「事態の把握」「被害の最小化」「事後の復旧」という「セコムのあんしんフロー」でトータルに対応できること。例えば、「オンライン・セキュリティシステム」によるリスクの備えから、保険事業による被害の復旧まで一貫して手掛けていることで、点ではなく線として、さらにはさまざまな日常のリスクに対応することで、面として「安全・安心」をサポートする。これはセコムならではの競争力です。
若松 総合力があるから、顧客起点のサービスイノベーションを起こすことができる。技術から出発すると点のサポートサービスにとどまってしまいがちですが、創業が「安全・安心」という社会課題の解決という王道コンセプトからスタートされたことが、今日の総合力につながっています。私たちのコンサルティングモデルも「会社がなくなると社員やその家族が不幸になる。だから企業を救う」をミッションとして、創業者が“発明”したところに存在理由があると認識しています。社会的使命がビジネスモデルに奥行きと広がりを生み出していくのだと私は考えています。
中山 同感ですね。創業の精神が根底にあるから、変化する時代に求められるサービスイノベーションが生まれる。もう1つ加えるなら、技術力も圧倒的な競争力を生み出す源です。セコムは、1980年代に「開発センター」や「IS研究所」を設立するなど、理想のサービスを実現するために技術の向上に多くの力を注いできました。さらに、2016年からは「オープンイノベーション」によって、お客さまも気付いていない「まだ見ぬ安心」の実現に向けて思いを共にするパートナーと協働し、創造を加速させています。
若松 潜在的ニーズにアプローチをするには、社会の変化やお客さまを深く理解することが不可欠です。どのように需要を捉えているのでしょうか。
中山 セコムには強い現場力があります。お客さまと接しているのは現場ですから、そこにヒントがあると私は考えています。現場からニーズを吸い上げる仕組みをつくり、現場と本社がコミュニケーションを増やしながら需要創造していく。現場と本社の思いの同期化が鍵となります。また、社会課題が複雑化、複合化する中、「安全・安心」はミッションクリティカル(必要不可欠)なものとなっていますが、それはセコムが担うべき領域が広がっていることを意味しています。例えば、想定外の事態が起こると、人も時間もコストも待ったなしで投入せざるを得ず、生産性は一気に落ちてしまいます。「セコムのあんしんフロー」で想定外を想定内にするとともに、人手不足を背景に高まるアウトソーシングニーズに応えるセキュアなビジネスサポートで、社会の流れ・日常の流れを止めないサービス、さらには一段と効率的な流れを実現することで、社会の生産性とレジリエンスを高めるお手伝いをしていければと考えています。
若松 1964年の東京オリンピック以降、セコムのビジネスモデルは社会から求められて成長しました。来る2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、「安全・安心・快適・便利」は重要なテーマです。そして、さらにその先の100年企業に向けてサービスイノベーションを起こし、発展されることを心より祈念申し上げます。本日はありがとうございました。
セコム 代表取締役社長 中山 泰男(なかやま やすお)氏
1952年、大阪府東大阪市生まれ。1976年東京大学法学部第2類卒業、同年日本銀行に入行。1993年企画局政策広報課長、1996年営業局金融課長、1998年金融市場局金融市場課長、1998年大分支店長、2001年政策委員会室審議役、2003年名古屋支店長、2005年政策委員会室長、2007年総務人事局を経て、同年4月セコムに入社、顧問に就任。常務取締役総務本部長を経て、2016年5月より現職。
タナベ経営 代表取締役社長 若松 孝彦(わかまつ・たかひこ)
タナベ経営のトップとしてその使命を追求しながら、経営コンサルタントとして指導してきた会社は、業種を問わず上場企業から中小企業まで約1000社に及ぶ。独自の経営理論で全国のファーストコールカンパニーはもちろん金融機関からも多くの支持を得ている。関西学院大学大学院 (経営学修士)修了。1989年タナベ経営入社、2009年より専務取締役コンサルティング統轄本部長、副社長を経て現職。『100年経営』『戦略をつくる力』『甦る経営』(共にダイヤモンド社)ほか著書多数。
PROFILE
- セコム㈱
- 所在地 :〒150-0001 東京都渋谷区神宮前1-5-1
- TEL : 03-5775-8100(代)
- 設立 : 1962年
- 資本金 : 663億円
- 売上高 : 9280億9800万円(連結、2017年3月期)
- 従業員数 : 5万8596名(連結、2017年3月末現在)
- 事業内容 : セキュリティー、防災、メディカル、保険、地理情報サービス、情報通信、不動産事業