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旗を掲げる! 地方企業の商機

「日経トレンディ」元編集長で商品ジャーナリストの北村森氏が、地方企業のヒット商品や、自治体の取り組みなどをご紹介します。
その他 2020.04.30

Vol.56 まだ見ぬものを創出する:金子コード

 

 

 

 

 

ハルキャビア
静岡県浜松市の山奥、春野地区で陸上養殖されたチョウザメから採卵し、「ハルキャビア」を作っている。既存のキャビアと大きく異なるのは、晩秋から春先までしか採卵しないこと、塩分濃度を3%程度と低く設定していること、そして低温殺菌せず、フレッシュな状態で出荷すること。その結果、他では味わえないような、極めて味わい深いキャビアを創出し、国内外で脚光を浴びている

【金子コード 食品事業部】
https://hal-caviar.com/

 

 

富裕層だけが相手か

 

のっけから私の話で恐縮ですが、2020年に入って、また新たな地域おこしプロジェクトに参画しています。それは「秋田由利牛」の魅力を広く伝えていこうという案件。

 

経済産業省や自治体、生産者、そして大学教員などから構成されるチームです。すでに何度かの会議や取材を進めています。

 

チームに加わってあらためて考えたのですが、秋田由利牛の持ち味を、いったい誰に伝えるのが大事なのかという話です。

 

まず何をおいても、地元の人に対してであるという点は、基本中の基本だと私は思っています。地元の人すら振り向かないものに、地元以外の人が反応するというのは、原則あり得ないからです。これは地域おこし案件における重要なポイントだと、私は確信しています。

 

で、焦点はさらにそこからなのですね。秋田由利牛の実力を地元の人に実感してもらったら、どういった消費者層に訴求していくかを考えるのが、次の段階です。

 

普通に考えたら、銘柄牛を食べ付けていて、少々高い価格でも手に取ってくれそうな富裕層となるのかもしれません。でも、私はそうとも限らないと考えています。

 

富裕層とか中間層とかといった区分けの仕方が、もう古いのではないかと思うのです。そうではなくて、「食のためなら、多少の無理をしても(あるいは無理をしなくても)お金を投じることに躊躇しない消費者層を狙う」という捉え方が大事なのではないでしょうか。所得や居住地、家族構成で消費者をセグメントする手法では、何かを見失ってしまう気がするからです。

 

要するに、「秋田由利牛はうまい」と感じてくれ、年に一度でも購入してくれたり、もっと言えば、わざわざ秋田まで食べに来ようと考えてくれたりする人こそ、ターゲットにすべきなんです。そしておそらく、そう考える消費者の所得も居住地も性別もバラバラなはず。

 

お金持ちだからグルメ、なわけじゃないのですね。

 

なぜこのようなことを思ったかと言いますと、東京のとあるベンチャー企業の取り組みに感じ入ったからなのでした。

 

 

「欲しい何か」とは…

 

エピキュリアンという新興企業なのですが、「体験」をキーワードにした会員組織を構築しています。会員になると、例えば、「老舗の8代目が特別に案内する下町体験」や、「京都の名寺の特別プログラム」に参加できるという感じ(https://epicurean.world/)。

 

取材を兼ねて、私も何度かプログラムに参加したのですが、その体験は実に興奮できるものでした。

 

同社の社長が言うには、「いい大人たちの間では『欲しいものがない』との声があふれているが、果たして本当にそうなのか」というのが事業発想のスタートだったそうです。つまり、「自分の見えている範囲に、自分の心が動かされるものがないだけなのではないか」という仮説から始まっています。

 

そして同社は、会員に対し「これを体験したら、あなたのいる世界が変わりますよ」といった提案を、伝え続けています。

 

ああ、なるほどと思いましたね。消費者は必ずしも「欲しい何か」を意識できているとは限らない。それは、提示されて初めて気付くものなのかもしれないという話。

 

そしてここからが重要なのですが、そうした「欲しい何か」「新しい興奮」って、なにも富裕層だけが求めているものではない。これと感じたモノやコトに、ためらうことなくコストを投じる人は、この景気不透明な状況下でも確実に一定数いるのです。エピキュリアンの会員にしても、全ての人が富裕層ではないはずです。

 

すなわち、「これこそが『欲しい何か』であるかもしれませんよ」と事業者側が伝え切ることが、とても大事になるわけですね。

 

 

 

 

 

 

(上)「ハルキャビア」の生産拠点(つまり、チョウザメの陸上養殖の拠点でもある)は、通常、一般には公開されておらず、キャビアを購入する料理人などだけを受け入れている。今回はエピキュリアン(本文参照)のプログラムを通して特別に訪問できた。(下)キャビア事業を展開する金子コード社長の金子智樹氏

 

 

女王に献上のキャビア

 

さあ、ここからが今回の本題です。私が参加取材した、このエピキュリアンのプログラムの中で、とりわけ興味を引かれた案件。

 

それはキャビア生産の現場を訪れる、というものでした。

 

キャビアといえば、ものすごく高級な魚卵(チョウザメの卵)で、世界的に珍重される珍味ですね。日本国内でも、チョウザメを養殖して、キャビアを生産している拠点はいくつかありますが、今回訪れた静岡県の浜松の山奥、春野という地区もそうです。

 

ここの「ハルキャビア」、2019年に英国で開催されたポロの世界大会で、エリザベス女王に献上され、大会の副賞にも採用されたといいますから、期待が高まります。

 

では、あまたのキャビアと何が違うのか。ポイントはそこですね。

 

普通のキャビアは6~10%ほどの塩に漬け、さらに低温加熱処理もしている、いわば保存品です。

 

それに対して、浜松・春野のハルキャビアは、せいぜい3%程度の塩、そして加熱処理せずにフレッシュなまま出荷されて、短期に消費されることが前提のキャビアなのですね。賞味期限は最長でも3週間ほどと聞きました。

 

さらに、チョウザメから採卵する時期は11月~翌年3月に絞っているらしい。その時期だけ採る方が明らかに品質をコントロールできるとのこと。つまり、ここのキャビアを口にできるのは冬の初めから春先までとなります。

 

 

 

 

 

 

春野に湧く水の美しさがチョウザメを育てるのに最適、と判断したという

 

 

99%の人は知らない

 

浜松の山奥まで行って、そんなキャビアを食べました。どのような味わいだったかというと、塩辛くなくて、食感はねっとり。思いの外とことんクリーミーなのです。

 

「あっ、キャビアってやっぱり卵なのだ」とうなるような体験でした。社長は笑いながらこう語りました「フレッシュなキャビアって、99%の人は口にされていないはずですよ」。確かにそうかもしれません。

 

なぜ山奥でキャビアを作ろうと思ったのか。チョウザメは海水でも淡水でも生きられる魚です。キャビア生産の事業化に当たって全国を巡って調べたら、チョウザメを育てるのに格好の、美しく澄んだ水が、ここ春野に湧き出ていたからだそうです。つまり、この山奥で育てる意味が、ちゃんとそこにある。

 

いったいどんな会社が事業化したのかというと、これがまた意外な話でした。金子コードという東京に本社がある企業です。

 

 

ゼロから立ち上げた事業

 

金子コードはもともと、黒電話のコードを作っていました。時代の変化に対応するため、1990年代に医療用カテーテルのチューブを新事業化し、軌道に乗せたそうです。

 

でも、それもいつまで市場性があるか分からない。だから3代目の社長がゼロからの新事業を模索して、キャビアの生産に着手した。それも、ただ単に高価なキャビアをというのではなくて、先に触れたようにとことん、品質を追求した。そこがポイントでしょう。

 

ハルキャビアの生産拠点は2014年に立ち上げられ、2017年に試験的に商品供給を開始、2018~2019年シーズンには本格生産するところまで進展しました。

 

ちなみに主な取引相手は飲食店だそうです。恐る恐る値段を尋ねたら30gで2万円ほど。それでも「生産が追い付かないほど」の状況にあると聞きました。

 

短期間で、どうして成果を上げつつあるかは明白ですね。

 

製法を考えに考え抜いたからでしょう。低温殺菌しないことも、塩分濃度を極めて低くすることもそうですね。つまりは、チョウザメを育て、その卵をどう生かし切るかに心を砕いたのです。製法のみならず、採卵する時期までも、品質を左右すると考えた。

 

それによって、確かに生産性は下がるけれど、キャビアの水準は間違いなく上がるという判断ですね。ベストと考え得るキャビアを、ベストの状態に仕上げようとした。日本国内にチョウザメを育てる拠点はいくつか存在しますが、同社はその徹底度合いが格別なのでしょう。

 

話を戻します。ハルキャビアに強く引かれるのは、富裕層だけではないはずです。なんとかして一度だけでも食べたいという消費者って、ちゃんと存在するんです。だからこそ、ハルキャビアは話題をさらった。

 

違う角度から申し上げますと、「欲しい何か」を求め歩く消費者の心に刺さるような商品づくりこそが、大事だとも言えますね。

 

 

 

 

 

PROFILE
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北村 森
Mori Kitamura
1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。「日経トレンディ」編集長を経て2008年に独立。製品・サービスの評価、消費トレンドの分析を専門領域とする一方で、数々の地域おこしプロジェクトにも参画する。その他、日本経済新聞社やANAとの協業、特許庁地域団体商標海外展開支援事業技術審査委員など。サイバー大学IT総合学部教授(商品企画論)。